愛しい嘘


















学校から帰ったコナンは急いで事務所に上がった。
不意に甘い香りが鼻を擽る。

・・・蘭?

事務所には誰もおらずそのまま事務所を出て、三階に駆け上がった。

「蘭姉ちゃん!?」

玄関を開けて無駄の無い動きで靴を脱ぎ捨てる。
そのままキッチンへ向かってコナンは走った。

「どうしたの?コナン君?」

キッチンからエプロン姿の蘭が顔を覗かせる。
思わず溜息が零れていた。

「・・た、ただいま・・」

「お帰りなさい。丁度良かったー。
おやつにしよ?」

「・・うん・・僕手洗ってくるね。」

奇妙な安堵感と予想が外れたことに、コナンは溜息をもう一度吐く。
きっとそうすると思っていた。
それなのに蘭は家にいた。
そのことにホッとして。
そのことにどこか気に掛かる自分がいる。

ランドセルを部屋において、洗面所で手を洗い。
そうしてコナンはキッチンに戻る。
テーブルには二つのカップが並んでいた。
温かい湯気が紅茶の匂いを部屋に広げていく。
その様を眺め、コナンはキッチンの蘭の姿を見た。
いつもと変わらない蘭の様子。
長い髪が、あの日よりも長く伸びている。
なんとなく笑みが浮かんだ。
自嘲のそれ。
皮肉が自分の中で呟かれる。

なに、してんだろうな俺は・・・

「コナン君。座って?
どうしちゃったの?ボーっとして。」

蘭はおかしそうにコナンを見下ろした。
優しい笑顔。
見てるこちらが嬉しくなりそうな・・・
けど、今日はなぜかその笑みが気に掛かる。
それは自分の身勝手なのに・・・

「今日のおやつはチョコレートケーキなんだよ。
ほら、今日はバレンタインデーでしょ?
私からコナン君に。」

そうして切り分けられたチョコレートケーキがコナンの席に置かれる。
向かいに腰掛けた蘭はにこにことミルクティーを口に運んでいた。

「・・どうぞ?」

「うん。」

椅子に腰掛けて、コナンは真っ直ぐに蘭を見つめる。
蘭はにこにこと笑って、見つめていた。

「ね、食べてみて?
上手に焼けてると思うんだけど・・」

「・・蘭姉ちゃんは?食べないの?」

「うん・・これはコナン君の為に焼いたから。」

「・・・・」

きっと顔が赤くなってる。
コナンは誤魔化すようにカップに手を伸ばした。
甘い匂いに包まれて、湯気の向こうに蘭の変わらない笑顔がある。
錯覚しそうになる。
愛されてるような、許されてるような感覚。
その視線の意味を計り知れない。
蘭の笑顔がコナンにではなく、自分に向けられているのではないか・・
とんだ自惚れ。

「いただきます。」

フォークでそれを刺し、一口分掬うと口に運んだ。
甘くて柔らかなスポンジが口の中に溶けていく。
そうしてチョコレートの味が舌を支配した。

「・・・どう?」

伺うような視線。
蘭は見上げるようにコナンを見つめた。
その視線を受け止め、コナンは照れ臭そうに笑ってみせる。

「すっごく美味しいよ。」

「良かった〜v」

蘭は嬉しそうに笑顔を浮かべた。
その顔にコナンは頬が熱くなる。
可愛くて真っ直ぐに見れやしない。
けれど、こんな照れていたらおかしいと思われるか?
黙りがちにコナンは口を動かし続けた。

