最後の夜 
     最初の朝





天使を堕とすもの。

見惚れる天使たちの罪、欲望。

何かを欲する必要はない。
すべて与えられるから。
神の愛。
それは最上の愛。
それを信じて疑わぬ者。
天使。
神の愛しい者たち。
汚れを知らぬ白い翼で。
神の愛を伝え。
神の愛を運ぶ。


翼を汚すもの。

それは欲望。

それが罪。

強く欲する気持ち。

それが意志。


輝きは消えない。

その罪にまみれても。

消えない想いが、愛ーーーーーー




東から日が昇る。
朝が来る。
何度だって。
いつだって。
明けない夜はない。
繰り返された逢瀬。
繰り返された口付け。
神が許さないというのなら。
誰が悪いというのだろう?
そして、今。
知りたいと思う気持ちを。
誰が止められるというのだろう?

知らないのは嫌。
知りたいと思う。
新一のこと。
私の気持ち。
コナン君の苦しみ。
時々感じる強い力。
その全部を。
受け止めたいという気持ち。
そして、今。
目の前の天使を、美しく思う気持ち。
それとは別の感情が、怖かった。

「蘭ちゃん。」
にこにこと彼女は微笑みを称えている。
白い翼がふわりと舞うと、私の手を取って空に舞い上がる。
ビルの屋上で、新一とコナン君はこちらを見上げていた。
「これくらい離れればあいつ等の地獄耳も、役に立たないでしょう。」
楽しそうに彼女は笑う。
なんだか不思議な魅力を持っている。
一体、誰なんだろう?
「私は有希子。天使だったけど、今は堕ちたの。」
「・・・堕天使?」
「そう。」
にっこりと頷く。
初めて見た。
堕天使・・・天使である身を汚し、堕とした者。
許しがたい罪を犯し、神の愛に背いた者。
でも・・・そんなふうには見えない。
優しい瞳。
なんだか惹きつけられる明るさが、この人にはある。
「新一の母よ。」
「・・・えっ?」
私はすっごく間抜けな顔をしていたのかもしれない。
その反応を楽しそうに笑って、目の前の天使はもう一度繰り返した。
「新一を生んだの。悪魔と一緒になってねv」
「・・・新一のお母さん?」
思わず下を見下ろして、新一と見比べてしまう。
「でも、あんまり・・似てない気が・・・」
あ、でも。
よく見ると目元が似てるかもしれない。
笑った時の感じが、新一が不意に見せる優しい雰囲気に似てる。
「びっくりした?」
悪戯っぽく微笑んだ彼女が私を覗き込んでくる。
私はまだぼんやりとしてしまっていた。
「はい・・・だって、新一が何も話してくれなかったから・・」
「くすくす、きっとね話せなかったんだと思うわ。
こんな綺麗なお母さんがいるって気恥ずかしかったのかしら?」
「・・・・」
疑問が浮かぶ。
天使が命を産むなんて・・・初めて聞いた。
天使はみんな天神樹の卵から生まれるって聞いた。
悪魔は天使が身を堕とした者。
人間だった者がその身を汚して、黒い塊になったものが悪魔になると教わった。
天使から悪魔は生まれるの?
何もかもが答えが見つからない。
分からないことだらけだった。
「何から話したらいいのかしら?
私があなたと同じ神の聖女として生まれてきたこと。」
「聖女・・・?貴女が私と、同じ?」
「・・・・」
彼女は少し困惑した。
「あなた・・・まだ何も知らないの?」
「・・・・」
本当に、私は何も知らないまま、生きてきたのだ。





