夜に沈む朝




神の声が聞こえない。

貴女に声が届かない。

愛してるのに、それが足りない。

届かなくて、狂おしい。

どうして貴女を愛したんだろう?

最初から、僕のものにならないことを。

初めて触れたあの時から知っていたのに。


それでも、愛してる。

この愛が君に向かう。


止めることが出来なくて。

許すことも出来なくて。



この恋が終わらない。

この愛が止まらない。


心が死ななきゃ、ダメなんだ。

その為なら、神さえも、僕は殺せるんだよ?



「・・ああ、本当に神は・・・・」

白い羽根が赤く染まる。
この手が小さくて、笑えた。
僕は君を愛してる。
僕は全てをかけて、君を守る。

けれど。

君が愛するのは僕じゃない。
君が求めるのはこの手じゃない。

だから・・・

だから僕は、死ぬんだね?

「巧妙だ・・・全てを統べるべく・・・
蘭姉ちゃん・・・あなたを占める為に・・・
なんて、なんて・・ずるいんだろう・・・・」

『私は光、全ての影・・・。』

ああ、本当に綺麗だね。
生まれたばかりの身体。
真っ白な心。
けれど足りない欠片。
・・・・嫌な予感は止まらなかった。
ずっとしていた。
それは、確信で・・・。

僕に、お前は殺せない。
天使ではなく、君は聖女。
この天界に存在する、唯一人の異形。
絶対の存在。
お前は、聖女。
貴女と同じ魂で出来ている。

哀は蘭。

蘭は哀。

二人の命は同じモノから、出来ている。

貴女を傷つけることなんか、僕には出来ない。
僕に貴女は殺せない。

お前を殺すことが出来ない。

――――神は、全てを、始めから・・・・

『私は、私。
もう一人の私を殺さなくては・・・私の翼は何処?
私は光。
神の命を繋ぐ物。

・・・コナン・・・』

貴女と同じ甘い声で僕の名を呼ぶんだな・・・
無垢な瞳が僕を見下す。
傷が癒えていく・・・痛みが消える。
けれど・・・この紅い色は・・何?

『もう一人の聖女は何処?

私は何処・・?

早く・・教えて?』

「・・・・」

全て知っているくせに。
そうやって僕を罰しているのですか?
神は・・・いつから、僕を憎んでいたんだろう?
いつから、僕は・・・

「・・・せば、いいだろう?」

『・・・・私は、何処?』

「殺せばいいだろうっ!?
もう、僕は必要じゃないでしょう!?
・・・最初から、僕は壊れてたでしょう?
・・・ラを・・パンドラを愛した時から、僕は要らなかったのでしょう?」

生まれたばかりの無垢な瞳。
まるで硝子のように、何も映さないように僕を見下す。
その奥にある筈の、もう一人の意思を睨みつけて。

「・・僕を、解放して下さい・・・
充分、罰は受けたはずです・・・あの時、あなたの名を汚した時から、
僕は・・・縛り付けられたままです。
どうか・・・もう、解放して・・・」

『私は哀・・・聖なる翼を持つ者。
この身に裁きを、罪に許しを与うる者・・・
・・・神は言う  コナン・・・永劫の忠誠を・・・・』

差し出される白い手。
真っ白な手の甲。
生まれたばかりのそれが、僕の目の高さに差し出される。

・・・神様・・・僕はあなたを信じました。
あなたの愛を、今でも感じています。
けれど・・・あなたの歪みは、もうどうしようもないのです・・・
一度気付いてしまったら・・・もう見なかったことになど、出来ないのです。
一度愛してしまえば・・・もう、なかったことになど出来ないように

―――――僕は、蘭を、愛している。

「この翼も、心も・・・永劫に、蘭のモノです。」

『・・・愛深き天使・・・その罪は許されます。
・・・けれど。
その愛は、あまりにも愚か過ぎるっ・・!』

無垢な瞳が紅みを帯びた。
見下される瞳に、僕は顔を伏せる。
真っ白な光。
愚かな罪を焼き尽くすように・・・・愚か過ぎる。
そんなこと、自分が誰よりも理解している!!
あなたには、神には・・・この思いは通じなかったのだろうか?
だとしたら・・神よ、あなたは・・・・全能の・・・

痛みも何もなかった。
焼き尽くされる感触。
まるで自分のモノじゃないみたいに・・・

意識が薄れた。
蘭姉ちゃん・・・逢いたいな・・・
今すぐ飛んでいきたい、貴女の元に。
その腕に抱かれて、休みたい・・・

こんな時、なんて祈ればいいんだろう?

