桜月夜




時は春も暮れる頃。
もう人々は眠りについている。
それでも此処は眠らない不夜城。
場所は東京。
時間は参時。
狂気に染まった街が少しずつ眠りにつこうとする頃。
俺たちは、愚かな密会を繰り返していたーーーーーー


繁華街の外れの東公園。
その桜並木の中に彼女はいた。
公園には若い人間達で溢れている。
その隅には放浪者の数もちらほらと見える。
騒がしい場所だ。
それなのに、皆暗闇に潜んで何か蠢いている。
くだらない会話。
くだらない生活。
そんなものが必要だという、愚者達を血祭りに上げるのも。
たまにはおもしろいかもしれないな。
我ながら退屈な暇つぶしだと理解する。
そんな物騒な思考も停止した。
その光景。
その美しさ。
その危うさ。
息を飲み込むのが、自分でも分かる。
息を潜めて、その姿を凝視する。
一番古い桜の幹に。
寄り添ってうっとりと瞳を閉じる聖女。
その艶めいた黒髪。
闇夜に紛れても、その艶は闇にも消えない。
それが春の夜風に煽られて、優雅になびいて見せる。
見事な桜樹はその最後の花を舞い散らせ、その聖女を艶やかに彩らせた。
まるで雪のようにそれは彼女の肌を撫で落ちて。
その最後の華を聖女に捧げる。
まるで夢のような美しさに。
俺は溜め息を漏らしていた。
「新一?」
聖女は瞳を開けて、俺を映した。
俺を認めると花が開いたように微笑む。
そしてその白い羽根をゆっくり羽ばたかせて、俺の元へと降りてきた。
「・・・・・」
思わずその身体を引き寄せていた。
白い羽根。
その夢のような白さに息が洩れる。
この世に、こんな天使がいるなんて知らなかった。
こんな・・・
「遅かったね、新一。」
俺の腕の中で蘭は笑った。
本当に、いつみてもこいつは美しい。
俺はその顔をもう一度見つめて、そうしてその頬を撫でた。
「待たせたか?悪かったな・・・」
自分でもこんな言葉が口から出るのが可笑しい。
こんな言葉、どんな女にも言ったことがなかった。
俺にもこんなことが言えるのかと思うと、笑みが零れてしょうがない。
「ううん、私も今来たところだったの。早く、逢いたくて。
急いで降りてきたんだけどね。」
「・・・・」
かなわねぇな、そう思う。
愛しくて仕方ない。
初めて逢った時、こんなふうに思うなんて考えもしなかった。
それなのに。
次に逢った時、その次に逢うたび。
もう何度もそれを繰り返すたびに。
愛しさが募る。
その美しさに感嘆する。
なにもかも、奪いたくなるほどに。
なにもかも、守ってやりたいくらいに。
「こんな下まで降りてくるなんて、珍しいな。
いつもあの上で待っているのに・・・。」
「見つけにくかった?ごめんね・・」
「そうじゃねぇよ。
お前を見つけ出すなんて、俺には息をするより容易いことだぜ?」
「・・・・・」
蘭は少し驚いたように俺を見上げる。
その頬が少しだけ赤く染まり、俺はそんな姿を嬉しく思う。
すっかり、こいつに嵌まってるな・・・。
不意に呼ばれたように蘭は俺の腕の中をするりと抜け出した。
そうして先ほどまで寄り添っていた桜に歩み寄る。
「今年最後だから・・・このコが呼んでくれたの。綺麗ね・・」
その幹を仰ぎ、蘭は微笑みかけた。
その頬を桜の花弁はいとおしそうに撫でて落ちていく。
「こいつももう最後か・・・。」
俺は蘭に寄り添い、それを見上げた。
桜の木。
そんなもの美しいなどと、感じたことはない。
けれど今その肌を髪を彩るそれは、美しいと思った。
「もうすっかり葉だけになっちまうな・・。」
「うん、また来年会えるわ・・・。今年もとても綺麗だった。」
お疲れ様、そういって蘭はその枝にキスをした。
・・・なんだ?
この違和感は。
おもしろくねぇ。
蘭が桜の木を見つめるのが?
その枝にキスしたのが?
そんなに綺麗な微笑みを向けるのが?
「・・・・・」
俺は思わずその光景に背を向けていた。
冗談じゃねぇ。
ただの植物になんでこんな気持ち抱かなきゃいけねぇんだよ。
冗談じゃねぇ・・・・
「新一?どうしたの?」
すぐ後ろから蘭が俺を見上げる。
ふわりと舞った身体が、俺の肩に触れる。
ちきしょう、こいつは本当に綺麗だ。
その身体を抱き締めた。
「もう、いいのか?」
「うん、充分。また来年来るって約束したの。」
「そうか・・・」
俺はしまいこんだ羽根を開いた。
蘭を抱き上げたまま、空へと飛び立つ。
俺の腕の中でそのスピードに思わず目を瞑るそれに、笑みが零れ。
俺はもう一度しっかりと蘭を抱き締めなおした。
そうして。
連れて来たのはいつも俺たちが逢瀬を繰り返す、この場所。
高層ビルの最上階、貯水タンクの上だ。
「ふふ、いつもここに来ちゃうね。」
俺は羽根をしまいこんで、その場に座り込む。
そうして蘭をもう一度抱き寄せた。
「そりゃな、此処が一番他のヤツに邪魔されねぇ。
結界も特別でかいの貼ってるからな、並みの天使や悪魔じゃ気付きもしねぇよ。」
その首筋に顔を埋める。
いい匂いがして、俺はうっとりと瞳を閉じた。
こいつはあったけぇ。
いつも、いい匂いがする。
身体の内側から、精神の内からそれは漂う。
こいつの心が本当に美しいことを思い知る。
それを、どこかでグチャグチャにしてやりたい自分を抑えつつ。
「あったかい・・・新一の腕の中って、すごく温かいよ?」
「そうか?おめぇがあったけぇんだよ?」
「ふふ・・」
蘭は小さく微笑む。
それが本当に嬉しそうで、俺も嬉しくなるのだ。
「なんでだろう?最近ね、私新一に逢いたくない時があるの・・・」
小さな声が秘密を漏らす。
「!?」
俺は内心の動揺を押し隠した。
なんでもないことのように、声を装う。
「なんでだ?」
「・・なんでだろう?逢うのがすごく楽しみで・・分かれる時、
いつもまた明日も会いたいなって思う。
でもね・・・怖いの、なんだか逢う度に離れたくなくなってるんだもん・・・」
「・・・・・・」
それって・・・・。
いや、まさかな。でも・・・
自惚れたい。
俺から離れたくないだって?
