誰も知らなかった夜




時は深夜。
人々の数も少しずつ減っている。
けれど。
まだ街は眠らない。
此処はいつからか不夜城。
誰も朝を望んでいるのに。
誰も夜を終えようとはしない。
場所は東京。
時間は参時。
宴は終わり、また一つ始まっていく頃。
誰も知らないその場所で。
逢瀬は数を重ねていたーーーーーー



風が強い高層ビルの最上階。
その屋上の一角に、風も雨も遮られるそんな場所がある。
人二人が座り込んで話すには丁度良い、貯水タンクの裏。
誰も知るはずがない。
誰が見ることも出来ない。
そんな場所に。
悪魔と天使は存在していた。
「・・へぇ、新一って本当に物知りなのねぇ。」
感心したように、天使は笑って彼を見つめた。
純粋な瞳に映る姿は、容姿だけなら天使とも見間違うほど。
けれど。
浮かべた微笑は悪魔のモノで。
天使をも魅了するであろうその微笑みは。
目の前のただ一人の天使にのみ、捧げられていた。
「そうでもないぜ?蘭だって良く調べてるよ。
最近じゃ図書館にまで足運んでるだろう?
天界の図書館の方がよっぽど本は揃ってると思うけどな。」
「・・・」
驚いたように瞳がパチパチと瞬く。
そうして少しだけ恥ずかしそうに、彼女は新一という名の
悪魔を見上げた。
「・・知ってた、の・・?コナン君に知られたら怒られちゃうから、
こっそり通ってたのに・・・」
「・・・蘭の気配ならどこにいたって、感じ取れる。」
「・・・・」
そんな眼差しと共に。
その言葉を受けて、蘭は今日初めて顔を真っ赤に染めて視線を外してしまった。
そんなふうに言われるのが、恥ずかしいなんてどうしてだろう?
今まで恥ずかしさなんて感じたことなかった。
努めて鈍感でいられたのに。
なにも。
感じたくなかったから、懸命に抑えてきたのに・・・・
それなのに。
新一の言葉一つで、私はこんなに恥ずかしくてどこかに隠れてしまいたくなるの。
嬉しさで胸が詰まる。
こんな気持ち・・・知らなかったのに・・・。
知らないでいれたのに。
でもね・・・知らないでいれたあの頃に。
新一と出逢う前に、戻りたいとは思わないの。
そんなふうに思えない。
思いたくも、ないの。
不思議な感情。
自分の中にあるのに。
まるで、自分の物じゃないみたい。
どこかで、誰かに知られてるんじゃないか、そう思う。
不思議な感情・・・
理解不能なモノ・・・
いつも恋愛なんてふざけたモノ、関係なかった。
まるで自分には無縁な物だと、頭から信じて疑わずにいた。
今自分の中で湧き起こるモノ。
理解不能だった、モノ。
この女が好きだ。
愛してるなんて言葉。
一生涯、想うことなんてないと思っていた。
少なくても、この数百年。
俺には必要なかった。
それなのに。
今目の前のこいつを。
蘭を。
愛してる、無条件にそう思う。
天使を、だ。
俺が。
悪魔である俺が。
天使の女を、愛してるなんて・・・
誰に知られることだろう?
誰が信じることだろう?
そしてあいつ等は・・・。
またアイツは・・・。
めんどくせぇことは嫌いだ。
簡単に終わらせてしまう方法を知っていた。
奪ってしまうこと。
心がダメなら。
身体を。
身体さえダメなら。
命を。
簡単なことだった。
お前を愛するまで、これは。
本当に容易いことだったんだ。
「あ、あのね。この間思ったんだよ?
私たちってどうして天使なのかなぁ?って。
新一前に教えてくれたでしょう?
悪魔たちは卵から生まれないって。」
「・・・ああ。」
「それでね、考えたんだけど。
私たち天使って、鳥が進化した生き物なんじゃないかって、
考えたの。そう考えたら納得いかない?
同じように空が飛べるし、翼もおんなじでしょう?」
「・・・・・」
懸命に話して、納得したように一人で笑う蘭を見て。
俺は思わず笑ってしまった。
「可笑しい??
すっごく近いと思ったんだけどな。」
「くくっ・・だってよぉ、お前それじゃあ俺達悪魔だってそうじゃねぇか。
色は違うがお前等と同じ翼を持っている。
力の差は大きいが、それでも元は変わらねぇだろう?」
「・・・・そっかぁ。せっかく良い答えだと思ったんだけどな。」
不意に思い出して、俺はポケットからそれを出した。
「ほらよ。」
「?」
蘭の手の平の中へ、それを置いた。
不思議そうにそれを見つめて、次に俺を見上げてくる。
首を傾げて、言われなくてもこれなあに?と問い掛けてるのが分かった。
「ミルクキャンディーだよ。」
