あの夜のまま   君のまま




世界は三つに分かれた。
天使は堕ちた、地よりも深く闇の奥に。
人間は楽園を追放され。
その身を地上にゆだねた。
神は許した。
彼らの運命を、その行く末を。
たとえ破滅の道を選んでも、許し愛を囁いた。
天使はそれを伝え。
天使はそれを知り。
その為に生まれ、終える。
神の愛は、世界を許した。
彼らは許された。
愛されて。
その生を選べるのだ。

彼女の天秤は小さかった。
誰もそれを見たものはなかった。
彼女の中にそれは在る。
だが。
彼女自身がそれだということを、知る者は少ない。
知る者はわずか・・・・


「あの人間は魔界に堕とすべきだ。
天使を誑かし、その純潔を奪うなど言語同断・・・これ以上の
屈辱があるわけなかろう!」
「・・しかし、彼女は人間を庇っております。
彼の有罪を拒否しています。」
「それは彼女が騙されているのでしょう・・・あの人間には天使を
愛することなど出来るわけがありません!」
「・・・・・静粛に。」
コナンは立ち上がって皆を制した。
そうして一人の天使を見つめる。
紅い唇を閉ざして。
黒い瞳を隠して。
量りをかけていた彼女は、ゆっくりと瞳を開けた。
天上の誰よりも、美しい瞳の色。
その澄み切った、怖いまでに真っ直ぐな瞳が。
コナンの姿を捉えて、にっこりと微笑む。
「・・・・」
頬が熱を持つのが分かった。
コナンは瞳を伏せて、もう一度頭を上げた。
「・・・パンドラ・・判決を」
その名を呼ばれて。
彼女は9人の大天使たちを見下ろした。
紅い唇が、天上で絶対の判決を下す。
それは神の意思。
神の意思は天上の掟。
彼女の判決が。
全てを司っている。
一呼吸、間があった。
息を殺して判決を待つ天使たち。
己の罪ではない。
けれど。
天使の罪は、神への・・・・
「春を司る天使、レイムは・・・無罪。」
「・・・・・」
溜め息が洩れた。
緊張していた糸がぷつりと切れる。
しかしそれを不服と思う者も確かにいた。
けれど誰一人、言葉は漏らさない。
「しかしその身が汚れたことは事実です。
彼女を天界より追放します。
彼女には一切の記憶を消し、新たに人間としての新しい生命と
記憶を与えます。
そして・・・レイムを人間の身でありつつ、愛した彼の記憶は・・・
一切奪ってしまいなさい。」
「・・・・はい。」
天使長アオイはそれを心に刻み込むと刑を執行すべく、席を立ち上がった。
その日の裁判は終わる。
天使たちは一人一人席を立ち上がると、己の執務室へと戻っていく。
最後に残るのはコナンと、聖女パンドラのみ・・・
コナンはパンドラに歩み寄る。
「お疲れ様でした。」
「うん・・ねぇコナン君・・・」
「?」
パンドラは切なそうに何かを見ていた。
此処ではない、何処か。
何処かではなく、誰か?
「帰ろうか?」
「・・・はい。」
彼女の言葉が本当はそれでないことは知っていた。
けれど彼女は言葉を隠した。
だから聞かない。
本当は・・・聞かなくても分かるんだ。
彼女のことは、なんでも分かった。
どうして?
ずっと見てたから。
生まれた瞬間から、コナンはパンドラを知っていた。
優しい瞳。
綺麗で何処までも深くて。
愛しい瞳。
その温かい腕に抱きしめられて。
頬に口付けを受けて。
コナンはこの世界に生まれてきた。