「コナン君、チョコレート貰った?」

「あ・・うん・・歩美ちゃんと灰原がくれた。」

「・・・そう。」

「で、でも義理チョコだよ!そんな・・その・・」

「ふふ、何照れてるのよー?
いいじゃない、一個も貰えないより。」

義理ってことを強調しすぎて蘭は可笑しそうに笑う。
墓穴を掘ってしまった気がしてコナンは俯いて、そうして小さく云った。

「・・蘭姉ちゃんがくれるから・・本当はそれだけで良かったんだ・・」

「・・・・・」

云ってから後悔した。
カップに口をつけながら蘭を見る。

「・・・」

蘭は嬉しそうに笑っていた。
柔らかい笑顔。
その可愛らしさに、愛しさに胸がギュッと捕まれる。

そんな顔、俺にだって見せてくれたことはないのに。

「ありがとう。」

「・・・蘭姉ちゃん・・」

見惚れた自分の間抜け面にハッとした。
にこにこしながら蘭はそんなコナンを見つめている。
肘をついて。
手で頬を支えて。
嬉しそうな笑みを浮かべて。
その瞳はとても優しくて。
知らず、コナンに嫉妬する。
自分が自分に、苛立ちを覚える。
どうして俺にはこんな顔、見せてくれないんだろう・・・
違う。
見てなかったのは、俺の方?

「良かった。本当はね、今年は少し迷ったんだ。
チョコレート作るのやめようかなぁって。
お父さんにも、コナン君にも。」

「・・・どうして?」

「・・・・一番に、
食べて貰いたい人にあげれないなら、作っても淋しいかなって・・」

そう云って浮かべた笑みが哀しくて。
カップを置いた手をあげかけて、下ろす。
この手を伸ばしてどうしようと云うんだろう。
思わず見た手は見慣れた大きさ。
すでに見慣れてしまっている、この小さな掌。

「蘭姉ちゃん・・僕は・・僕が、いるよ?」

「コナン君・・」

驚いた蘭の瞳が少し揺らいでコナンを捕らえる。
その瞳を真っ直ぐに見つめて。
精一杯の言葉をコナンは紡いだ。

「新一兄ちゃんが戻ってくるまで・・僕が、僕が蘭姉ちゃんを・・・
蘭姉ちゃんを、守るよ。
絶対に・・離れたりしない。
傍にいるから・・・」

「・・・・・」

ゆっくりとした動きで、蘭が椅子から立ち上がった。
向かいの席に歩み寄る。
そのほんの数歩がやたら長く感じて。
コナンは緊張に身体を固めた。

「コナン君・・」

椅子に座ったコナンと同じ目線にするように蘭は膝をつく。
そうしてコナンの顔を覗き込むように見つめた。

「そんな顔しないで?
コナン君・・私・・・私ね、大丈夫なんだよ?」

「・・・蘭姉ちゃん・・」

「思ってた以上に大丈夫なの。
本当に・・・」

囁くような声が震えてて、コナンは息苦しくなった。
こんな時さえ、何も出来ない。
余計に無理をさせて、苦しめてる。
笑ってる。
安心させようとして。
無理して、コナンに微笑みかけてくれる。
その強さ。
優しさ。
愛しくて、苦しくて言葉にならない。

「私、コナン君にそんな顔させたくないの。
ごめんね?いつも・・甘えちゃって、心配かけさせて・・」

「僕はっ!・・・蘭姉ちゃんを・・蘭姉ちゃんが・・
そんな顔を見てると・・・」

自分の無力を嫌ってくらいに、思い知るんだ。

優しい、柔らかい掌がそおっと頬に触れる。
温かい。
その手が嫌に大きく感じて、情けなかった。

「そんな顔してるのは、コナン君の方よ?」

ふふっと笑みを零して、蘭は笑う。
子供をあやすみたいに優しく笑って。

俺は自分の立場を思い知るんだ。

「私もコナン君のそんな顔、見たくないな。
いつも元気で変に子供らしくなくって、事件にキラキラと目を輝かせてる
コナン君がいいわ。
いつも心配しちゃうけど・・でも、一番コナン君らしいよ?」