そんなの・・・俺の方がよっぽど離したくねぇっていうのに。
出来るなら、魔界に・・・無理だ。
自嘲した。
最初から堕とすつもりだった。
この綺麗な羽根を血に染めて、絶望に浸してやろうと思った。
その羽根が、真っ黒に染まるまで。
俺の手で愛でてやりたい。
それなのに、バカみてぇだ・・・こいつが俺を嫌いになるかもしれない。
そう考えたら、一歩も動き出せなくなってしまった。
こうして抱き締めて、今を繋ぎとめてるのがやっとだ。
この俺がだぜ?
どうかしてる・・・本当に。
「私・・・どこかおかしいのかな?」
「そうじゃねぇよ・・・蘭、俺もだよ?」
「え?」
振り返ろうとする蘭に、顔を見られないように肩に埋めた。
「俺だって、離したくねぇ・・このまま・・・こうしていたいよ?」
「新一も?」
「・・・ああ。」
暫く黙り込んで、ビルの下の明かりを見つめた。
そうだよ・・お前に逢うためにこうして時間削ってるんだ。
本当なら今頃地上で魂を狩ったり、いろいろしてる。
俺だってそんな見かけほど、暇じゃねぇんだ。
「なら、いいや。だってね、すごく恥ずかしいんだもの。
新一といると嬉しいし、楽しいんだけど・・・もっともっと一緒にいたくて、
仕方なくなっちゃうの・・。
そしてね、いつも逃げ出したいくらい、恥ずかしいの・・・」
「・・・・・」
「どうしてなのかな?他の人だと平気なんだけど、新一といるのは恥ずかしくて
・・でも、それを我慢しても・・・一緒にいたいの。・・きゃっ!?」
その身体を引き寄せる。
そうして俺の重みをかけて、その身体を倒した。
黒い瞳が瞬いて、そうして俺を見上げている。
「・・・・新一?」
んな、無防備に俺を見るなよ。
このまま、全部喰らっちまいたいくらいなのに・・・。
そんな目で俺を見るな。
そんな言葉で惑わすな。
俺は自惚れちまう。
俺は・・・
「どうしたの?」
白い手が俺の頬を優しく撫でる。
宥めるように、ゆっくりと。
いとおしそうに微笑んで。
「・・・蘭・・好きだ。」
「・・・・」
蘭はきょとんと俺を見つめている。
その瞳を見て、我に返った。
俺は今、何を言った?
決して言ってはいけない言葉ではないのか?
俺は・・・?
「・・・初めて言ってくれたね?」
「・・・あ?」
その細い両腕が俺の首に回った。
良い匂いが俺の鼻腔を擽る。
その頬が、唇が。
自分の頬に当たって、俺は自覚した。
「・・蘭?」
「いつ言ってくれるのかな?って思ってたの。
コナン君はいつでも言ってくれるのに、新一は言ってくれないから・・
もしかして、嫌われてるのかと思った・・・」
「・・・・そんなわけ・・」
そんなわけねぇだろ。
大体悪魔が天使なんか本気で相手するわけないじゃねぇか。
その反対もそうだけれど・・・。
けれど。
やっぱりお前は分かってないのかもしれない。
俺の「好き」はコナンの「好き」とは違う。
そもそもコナンの「好き」だって。
こいつは本当には理解していないのだろう。
浮いた背中に手を回して、その身体を支えてやる。
自分が今どんな格好をしているのかさえ、こいつは自覚していない。
本当にその辺の悪魔を相手にしてたら、お前なんかとっくに
全部喰らわれてやがる。
そんなの俺が許さないけど。
けれど、今は己の自制の方に自信がなかった。
その身体を抱き上げて、もう一度ちゃんと座らせた。
そうして俺もその腕を離す。
少しだけ蘭から目を離して、そうしてこっそり呼吸を整えた。
「私も新一のこと、好きよ。初めて逢った時より、もっともっと好き。」
「蘭・・・」
なんてヤツだよ。
自覚が全くねぇ。
そんな面で、そんな瞳で。
そんな言葉言われて、理性を保てる男がいたらお目にかかりたいね!
こんな天使一人、汚して堕とすのは容易いことだ。
少なくても、今までは。
今までは容易く出来ていた。
「はぁ・・・・」
大きく息を吐く。
そうでもしなきゃ、俺は本当にやってられねぇ。
「・・・なにか、私変なこと言った?」
「違ぇよ。そんなんじゃねぇ・・・嬉しかっただけだ。」
手を俺の膝について、顔を覗き込んでくる。
長い髪が俺の腕に絡まっていた。
風がその髪を奪って、攫っていく。
こんな目の前にあるのに・・・
こうして触れることさえも、本当は躊躇うんだ。
あんまり綺麗すぎて。
俺はなんだかおかしな気分になる。
こんなふうに思うのは初めてのことだ。
魔界の奴等に知られたら良い笑いのネタになっちまう。
この俺が。
抱くことすら躊躇う女がいるなんて。
それこそ、親父やお袋に知られたら・・・一生冷やかされるに決まってる。
「私も嬉しいよ?新一に、嫌われてるのかもって思ってたから。」
「んなわけねぇだろう?
お前のこと、嫌いになれるヤツがいるならお目にかかりたいね。」
「・・・・」
少しだけ、蘭が悲しそうに目を伏せる。
「?」
「いるわ・・・私もお目にかかることは難しいけれど・・・
神様はきっと私を嫌ってる・・・」
そんな表情を見たことはなかった。
蘭が悲しそうに、不安そうに、でもどこか。
憎しみを秘めたような・・・。
「蘭?」
「新一・・・」
俺の身体にぴったりと寄り添って、腕の中に堕ちてくる。
このまま、お前を引き摺り落とせたら・・・。
「きっと私は許されてないもの。神様にお会いしたこともない・・・
きっと、私が神様に会いたいなんて思ってないことを知ってらっしゃるんだわ・・・。」
「蘭・・・」
その細い身体を閉じ込める。
「ねぇ、新一・・・もっと。」
「蘭・・・」
甘えるように蘭が強請る。
俺は笑って、それを叶えた。
しまい込んだ6枚の羽根を広げて。
そうして蘭の身体を抱き包んで、隠してやる。
そうすると、蘭は安堵したように俺を見上げた。
その瞳に吸い込まれそうになる。
そんな錯覚の中で、俺は優しく口付けた。
こんな触れるだけのキスなんて。
もしかしたら初めてかもしれねぇな。
そう考えると可笑しかった。
それでも、その匂いに甘さに惹かれて何度もそれを啄ばむ。
優しく出来るだけ怖がらせないように、愛しさを込めて。
何度も。 