誰に祈ればいいの?

・・・・蘭姉ちゃん・・・どうして、愛はこんなにも愚かなんだろう



・・・ちゃ・・・ん・・・・・・・・・・・・・・・・・・





時間は六時を過ぎた頃。
東の空は白く染まり始め。
夜は西に逃れていく。
いつもと同じ朝。
いつも新しい朝が。
この世には生まれている。
人々は何も知らないままに、そのままに朝を迎え。
夜に焦がれる。
その光は眩し過ぎて。
そうして身を隠す術を知っていた。
場所は東京。
時間は朝を迎えて。
いつもと同じで、いつも違う朝を。
迎えていると知っているのは、唯一人――――――



「・・・・」
微かな声が聞こえた。
そうっと瞳を開ける。
朝の光。
夜明けの瞬間。
空は白く染まっていた。
月は薄く空に架かったまま・・・

「・・呼んだ?・・・新一・・・?」
「・・・いつも、呼んでる。」
閉じ込めた身体を少しだけ解放してやる。
新一はそうっと蘭を見下ろした。
「こうして傍にいる時も・・・ずっと、蘭を呼んでるよ?」
「・・・」
少しだけ不思議そうに、蘭は新一を見上げた。
微笑みを交わし、そうして降りてくる唇を受け止めた。
優しい感触に眼が眩む。
あんまり眩しくて、ぎゅうっと新一にしがみ付いて瞳を閉じた。
「なんだか、声が聞こえたの・・・私の名前を・・・
あれは・・・新一だったのかなぁ?」
「・・・蘭・・」
細い身体を抱きしめて、そうして新一はその髪に口付ける。
「朝だね・・・もう、帰らなくっちゃ・・・コナン君が心配してる」
「・・・・・」
そう言っても、この腕から逃れようとしない身体を。
それを知っていて、新一は抱きしめていた。
力を込めて、もう離れないようにしっかりと抱きしめる。
「離さないって言ったろ?」
「新一?」
「もう、離してやらねぇ。やっと手に入れたんだ。
ずっと欲しかった言葉。
ずっと欲しかった心。
やっと・・・俺のモノにしたんだ。もう・・離してやんねぇよ。」
真っ直ぐな瞳。
夜の暗黒を閉じ込めた、でも綺麗な瞳。
そこに自分の顔が映っているのを、私はまるで夢を見ているように見上げていた。
「・・・・私・・どうしたら新一とずっと一緒にいれる?」
「・・・蘭?」
「だって、私天使でしょう?新一は悪魔でしょう?
どうしたら・・いいのかなぁ?
ずっと一緒にいたいけど・・どうすればいいの?」
純粋で透明な瞳が新一を見上げる。
必死な思いが溢れて零れていく。
透明な雫が・・たくさん零れて、新一の腕に落ちてきた。
「・・泣くんじゃねぇ・・」
「・・私も、堕ちればいいんだよね?新一といたい。
その為には・・・私、天使じゃなくなればいいんだよね?」
「・・・」
天は地を招かない。
聖なる存在は悪を受け入れることは出来ない。
悪は聖なる存在を求めなくてはいられない。
相容れぬものはいつも、互いに惹かれ合うよう出来ている。
それが矛盾した愛から生まれたモノと。
知っている者は・・・もう、少なかった。
「新一のお母さんだって・・・有希子さんだってそうしたんだもの。
私も・・そうする。
だって、新一をいたいんだもん。」
「・・・もう二度と天界には戻れないぞ?」
「うん。」
「もう二度と神に逢うこともない。」
「いいの、逢ったこともないから。」
「・・・二度と天の星に触れないぞ?」
「新一といれる方が良い。
何がなくても・・新一といられれば、良いよ?」
「・・・」
真っ直ぐな視線が重なり、その唇は触れる寸前まで近付いていく。
新一はもう一つだけ、言った。
「・・・コナンにも、もう逢えなくなるぞ?
今度は・・いつ逢えるか知らないぞ?
・・・母さん・・パンドラだって堕天してから数百年・・コナンとは逢ってなかった。」
「・・・・・」
蘭の瞳に困惑の色が浮かぶ。唇が何か形を取ろうとして、止まった。
言葉が浮かばない。
彼の姿を思い浮かべた。
生まれた瞬間に目にした真っ白い翼。
綺麗な翼。
優しい小さな手。
自分を包み込んでくれた、彼の笑顔。
いつも・・ずっと傍にいてくれた。
生まれた時から・・彼は私を守ってくれてた。
神様みたいに、無条件に、ただ真っ直ぐに・・・。
私を愛してくれていた。
・・・私は・・・