月が雲に隠れた夜空。
一雨降りそうだった。
「困ったわねぇ・・・雨は嫌いよ。」
羽根が濡れるし、寒くなる。
変に人間らしい天使の呟きに、彼は思わず笑っていた。
「・・・誰?」
天使の声が緊張を帯びる。
隠している気配が見えた。
「誰って聞いてるじゃない!」
「失礼しました、天使・・ではないか。聖女パンドラ。」
「!?」
パンドラは身を固くした。
その名を知る者なら、自分には全て分かった。
それなのに、その気配の主が分からない。
その影に隠れていた黒い影が明かりの下に現れた。
「覚えてませんか?一度だけお会いしていますよ。」
「・・・堕天王・・・」
その場から飛び立ってしまえば良かった。
そうしたら、彼の姿を捉えることはなかったのに。
そうしたら・・・・
「堕天王は天界での呼び名でしょう。私の名は優作。
以前にも名乗ったはずですが?」
「・・・忘れてないわ。けれどその名を呼ぶ必要もないでしょう。」
「そうですが・・」
苦笑を漏らして、彼は歩み寄る。
足音がしない。
そもそも歩いてるのかも分からない。
音もなくすーっと近寄ってくる気配に、パンドラは身を竦めた。
どうして一人で降りてしまったんだろう。
コナン君についてきてもらったら良かった。
後悔した。
そしてその姿を真っ直ぐ見つめた。
黒い翼。
黒い瞳。
どうしてだろう?
いつ、そんなふうに感じたのだろう。
思いのほか、優しい色としたその瞳に。
安堵を覚えていた・・・


「堕天王?」
「そう、魔界の悪魔達の中の王よ。
天界ではその王を堕天王と呼んだわ。でも魔界では魔王と呼ばれてるの。」
「・・魔王・・・」
口の中で小さく繰り返す。
彼女の言葉を一つ一つ繰り返して、忘れないように覚えた。
「優作はね、その魔王だった。そのくせに優しくて、でも残酷で。
それでも私は、彼を好きになったの。
もちろん今もね。一緒に暮らしてるわ。」
「魔界で?」
「ええ。魔界も天界と地上と変わらないわ。太陽も月もある。
たくさんの悪魔たちが暮らしてる。
中には私のように堕天した者もいる・・・」
堕天使・・・知らなかった。
そうなった者はみんな悪魔になるって思ってた。
白い翼は汚れて黒に染まって、そうして魔界では生きてゆけずに朽ち果てるのだと
本で読んだ。
嘘、なの?
そうじゃないなら、目の前で誰よりも綺麗に笑うこの人は・・・
「天界に戻らないの?」
「・・・戻れないの。」
綺麗なでも儚い微笑み。
少しだけ哀しそうに笑うのは気のせい?
「私は自ら神の愛を捨てたわ。神様はそんな私を許さない。
だから天界には戻れない・・・でも、戻ろうとも思わなかったわ。
ただ一つだけ、気になっていたことはあったけれど・・・」
視線が落ちる。
後を追うと、コナン君がいる。
そうか・・この人、コナン君の・・・
「新一が好き?」
「えっ・・・はい。」
いきなり聞かれて私はなんだか恥ずかしくなる。
それでも、はいと答えていた。
「悪魔でも?」
「・・・はい。」
「そう・・やっぱり親子なのかしら?ふふ、しょうがないわよね。
恋愛ばっかりは・・神様の意思と違う場所にあるのかもしれないわね・・・」
神様の意思を違う場所?
どこなんだろう?
思いつかない。
神様は全知全能の存在で。
天界も地上も、魔界さえも神様の意思で存在してるんだと思ってた。
でも。
恋愛は違う場所にあるんだとしたら、神様はそこに関わってないのかしら?
でもそれじゃあ・・おかしいわ。
神様は全てを統べる存在だもの。
でも、神様は望んじゃいなかった?
パンドラさんと魔王さんの恋愛を。
だから堕としたの?
彼女が堕ちるのを止めなかったの?
でもやっぱり、変。
それじゃあつじつまが合わないわ。
「運命だったのかしら?天使として生まれても、彼と出逢うことが・・・でも、
それさえも幸せに思うわ。ねぇ、蘭ちゃん・・」
「・・・・・」
「蘭ちゃん?」
心配そうな瞳がすぐ近くにあった。
私は慌てて、話を集中する。
「すみません、ちょっと考えちゃって・・・」
「うん、しょうがないわよね。話が急すぎるもの・・・ねぇ、蘭ちゃん。
まだ何も分からないかもしれないけど、よく考えて。
ちゃんと分かるわ。」
「・・・・」
胸が疼く。
なんだか変な感じ。
不安が私を襲う。
そしてその中に何か光るものがある。
答えじゃない。
でもそれに近いもの。
私はなんとなくその部分に触れていた。
ぐるぐると疑問が何かが回っている。
綺麗な瞳が驚いたようにその場所を見つめた。
「?」
「蘭ちゃん・・・それ・・」
「?」
彼女が凝視している場所を私も見下ろしてみる。
丁度胸の間の少し上。
「あの・・?」
何か変だったかしら?
恥ずかしくてその部分を手の平で隠してしまう。
温かい・・・以前、新一が触れた場所。
なんだか見抜かれたみたいで気恥ずかしかった。
「ふふ、そっか〜〜新ちゃんってば、決めてるのね。
本当に優作にそっくりv」
「??」
「今はまだ分からないと思うけど、きっとそのうち分かるわv
なにもかも・・だから、信じてね?
新一を。
あなたの気持ちを。
コナン君の想いを・・・」
優しい瞳。
本当に私を思ってくれるのが分かる。
伝わってくる。
初めて逢う人なのに、どこか懐かしさを感じる。
どうしてなんだろう?
まるで初めて逢った感じがしない。どこかで・・逢ってる?
ううん、記憶にはないわ。じゃあ・・・どこで?