何度も。
その唇が降りてくる。
瞳を閉じて。
全部預けて。
私はそれを待ち望む。
新一のその腕に、羽根に抱かれてると。
本当に気持ちが良くて、安心出来る。
最近、新一と逢うのが怖かった。
こうしてこの腕に羽根に抱かれると、離れたくなくなってしまう。
一人でいると、その腕が恋しくて。
地上に降りてきてしまう。
きっとあなたがいてくれるから。
「蘭・・・」
耳のすぐ傍で、新一の優しい声がする。
耳を擽る温かい吐息が、まるで夢を見ているような気分にさせる。
こんなふうになるのは、新一の腕の中だけだった。
コナン君にだって、こんな気持ちにはならない。
どうしてなんだろう?
どうしてこんなに、新一は温かいの?
優しいの?
悪魔ってみんなこうなのかなぁ?
もしそうなら・・・天使よりずっと優しいのに・・・。
愛しさに胸が詰まる。
その甘さが息苦しくて。
私は微笑んで、顔を埋めた。
心音の音が耳に心地よく響く。
大好き。
新一が好き。
初めて逢った時、こんなふうに想うなんて想像も出来なかった。
でもね。
今は誰よりも好き。
一番、好き。
こんな気持ちをなんて伝えればいいのか、分からないけど。
でもこうしていて、少しでも新一に伝わればいいな。
「好きだ・・・蘭・・」
「うん、私も好き。大好きだよ、新一・・」
答える代わりに、強く抱き締めてくれる。
こんな抱擁知らない。
コナン君はいつも優しく抱き締めてくれる。
決して痛みやなにかを与えない。
でもね・・痛くてもいいの。
痛くしても良い。
新一に強く抱き締められるのは好き。
なんでだろう?
優しく扱われるのも心地良いのだけれど、時々こうして強く抱いて欲しいと思う。
離さないで欲しいと思うの。
私はどうかしちゃったのかなぁ?
どうしてこんなふうに思っちゃうんだろう?
考えても考えても、分からなかった。
逢えない時は逢いたくて、それどころじゃないし。
逢えたら嬉しくて、そんなこと考えていられない。
こうしてキスされるだけで。
この一瞬だけで。
私は全てどうでも良くなってしまう・・・。
奇妙な罪悪感。
コナン君に最初に言われたっけ。
もう、決して新一に近付いちゃいけないって。
どうしてなんだろう?
一度だけ聞いた。
どうして?って。
コナン君は今まで見せたこともない不安げな顔で、私を見つめた。
その手の平が私を撫でる。
優しく、何度も。
「どうしても、だよ・・・」
それでも。
私はこうして地上に降りてる。
今は、もう新一に逢うためだけに。
コナン君は本当は気付いてる。
私がこうして新一と逢っていること。
コナン君が私のことで、知らないことは何もないもの。
全て知ってる。
私が新一を、好きなことも?
何も言わないけど、それは許してくれてるのかな?
私が新一に逢いたいと思うこと。
新一を想って、朝を迎えること。
夜を焦がれるほどに待つことを。