天界はすっかり夜の闇に覆われてしまった。
日の光はまだ目覚めない。
夜は長い。
彼女の私室はコナンと同じだった。
正確には。
コナンが彼女と一緒だった。
生まれた時から、ずっと。
コナンはパンドラと共に在る。
それが彼の存在の意味。
神に祝福を与えられても。
彼は壊れていた。
初めから。
それを、知る者は、いない。
おそらく、彼自身が最初にそれに気付いていた。
だから。
隠した。
そうしなければ、きっと彼女の傍にはいられないから。
「月・・・綺麗ね?」
「うん。」
羽根を止めて、彼女は空を見下ろす。
ぽっかりと浮かんだ月の光は優しく地上の空を照らし、天界の道すらも淡く、照らしていた。
「すごくね、好きなの。月の光・・・
こんなに綺麗だなんて、ずっと知らなかった。
コナン君・・・世界は広いわ。私には知らないことが多すぎた。」
「貴女に?
天界で誰よりも優れた、誰よりも聡明は貴女に・・?
知らないことが・・?」
コナンの言葉に、パンドラは微笑んだ。
優しい笑顔。
でも何処か儚くて、コナンはその手でパンドラを抱きしめたかった。
けれどその手を伸ばせなくて・・・
「私は何も知らなかった・・・あっ・・」
不意に彼女の瞳が、一つの光を捉える。
「・・・」
コナンもそれに気がついた。
その光は天使の魂。
その行く先は神の手の中に・・・・
魂は再生する。
その身を人間に代えて。
この天界を堕とされる。
天使だった記憶も、神の愛も、なにもかも。
天界に生まれた全てを失って、その魂は堕ちていく。
どこか幸せそうに、光を称えて・・・
「パンドラ・・・?」
微笑んでそれを見つめていた彼女に、コナンは呼びかけた。
まるで愛おしそうに。
まるで・・・そうに?
「ふふ、レイムはきっと出逢えるわ。
あの子が愛した人間と。」
「けれど人間の記憶は、一切消してしまったんでしょう?」
「うん・・・」
その瞳が自分に注がれる。
眩しい瞳。
夜の黒の中にあっても、なんてそれは神々しく瞬くのだろう。
「・・・・」
少し気恥ずかしくて、コナンはその瞳を外した。
「逢えるわ・・・見えたの。二人の未来が・・・
きっと二人は出逢う。
最初の出会いを忘れてしまっても。
お互いが全く別の姿になってしまっても・・・きっと出逢う。
そしてまた恋に落ちる・・・そういう二人だと、分かったのよ?」
まるで秘密を囁くみたいに彼女は楽しそうに笑った。
「可笑しいかな?ふふ・・・」
もう一度空を仰ぎ、もう見えなくなってしまった光を探した。
「さて、もう寝ようか?眠くなっちゃった・・・」
小さな欠伸をして、彼女は再び羽根を羽ばたかせた。
真っ白な翼。
天界の誰よりも美しいそれ。
汚れを寄せ付けることは出来ない、神に愛されしモノ。
この天界のただ一人の聖女。
パンドラの翼は誰よりも綺麗で、誰よりも優しかった。
コナンはその後を追って、飛ぶ。
ただ見ていることしか出来なかった。
ただ追いかけることしか出来なかった。
貴女の行く末を知っているから。
だから、愛を押し殺して、見つめることしか出来ない。
許されない愛を、知っていたから・・・・

もしも。
僕が違う姿だったら。
それでも貴女は僕を見つめてくれた?
貴女は僕に微笑みかけてくれた?
貴女がパンドラでなければ。
聖女でなかったら、僕は貴女を誰にも渡さないのに。
もっと真っ直ぐ愛せるのに。
自分の中に。
闇を飼っている。
この想いを押し隠す為に。
押し殺す為に。
けれど僕は僕を殺せなくて。
きっと貴女が他の姿だったとしても。
聖女でなんかなくたって。
きっと貴女を愛したよ?
きっと出逢って、恋をした。
貴女の瞳に。
微笑みに。
その全てに。




世界の破滅は、突然訪れる。

何よりも、大事なモノは本当に容易く奪われる。


「パンドラ・・どうして?」
血まみれの羽根。
この手で悪魔の身体を抉った。
貴女の為に。
この天界に勝利を与えたかった。
ただ。
貴女の笑う顔が見たかっただけ。
「コナン君・・・ごめん、ごめんね?」
誰よりも美しい瞳から、幾筋ものの涙が流れる。
聖女の嘆き。
それは神の嘆き。
もう息をしていない天使たちの亡骸が。
いくつも倒れていた。
その中で。
僕は悪魔のようにこの身を命の水で汚して。
羽根もそれで固まってしまった。
僕だけが汚れてしまったの?
だから・・・
だから貴女は笑ってくれないの?
どうしてその手に抱かれているの?
「私・・・もうその名前・・いらないの。」
「パンドラッ?!」
「私は私になりたい。
私は・・この人だけのものになりたい。
神様も・・・いらない。もう・・私は神様を愛せない。」
「言うなっ!!それ、以上・・・!!」
声にならない。
でも言わせない。
言わせたくない!
どうか・・言わないでっ!!
貴女が貴女が・・いなくなってしまったら。
誰が僕を救ってくれるの?
それ以上はダメだ。
本当にその身を・・・・
「私はもう神様を愛せない。
私は・・・神様の為に、存在出来ない・・」
「ダメだっ!!!」
叫びながら祈った。
初めて、心から祈った。
どうか誰もこの人を取らないで。
僕から奪ってしまわないで!
貴女が笑ってくれないなら、僕は僕でいられない!
それなのに。
貴女は言葉を止めない。
その身を堕とす為に。
「コナン君・・大好き、愛してるよ?」
「僕はっ・・・・!!」
愛してる!!
貴女が思うそれよりも。
僕は貴女を愛してる!
僕が誰よりも、誰よりも貴女を愛してるはずなのに!!
言葉にならない。
言葉に出来ない。
僕の想いは汚れてる?
神に許されない、だから・・・
だから言えないの?
「でも・・・私は出逢ってしまった。
この世の誰よりも、私は彼を愛するわ。
彼の希望になりたい。
彼の全てになりたい。
そうでなければ・・この世に生まれた意味も、私の存在もなにも
成さないのよ・・」
「違うっ!!ダメだ!
頼むから・・お願いだから、パンドラ・・・」
その身を堕とさないで?