「蘭ちゃん・・・知ってることと世の中のそれが、同じとは限らないの。
今まで信じてたものが全て異なっても、それが事実なら受け入れなきゃいけない。
自分の思いに真っ直ぐでなければいけない。
傷ついても平気。
傷は癒えるから。癒えない傷はきっとないわ。」
私を失って、貴女を手にした彼のように。
彼の心が、ここになくても。貴女の中に、それはあるから。
彼女は微笑んだ。
パンドラ。天界の聖女だった天使。
堕天使。
堕ちた者。その翼は真っ白で。今も変わらない純粋さも、蘭にはきちんと見えた。
彼女は天使のまま。
何も変わらないままに、堕天使になっている。
綺麗な精神。その白い翼。
今目の前にいる聖女だった人と、私の違いは一体どこにあるって言うんだろう?
どうして許されないんだろう?
こんなに綺麗な天使、蘭は知らなかった。
真っ直ぐな瞳の強さも、精神の美しさも損なわない。
堕天しても、なお変わらぬその美しさに蘭は魅了された。
そうして。
堕天した聖女、パンドラも。
また疑問の渦に囚われていた。
真っ白な魂。その翼は危うさをもって、なお美しい。
新一が魅了されたもの、なんとなく分かった。
蘭ちゃん・・彼女は美しい。
その容姿だけでなく、心も魂も。
持つそれは神と変わらない・・・・神は変わらない。
変わっていない。
私が堕ちたことで何かが変わるかもしれないなんて、甘い考えだと分かっていた。
でも、もしかしたら何か、天上は・・・聖女の存在は変わるかもしれない。
そう思っていたことは、まぎれもなく真実。
・・・変わっているのかもしれない。
神は、変わったのかもしれない。
だってこの子は何も知らない。
自分が聖女である身。
その身である意味さえも、知らないまま・・・・
だとしたら、神は何か考えを持って、コナン君に彼女を託しているのかもしれない。
・・・こうなることが分かっても?
悪魔であるそれも魔界をじき統べるべくであろう、堕天王の血族に、
彼女が出逢うこと・・愛すること・・・。
思わず自嘲していた。
恋に神が関わりを持たないことを、身を持って知ったのは他でもない。
私自身ではなかったのか。
でも・・神は何を考えてるんだろう?
もしかして・・・。彼女は首を振った。
そんなわけ、ないわよね?
・・・・あんまりにも愚かしい考えに至って、彼女は視線を外した。
コナン君・・・。
もう何百年前になるだろう?
彼の目の前で、この身を堕としたあの瞬間・・・。
彼の絶望。
それを私は知っていたのに、感じたのに。
私は私の楽園に、堕ちてしまった。
自ら、喜びを伴って。
彼を、永遠の、孤独に堕としてしまうことを。
知っていたのに・・・・
それでも許して欲しいなんて、なんて我儘なんだろう。
私はあなたを愛していた。
彼の真っ直ぐな愛情。
誰よりも強く、神よりも愛しく想ってくれた気持ちを。
知っていて、知らない振りをした。
そうしなくては、自分は自分でいられなかったから。
私はコナン君を愛していたけれど。
恋をすることは、出来なかったから。
私が恋い慕うのは、彼だけだった。
堕天王・・・魔王である優作だけ。
彼女はどう?
蘭ちゃんは。
貴女がどんなに美しい心を持って、新一を愛してるのかコナン君を想ってるのか、
よく分かる。
けれどそれゆえに、貴女は傷つけずにはいられない。
貴女の心は美しく、その身を心を傷つけることは他の誰にも出来ない。
聖女は傷つかない。
決して、誰の手によっても。
愛される。
それだけの存在。
だからこそ、己を締め上げるのは自分の手だけ。
貴女はまだ・・・それを知らない。
けど、誰かを愛した時。
それを知らないままではいられなくなるの。
・・・私がかつてそうだったように。
貴女も・・・近いいつか、それに気付く。
そうして・・・・選ばなくてはいけない時がくるの。
もう、近いうちに。
もうすぐに・・・
「あの・・・パンドラさん・・」
遠慮がちに蘭ちゃんの口が開いた。
まるで鈴の音みたいに軽やかで可愛らしくて、凛とした響き。
私は視線を戻していた。
そうしてにっこりと微笑んで見せる。
癒えない傷はない。
そう知ってる、私は。
選択したあの時に。
そう確信したのだから。
「私の名前、今は違うの。有希子。」
「・・有希子さん?」
こっくりと頷いて、私は少し考えた。
新一にも教えてない。
コナン君にも言ってない。
でも、どうしてだろう?
蘭ちゃんには話したくなった。
「唯一つの希望だけを有する。そんな意味を持ってるの。」
「希望・・」
「優作がね、つけてくれたのよ。
私は聖女なんかじゃなくて良かった。
天使でいられなくても良かった。
・・・私は、優作の唯一つの希望に、なりたかったの。」
そうして羽ばたいて身を落とした。
「またね、きっとまた逢えるわ。
いつでも力になるわ。その時は呼んで。
何処にいても何時だって、すぐに貴女の力になるから。」
ふわりと一枚の羽根が残る。
見下ろすと、コナン君の頬をいおとしそうに撫でる姿が見えた。
早い・・そして、なんて綺麗なんだろう。
最後に見せてくれた微笑み。
少し恥ずかしそうに、それでも幸せそうに。
何よりも美しく笑っていた。
聖女だった天使。
天使だった者。
その身を堕としても、その美しさはなんだろう?
彼女の溢れる愛は、唯一人の為に。
私をもう一度仰いで、彼女は手を振って降りた。
地上ではなく、魔界へ。
愛しい人が待つ、その世界に帰ってしまった。
私の手には一枚の白い羽根。
天使だった者の。
切ないまでに白い羽根。