それにしても、参ったな・・・。
天使に恋をするなんて。
考えたことも無かったぜ。
最初逢ったあの時から、やばいとは感じていたが。
まさかこれほどに嵌まるなんて・・・。
信じられねぇな。
先のことを考えると、穏やかではいられない。
けれど今腕の中で微笑むこいつを見ていると、そんなこともどうでもよくなる。
先のことはあとで考えよう。
今はーーーー


ただこの天使に溺れていたい。
何度も口付けて。
何度も囁いて。
朝も夜も、俺だけを考えているようにしてやりたい。
いつかお前にこの想いが理解できたら、
そうして受け入れてくれたなら。
その時はお前を離せない。
天界にも返したくない。
一緒にいたい。
千の夜も。
千の朝も。
お前と過ごし、迎えたい。
その為に何を失おうと構わない。
たとえ神を敵に回しても。
それでも構わない。
俺の物だ。
最初に決めた。
一目見て、そうだと分かった。
こいつは俺にとって何よりも・・・・。
そんな存在になることを。


血の雨を降らせても良い。
お前を無くさずに済むなら。
何をしても構わない。
お前が泣かないでくれるなら。
たとえ神が許さなくとも、
お前が俺を許してくれればいい。


それだけで。
他はどうなっても構わないーーーーー









Written by きらり

(C)2004: Kirari all rights reserved.
+転載禁止+