「・・・・」

「私、そんなコナン君が好きよ?」

言葉が詰まる。
思いが溢れる。
云ってもいいんだろうか?
考えたの時には、もう口が開いていた。
云うつもりなんかなかったはずの言葉が勝手に溢れてくる。
抑えられるわけない想いと一緒に、吐き出される。

「蘭・・姉ちゃんが、好きなんだ。」

「・・・ありがとう。私も、コナン君が好きよ?」

にっこりと笑顔で蘭はコナンを見上げてくれる。
その眩しさに目を細めて。
コナンは小さな手を伸ばした。
その髪を一筋掴まえて。
そうして真剣な眼差しで蘭を見下ろす。

「新一兄ちゃんよりも?」

「・・・・・」

一瞬黙った蘭は消えた笑みを戻して、首を振る。

「コナン君は・・知ってるでしょ?
コナン君にだけは云っちゃったもんね・・・」

遠くを見るようにコナンの瞳の奥を覗き込む。
そこにあるものを探り出そうとするように真っ直ぐに、でも切なそうに
その視線を外した。
髪を掴まえてる小さな手を見つめて、そこに自分の手を重ねて。
蘭はゆっくりと云った。

「誰よりも、誰よりも新一が好きなの。
一番、好きなんだ・・・」

「・・・・・い?」

「え?」

きょとんと目を丸くした蘭に、コナンはもう一度。
今度は少し大きな声でハッキリと告げた。

「抱き締めてもいい?」

「うん。・・・私がコナン君を抱っこするんじゃなくて?」

くすくすと笑みを零して蘭は見上げてくる。
コナンはその髪を離して、椅子を降りる。
膝をついたままの蘭を抱き締めて、その頭に顔を埋めた。

「僕が、抱き締めたいよ。
・・・新一兄ちゃんが戻ってくるまで・・僕が蘭姉ちゃんを守る。」

そうじゃない。
どうか、
どうか・・・

「・・僕に、守らせて下さい。」

「・・・・」

ふっと腕の中の蘭の身体から力が抜けた。
それでも加減して蘭はその身体を預けてくれる。
こんな小さな身体に。
こんな細い腕に。
許してくれるみたいに、全部預けてくれた。

「コナン君はいつもそうね・・」

小さな肩に重みをかけないように蘭は顎を乗せる。

「・・コナン君は、新一が戻ってきたらどこか行っちゃうの?」

「・・・・・っ」

思わず抱き締める腕に力が篭もった。
子供のそれは大した事無いかもしれない。
けれど少しだけ蘭は身じろいで溜息を零す。

俺は・・・

「僕は・・僕・・」

「ごめんね、困らせて。」

蘭は明るい声を努めて、そう云ってくれた。
それが余計に切なくて抱き締めて、抱き締めることしか出来ない。

「良いの・・傍にいてね?
私のこと、守ってね?
一緒にいて・・・それだけでいいから。
今だけ、でも・・良いから。」

かき消えるような本当に小さな吐息のような呟き。




抱き締めることしか出来なかった。

ただ頷くことしか出来なかった。

抱き締めた身体が、本当は泣いてることに。

気付かないフリしか出来なかった。




もしかして、蘭は全てを知っているのかもしれない。

それでも何一つ云ってやれない。

苦しめて
泣かせて
今も
こんなに近くにいるのに・・・

愛してる女に何一つしてやれない。



ただ一言。

ただ一つ。

それだけの真実が伝えられない。


蘭にはただそれだけが必要なのに。






それなのに・・・・








もし。

今世界が閉ざされて。


黒の組織も、どんな目も。

気にしないでいられる世界に二人取り残されたなら。



この姿でだって、どんな姿でも

本当の俺で。

今、君を抱き締めてやれるのに。




蘭が恥ずかしがって。

もう嫌だと笑っても。

決して、手離したりしないのに。




今、この小さな身体で 抱き締めても。


俺は


何一つ


蘭を埋めてやれない。





★★★★★★★★★★★★★
2002/2/13

Written by きらり

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