「・・・神に宣する。私パンドラは今この瞬間にその名を捨てます。
私は・・彼を、この人を選ぶ。
神の愛を捨てて。
この名前を捨てて。
聖女の身を捨てて・・・・・」
「・・・・・ンド、ラ・・!」


ーーーーーーー堕天




声は届かない。
祈りは叶わない。

貴女の嘆きは神の嘆き。
貴女の望みは神の望み。

僕の祈りは?
僕の想いは?
最初から、届くモノじゃないと、知っていたのに・・・



二人の瞳が交差する。
その笑みを浮かべて。
彼女は瞳を伏せる。
目の前で。
重なる影。
互いを抱きしめる翼。
白い翼と。
黒い翼。
愛の誓いを交わして。

貴女は堕ちていく。
目の前で。
この手を伸ばしても。
もう。
届かない。
もう。
もう・・・・・



私の名前は・・・
彼がつけてくれたの。
彼だけのモノに成りたかったの。
ごめんね・・?
だから、もうその名を口にしないで。
あなたまで汚れてしまう・・・・」

誰が許さないというの?
誰が貴女を汚すというの?
貴女の名前が禁じられるなんて。
あっていいはずなかったのに・・・・



僕の祈りは?
僕の想いは?
何処へ逝って。
何処で死ねるというんだろう?


最初から分かってた。
僕の想いは届かない。




「コナン君・・・」
抱きしめる腕に知らず力が篭もった。
腕の中の蘭は少しだけ身じろいだ。
けれど。
目を奪われるのは目の前の天使。
否。
天使だった貴女。
誰よりも。
誰よりも逢いたかった。
もう逢えないと知っていたのに。
それでも誰よりも愛してた。
変わらない。
貴女は貴女のまま。
その身を堕としてしまっても。
その瞳も。
微笑みも。
優しい羽根の色も。
何もかも。
あの時のまま。
あの夜のまま。
ただ貴女の身体には、天使の光がなかった。
もう、貴女は天使ではなかった。
それなのに・・・・
「久しぶり・・・逢いたかったわ、コナン君・・・」
言葉が出ない。
何も浮かばない。
だけど。
逢いたかった。
貴女を姿を見れないのは苦しかった。
もう一度。
逢って。
この腕に抱きしめたかった。
誰よりも、愛していたのだと。
伝えたかった。
名前を呼びたかった。
貴女に笑って欲しかった。
あの時も。
今も。
ずっと・・・
「・・・・こ・・」
それなのに。
その名前を呼ぶことは出来なかった。
禁じられた聖女の名前。
もう天界ではその名は消されてしまってる。
だけど。
僕は。
忘れることなんか、出来なかった。
出来なかったんだよ?
腕の中が冷たくなる。
急な力がそれを奪う。
今は。
何よりも、誰よりも大切なモノ。
「蘭姉ちゃんっ!」
「??」
奪われたのはこの世で一番大切な人。
奪った者はこの世で一番憎い男。
また、奪われる。
どんなに大事に愛しても。
僕の人は奪われる。
この黒い翼に。
その黒い魂に。
男の腕の中で。
蘭は泣いた。
哀しそうに。
でも、それでも・・・・
嬉しそうに。
心の闇が解放されていく。
この身が焦がれていく。
知っている。
この憎しみの意味を。
もう、二度目だ・・・・
でも、二度目は・・・・
きっと奪われたりしない!
「コナン君・・・」
「・・・」
貴女の心配そうな瞳は。
哀しそうで苦手だった。
でも。
僕はあの時のままではない。
僕は彼女を愛している。
貴女を忘れることはなかったけど。
貴女を想わない夜はなかったけど。
それでも。
僕が僕でいられたのは。
彼女への愛故だから。
彼女がいなくなったら・・・僕の意味は何処にある?
その視線を外した。
羽根を一枚抜き取る。
羽根を光に変えて。
その矢で僕は狙いを定める。
もう誰も。
僕から、何かを奪うことは許さない。
全てあげてもいい。
けれど。
僕から彼女を奪うことは、例え神であっても・・・・

許せない。
許さない。
絶対に・・・



彼女の驚いたような瞳。
男の呆れたような瞳。
背中で感じる。
貴女の哀しそうな瞳。


僕が・・・
僕が間違ってるの?
だから貴女は笑ってくれないの?

だから貴女は僕から離れていくの?

どうして・・・


僕の声は届かない。

僕の祈りは届かない。

僕の想いは・・・・



最初から、叶わないと知ってたけど。
それでも愛してしまったから。

だから、今度は譲りたくない。
あんな思いは、もうしたくない。

だけど。
貴女も。
君も。
笑ってくれないんだね?

誰よりも愛してるはずなのに。

僕は君に与えられない。

幸福を。

微笑みも。

安らぎも。


ただ、愛してるだけなのに。

ただ、貴女の笑う顔が、見たいだけなのにーーーーーー









2001/06/08









Written by きらり

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