「キャンディー?」
「ああ。」
改めて聞かれると恥ずかしさがこみ上げる。
んな必要ないんだが、俺は・・・
「はぁ〜〜。お前は地上の食い物食べれないだろう?
ほとんどが命あるモノから作られたモノだからな。」
「・・・うん・・・」
「だからよぉ〜、考えたんだ。
お前でも食えそうな物。けど、やっぱりそうそうねぇんだよなぁ。
それでミルクを使って何か作れないかと考えて、それ作ったんだよ?
砂糖も何もつかってねぇ。」
真剣に説明を聞いていた蘭が、不意に口を開いた。
「・・・新一・・・お料理出来るの?」
「・・・・・・ん、んなわけねぇだろう!?
あのなぁ〜〜〜、俺達はわざわざメシなんか作らねぇんだよっ!!
大体人間界で食べた方が早いしな、それに・・」
それに人間の生気や魂の方がよっぽど美味だ。
俺はそれをあえて言わなかった。
普通の天使ならそれくらい知ってるはずだ。
悪魔は命を喰らう。
それから作られたモノ、そのままのそれを。
禁忌なんて悪魔にはなかった。
だからこそ、俺達は悪魔、なのか・・・。
「・・・それじゃあ・・私のために?」
「・・・そうだよ。いつも俺ばっかなんか喰ってたら悪いだろう?
だからお前にも美味しいって思えるモノ、作ってやりたかったんだよ・・・
それにそれは料理じゃねぇ。俺が創りあげた産物だ。」
「産物?」
「・・・俺の魔力を練り込んで形に成ってるモノだ。
でも毒なんか入っちゃねぇぞ?
ちゃんと喰えるように出来てるからな?!」
「・・・・」
蘭はその手の中の小瓶を振った。
小さなキャンディーがいくつも入っている。
乳白色のまあるいそれ。
一つ一つがキラキラと輝いてるのは、魔力が混ざってるからなんだ。
「・・・一つ、食べてみてもいーい?」
「ああ。それは噛むんじゃねぇぞ?
口の中で舐めるんだ。そのうち溶けてなくなるから。」
「うんv」
蓋を開けて、蘭はその小さなキャンディーを口にほおりこんだ。
「・・・・」
「・・・・どうだ?」
柄にもなく、不安になる。
味見は一応してみたが俺にはさっぱり分からねぇ。
ただ女は甘い物に目がないっていうのを、鵜呑みにしたままだ。
それも控えめな甘さが良いらしい。
女ってゆうのは面倒なもんだ。
それなのに・・・こうして作っちまうんだもんなぁ。
俺も落ちたもんだな。
自嘲が浮かぶ。
しかし、今は何よりも。
蘭の反応が気になった。
「・・・・」
好奇心で溢れた瞳が何度も瞬いて。
口の中で何度も動かしているらしい。
そもそも。天使達は口の中に何か異物を入れることが、ないからな。
金平糖が大丈夫だったから、キャンディーも大丈夫だろうと考えたのだが・・・・
「・・・新一・・・」
「ど、どうだ?」
まるで星が弾けるように、蘭は微笑んで飛び込んできた。
「わっ!ちょ、どうしたんだよ?」
いきなり俺の腕の中に飛び込んできた蘭は、ぎゅううっと俺にしがみついたまま、
顔を上げない。
気に入らなかったのか?
俺は不安にかられた。
ようやく顔を上げて、蘭は満面の笑みを浮かべて言った。
「美味しいっ!すごく美味しいよ?新一!」
「・・・そりゃ良かった・・・」
驚かすんじゃねぇよ・・・。
思わず言葉を飲み込んで。
俺は笑みを漏らしていた。
そうだよ。
こんなことする必要はどこにもないんだ。
それなのに。
俺はこれが見たかった。
嬉しそうに笑う蘭を、その微笑みを。
俺が与えたかったんだ。
バカ、みてぇだな。
恋愛感情なんてこれっぽっちもないと思ってた。
そんなもの、必要なかった。
お前に逢うまでは。
それまでは本当にこんな感情持ってなかった。
お前を愛するまでは・・・
それなのに今は、お前にこの想いに俺は支配されている。
「すごく優しい味・・・初めてもらった金平糖もすごく美味しかったけど、
これはもっと特別な味がする・・・」
「そりゃそうだよ。
俺が魔力を込めたんだ・・・愛情も一匙な?」
「?」
意味が分からないように俺の腕の中で可愛らしく蘭はく日を傾げる。
「・・・ちょっと、外したか・・」
「?」
俺は一人で笑って済ませた。
「新一・・・大好き、大好きよ?」
「知ってる・・・俺もだ。」
恥ずかしそうに俺を見上げて。
視線が合うと嬉しそうに微笑みを浮かべて。
俺はゆっくりと唇を合わせた。
甘いキス。
触れるだけの。
それだけで、甘いキス。
身動きが取れなくなる。
この甘い想いに支配されて。
そうして。
俺は・・・・。