「・・新一・・・新一が好き。
一緒にいたい・・誰を・・コナン君を失っても・・・・」
「・・・・」
「・・・でも・・でも・・・」
「蘭・・無理するな。
お前は何も心配しなくていい・・・・!?」
新一は反射的に蘭を庇った。
「し、んいち?」
片腕でしっかりと抱きしめて、自分の肩に捕まらせる。
左の羽根で蘭を包み込んだ。
「・・・何か、来る・・・・」
此処は自分の結界の中だ。
その辺の悪魔や天使が近づける場所ではない。
見ることすら叶わないのだ・・・それでも、その気配は真っ直ぐに此処を目指している。
強い気配を感じた。
真っ白いオーラ。
初めて見るそれが・・・何故か違和感がない。
・・・天使、か?

「・・・・・」
結界が破れた感覚は無かった。
事実、結界は破れていない。
傷一つついていない。
自分と蘭以外を受け入れることはないはずのそれが。
当然のようにその侵入を赦したのだ。
「・・・お前は・・?」
「?」
嫌な予感がした。
それは予感ではなく、確信。
新一にさえ、絶望を感じさせる。
その姿に、眩暈がした。
蘭を抱いた左腕に、力が篭もった。

『・・・・聖女・・蘭・・・』

真っ白な姿。
生まれたばかりの白い肌。
氷のようにくすんだ瞳。
濁りを持たない透明な光で。
真っ直ぐに蘭の姿を捉えていた。

「・・・だぁれ・・?」
「蘭、話すなッ!」
「?」

『私は哀・・・聖なる翼を持つべき者。
この身に、我が罪に裁きを与うる者・・・・

蘭・・貴女は罪を犯しました。
神の愛を裏切った・・・貴女に、聖女の資格はなくなった。』

「・・・・」
「・・・・」

聖女?
私が・・・?
有希子さんも言っていた。
でも・・どうして私が?
私は・・何も持ってないのに。神様を信じてないのに。
私は、最初から、罪を犯しているのに・・・。

「・・・聖女って何?
どうして私が・・そうなの?
私は神を知らない。
神を思ってない。
それは・・・最初から、罪でしょう?」

『・・・・私は光。全ての影。
聖女とは・・・・“神の愛を繋ぐ物”・・・私は・・』

「黙れっ!!」
新一は右手の平から黒い球体を出した。
それは闇の色を帯びて、やがて一羽の鳥の姿を取る。
真っ黒な鳥。
瞳だけが月を閉じ込めたような銀の色をしていて。
鋭くその天使のような、者を睨みつけていた。
「蘭、それ以上聞くなっ!
お前は・・・」

『・・・私は哀。
私は蘭。
貴女は私・・私は貴女の影だった。』

「?・・私の、影・・・?」
「聞くなっ!!」
その翼で半分以上蘭を包み込む。
その羽根に包まれて、それでも蘭は顔を覗かせた。
瞳は雄弁にその思いを伝える。
“だって、私は・・・知りたいっ!”
新一は迷う。
このまま地上を堕ちてしまおうか。
そうすれば・・・

『蘭・・・聖なる乙女だった者。
貴女が罪を犯した時・・私は生まれるように、出来ていた。
私は貴女の影。
貴女の罪を裁く為に、生まれた物。
貴女はもう聖女の資格を失った。』

「・・私は・・・私は聖女なんかになりたくないっ!
そんなの望んでない。
私は・・ただ新一が好きなだけ・・・だから・・聖女の資格なんていらないっ!!」
「蘭・・」

『その翼を私に・・・。
貴女はもう要らない。
私はその為に生まれた。
貴女の翼を・・・私に渡しなさい。』

「・・・・翼を・・?」
意味が分からないように、蘭は彼女を見つめた。
表情の無い瞳。
空っぽの心に埋め込まれた強い意志。
それは・・・誰の意思?