どんなことを考えながら。
天界に帰ったのか、覚えてない。
コナン君は私室に戻ると同時に着替えを済ませて、執務室へ行ってしまった。
コナン君と話は交わさなかった。
地上から帰る時、何も言わなかった。
私から繋いだ手を、ただ強く握ってくれた。
新一の顔が見える。
雲の隙間から、朝日の中でその黒い翼は。
私が知ってる誰のモノよりも、美しく、愛しくて。
私はなんだか、泣きたいくらい嬉しかった。
私が愛する人は、悪魔でもなんでもなかった。
唯一人の、人。
この世の中で、私が誰よりも愛する人。
ころんと寝台の上で転がる。
羽根の枕に顔を埋めて。
私は誰に聞かれることもない溜め息を隠した。


逢える喜び。
逢えない切なさ。
狂おしい想い。
泣きたくなる愛しさ。
希望も絶望も。
唯一人の人の中に在る。

それは苦しい。
それは嬉しい。
私は誰よりも。


彼が愛しいーーーーーーー



私が知る唯一つの答え。

他の何かと間違ってても、私はそれだけを信ずる。

信じてるモノなんか一つもなかった。

私は誰も愛せなかった、そう神様さえ。

それなのに、新一を愛してる。

コナン君を信じてる。

愛は愛によって、生まれる。

生まれてから、誰も教えてくれなかった。

教えてくれても、信じることが出来なかった。

私はようやく、同じに成れた?

天使と?

みんなと?

・・・・みんなと同じじゃなくても構わなかった。

新一といれるなら、新一と同じなら。

それだけで、

私は嬉しいーーーーーーーー













2001/06/17









Written by きらり

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