昼間。
こうして地上を歩くのは久しぶりだ。
夜だと派手に出来ないからな。
すれ違う人の生気。
掠っただけで流れ込んでくる。
その苦味を味わいながら。
時々上手そうな魂を見つけては、俺は・・・
「僕の前で堂々と狩らせはしない。」
「おまえ・・・」
笑みが浮かぶ。
遅かったな。
思うよりは早いが。
たくさんの人波の中で隠しはしながらも、なお一層輝く魂の持ち主。
「久しぶりだな、コナン・・・」
「・・・・」
怒りと呼ぶよりは憎しみ。
その色を閉じ込めて。
奴は俺を見上げていた。
「どうしたんだ?一体・・・」
「とぼけるな。分かっているだろう?」
もちろん、分かっていた。
コナンの言いたいこと。
全部、分かっている。
あの時と、同じだろう?
どうせ、あの時と、同じ言葉を言うのだろう?
そしてあの時と俺の答えは同じだ。
変わらない。
変えることは出来ない。
今は、なおさら。
尚更に・・・

「珍しいな、お前が一人で地上に降りてくるなんて。」
「・・・お前に逢うために来た。」
子供の姿をしていても、その口ぶりは大人びていて。
新一は思わず笑ってしまっていた。
もう何百年経った?
お前はどこも変わらないんだな・・。
生まれた時から持っていた正義感、その忠誠心の強さもさながら。
その危ういまでの意思の強さ。
それが己自身を追い詰めるのだと、知っていてもなお手放せずにいる。
人波は無関心を装いながらも、長身の黒のスーツを纏った男と、その隣りで
無表情で歩いている美少年にそれなりの視線を流していた。
「・・・さすがにここじゃ目立つな・・・」
少し考えて、新一は昼間でも人数の少ない路地に曲がり入った。
コナンは無言のままにそれについていく。
しばらくすると、人一人いない薄暗い公園にでた。
珍しいことに浮浪者も一人もいない。
二人はそこに入って、一つのベンチに辿り着いた。
新一はその古ぼけたベンチに腰をかけた。
「・・・直入に言おう。
蘭・・から、手を引け。
今ならまだ許そう。もう二度と彼女に近付くな。」
言うべきことはこれだけだ。
しかし。
それには“YES”の返事が必要だ。
なにもかも。
分かったような顔をして、新一は立って自分を見つめている。
黒い瞳に微笑んで見せた。
「その件に関してははっきりと答えよう。
“NO”だ。
俺はもう、蘭を失うことは出来ない。」
「・・・・お前は・・ら、んさえ・・奪うつもりか?」
感情を押し殺した声。
子供らしくないそれが、妙に静かに耳に流れ込んでくる。
「俺は何も奪ってはいない。
少なくても、お前からはまだ・・・。
これからだって、たった一つだ。
蘭しか、俺はいらない。」
「彼女は俺の物だっ!」
感情が弾け飛んで、新一の中にもそれが流れ込む。
怒り。
哀しみ。
苦しみ。
悔しさ。
絶望。
小さな望み。
それだけがコナンを何年もの間支えてくれていた。
それに気付かないわけがない。
それが分からないわけでもない。
けれど。
新一には譲れなかった。
その思いがコナンも同じであることを、思い知っていても・・・。
たとえ。
誰を敵に回しても。
神さえも。
お前さえも。
「おまえ達はまた俺から聖女を奪うんだな・・・
一度だけではない。
二度目、だ。
・・・俺が愛する者を、一人ではなく二人も奪うつもりなのかっ!?
そうか・・それが、悪魔と呼ばれる者なのだったな・・・」
ぼんやりと新一から視線を外し。
コナンは真っ直ぐにあのビルを見つめた。
何度も天上から見下ろしていた。
何度も言葉を噛み殺した。
悪魔を呪う言葉。
神を、憎む言葉。
このまま・・・堕ちてしまえば楽に・・・
楽になれるんだろうか?
・・・・蘭は?
蘭を、天上に残して。
あれを誰に渡せるというのだろう?
あれを神に・・・・・
許せない。
誰の物でもない。
蘭は、僕の、モノ。
誰の物でもない。
新一の。
悪魔にも渡さない。
たとえ、蘭が、望んでも。
そう・・・・誰にもやらない。
この翼が狂気に染まってもーーーーーーーー