『貴女は役目を果たせない。
そんな聖女は要らない。
私は・・・その為の存在。
それだけが絶対。
貴女は・・・もう、要らない』

「・・・私・・私?・・・」
「蘭っ!」
「・・新一・・わたし・・?」
「構うな!アイツの言葉を聞くなっ!!
お前は・・・違うんだ・・・」
困った瞳が新一を見つめる。
その答えを聞きたくて、新一の瞳を覗き込む。
苦痛に歪んだ黒い瞳が、蘭に不安を覚えさせた。
「私・・・」
「蘭っ!!」
両腕で抱きしめられる。
その黒い翼が全てから守ろうと、蘭の細い身体を包み込んだ。
黒い瞳がその姿を睨みつける。
傍らに浮かんだ使い魔は、真っ直ぐにその姿を見詰めていた。
けれど・・・新一にはその姿を攻撃することは出来ない。

『・・・・聖女は二人も要らない・・・
私は私を・・・』

真っ白な存在。
生まれたばかりの弱い入れ物。
けれど。
その精神は。
魂は。
命は。

・・・・・蘭と同じ物で出来ていた。


いつか感じた不安はこれだ。
天使の正体が垣間見えた。
蘭は・・コナンは・・・母さんは・・。
“これ”で出来てるというのか?
その存在は・・その為に在るのか?!
堕天王・・・。
親父はそれを知ってるのか?
・・・知っていて・・・母さんを?
「・・そうだな・・そうしかねぇよな・・」
「?」
新一の小さな呟きに、蘭は顔を少しだけ上げた。
その額に口付ける。
「もう、なかったことになんか出来やしねぇ・・それでも。
蘭。
お前を愛してる。
この想いは変わらねぇ・・・お前は、俺の、蘭だ。」
「・・・新一?」
何から伝えれば良いんだろう?
何から話せば・・・蘭を・・・傷つけない方法はないのかもしれない。
母さん・・・パンドラは最初から知っていたのだろうか?
己の意味を、存在の意味を・・・最初から?
・・・だとすれば、神はだから次は・・蘭を・・こうしたのか?
何も知らないまま。
何も与えないまま。
ただ愛される存在に。
ただ許される存在に。
そして、コナンをつけたのか?
だとしたら・・・神はなんて・・・なんて傲慢なんだ。
パンドラは最初から知っていた?
コナンはそれに気付いてしまった?
だから蘭には、何も教えなかった?
その存在の意味も・・・その役割も。
いつか、神を、求める時が来たら・・・その時に全てを・・・
「蘭は渡さない。」

『・・・私は二人も要らない。
私は光・・・それは、影。
影は・・・もう、要らない』

「これは俺のモノだっ!誰のモノでもねぇ!!
俺の為に存在している!!
神にさえも・・やらねぇよ。
髪の一筋でも誰にもやらない。
これは、全部、俺のモノだ!」

『・・・貴方は悪魔。
魔界の生き物・・・天使ではない・・・
天使でない者は要らない。
貴方は・・・天使を殺し過ぎた・・・その罪はとても重い。』

「・・・・っ」
「・・・殺した?・・新一が・・?」
「・・・・」

『その罪は重過ぎる・・・貴方は裁きも受けられません。
その罪を生涯背負って生きると良いでしょう。

・・・神は、貴方の、生を、許しております・・・』

「ふざけるなっ!
神は、なんにも許しちゃいねぇんだよっ!!
パンドラの裏切りも、コナンの裏切りも・・・蘭のそれさえも・・神は許しちゃいない!!
だから、てめぇみたいなのが在るんだろう!?
・・・神に、俺の何が許せるっていうんだ!
俺を・・裁けるのは、この女だけだ・・・」
「・・・新一?」
「・・・ごめん、蘭・・・。
でも、愛してる。」
その唇に口付けて。
想いも全て押し込めて・・・
6枚の翼を羽ばたかせて、そうして新一は堕ちた。
結界を飛び出して、ビルのフェンスを乗り越える。
「目、瞑ってろ!!」
「・・・っ!?」
ものすごい風圧が蘭の身体を押し上げた。
それでも身体はものすごい速さで落ちていく。
背中で使い魔の鳴き声が響いた。
それを新一は聞きながら、腕の中の蘭を抱きしめる。
落ちるしかなかった。
堕ちるしか。
今は何より・・時間が必要だった。
あの時間に・・コナンが駆けつけることがなかったのは。
おそらく、そういう意味だ。
何から話せばいい?
何から・・・
何も知らなかった蘭に・・・。






その罪は・・誰の物―――――?









2001/07/26









Written by きらり

(C)2004: Kirari all rights reserved.
+転載禁止+