遠くで。
自分の名前を呼ばれた。
どうでもよかった。

だけど。
ーーーーーーーーお前には、渡さない。

誰にもやらないーーーーーーーーーー






「もともと神は邪悪なる者、その意志を継ぐ者を地上に堕とし、
天使だった者たちをその地界、魔界に封じたという。
神は全ての邪悪を天界から追放した。
それが天界の歴史だろう?」
「・・・・・」
「だが、それは真実ではないと思う。
確かに地上にも魔界にも、天使だった者がいる。
だが・・・それは自らが選んだ結果だ。」
「自分が望んだ・・・?」
冷たい風が二人を包み込む。
冷たい、けれどどこか優しいそれに。
蘭は微笑みを浮かべた。
「人間と悪魔。
この二つに共通するモノは意思だ。
それは欲望。
天使たちにはそれがない。
あったとしても、神の意思が最優先だろう?
なにをも逆らっても、手に入れたいという意志がない。
あったとしても抑えこむ。
自らで抑え込められるそれは、たいした意志ではないんだ。」
「・・・・意志、神様の意思さえも逆らってしまう欲望・・・
それってどんな感情なの?
新一には・・・そんな感情、あるの?」
「ある。」
真剣な瞳。
その濃い色に映る自分が。
私は今、一番好きだった。
固い表情が和らいで、私を見つめる。
そうして頬を両手の平で抱き包まれた。
「こうしてる時間。
お前とこうする時間が、今の俺には何よりも大事だ。
何を犠牲にしても。
誰に背いても。
俺は、お前がいい。」
「・・・・」
その強さに眩暈がする。
自分の感情に戸惑う。
喜びを感じる、自分がなんだか自分じゃないようで。
私は怖くて瞳を閉じた。
「蘭・・・」
この声が好き。
あなたに呼ばれるのが、何より嬉しい。
誰に名前を呼ばれても。
こんな気持ちにはなれなかった。
それが怖い。
嬉しくて、怖い。
新一が怖いんじゃない。
底のない喜びを。
感じるこの気持ち。
今まで知らなかった。
知らなくて平気だった。
でも。
一度知ってしまったら。
この喜びを感じてしまったら。
私は・・・
「・・蘭、好きだ。」
「新一・・・あなたが好き。
こんな気持ち・・・どうしたらいいか分からないの。
私は・・天使じゃないのかなぁ?
だから・・こんな罪を背負うの?」
「・・・・・・」
私の罪を誰も知らない。
私はどこから生まれたのだろう?
天使だっていうけれど。
神様を愛せない、天使はいないのでしょう?
愛はなに?
罪はどこ?
私は誰?
本当は・・・何処に在るの?
此処にある。
今、私の中に、確かに、在る。
この感情は・・・なんなのでしょう?
神様もくれなかった。
コナン君も教えてくれなかった。
新一だけが。
私に与える痛み。
この想いの喜び。
痛くて。
嬉しくて。
言わなくては、いられないの。



「新一・・・あなたを、愛してる・・・」






天上で全てを見つめていた。
彼女の声が届かなくとも。
彼女の唇が。
囁く形が、目に見えた。
声にならない悲鳴。
怒りよりも悲しくて。
哀しみよりも憎らしくて。
憎しみも、その愛情が許したくて。
コナンは突っ伏した。
誰も知らない。
誰も見てない。
神様にも言えない。
これは・・・・罪。
僕が許すよ?
僕が受け止める。
神様がそうしなくても。
これが・・・・愛?

たとえ君が、彼を愛していても。
その罪に気付いてもいても。
僕は、君を許すよ?

僕は君を・・・
「・・ない、渡さない、誰にも・・・・誰にもだっ!!」

もう誰も僕から聖女を奪えない。

もう誰にもやらない。

聖なる者を。

たとえ、君の翼をもいでしまっても。

何処にも飛べなくなっても。

君を守るよ?

愛してるよ。


知っていた。
愛の仕組みを。
その磁石のような秘密を。
愛は愛に惹かれていく。

愛の対は・・・

いつも憎しみでしかないのだ。






2001/05/26









Written by きらり

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