誰も知らない朝




神様・・・
僕は有罪です。
何をしても、
何をされても。
僕の黒く染まった心は
何も感じたりしないのです・・・




時は流れを変えて。
朝も夜もない世界。
朝も夜も在る世界。
全てを司る全能の大地。
そこは天界。
天使達はまだ明けぬ夜の戯れに目を閉じていた。
眠る者もそうでない者も其処から動きはしない。
神の目覚めの声を聞くまではーーーーーー



『・・・・コナン』
静寂を閉じ込めた神殿の奥深くで、静かな声が響き渡る。
彼は跪き、頭を垂れた。
「此処にいます。」
2対の羽根を折りたたみ、じっとその声を待つ。
『あなただけに頼みたいことがあります。』
「・・・・・」
一呼吸の合間。
そうして言葉は紡がれる。
『この卵を育てなさい。』
透明な闇の中に純白の光を帯びた小さな卵が彼の前へ、ゆっくりと降り立った。
「・・・これは・・?」
『天使です。本来なら天神樹が育ててくれるのですが
・・・・その卵は落ちたのです。』
「・・・・・」
両手の平でそれを優しく包み込むように受け止める。
触れると、卵から穏やかな温かさが伝わってきた。
(落ちた・・?卵が天神樹から??)
『御前は頭が良い・・気付いたでしょう。御前にそれを任せます。
よろしいでしょうか?』
「勿論です。きっと無事に育てあげて見せます。」
『・・・頼みましたよ。けれど、一つだけ・・・』
穏やかな神の声がコナンの耳にそっと囁いた。
『決してそれを堕としてはなりませんよ?』
彼は無言のまま頷き、立ち上がると天を仰いだ。
「この天使に祝福を・・・」
『・・・・・・・・』
「?」
手の中の卵が哀しげに揺れ動く。
それに気付いて彼は眉をひそめた。
(もう、生まれるのか?)
『・・その必要はありません・・・どうしてもというなら、
コナン・・・御前が与えなさい。』
「・・・!?」
彼は表情も変えずにその場を後にした。
分かっていた。
この卵は普通じゃない。
そもそも神が直々に天使の誕生に関与することはないのだ。
用心を重ねて朝鳴き樂鳥が鳴く前に、僕だけを呼んだ。
他の天使も騎士達も誰もいない神殿に。
今はもう朽ち果てた先神の眠る神殿で。


神の目覚めと共に、朝鳴き樂鳥が鳴き始める。
天界に朝と太陽の光を届けるそれは、迅速に朝を告げる。
そうしてその次にはもう夜の闇を迎えに行っているのだ。
姿を変え。
夜を紡ぐ闇鳴き侵鳥として。
「・・・おはよう」
枕もとに忍ばせた卵に囁きかける。
それは淡い光を放って応えている。
思っているよりもずっと成長しているようだった。
この分だと今日か明日には孵化するかもしれないな。
卵が孵るまでの間、コナンはこの自室のある宮殿で出来る
仕事のみを任されていた。
「・・・こんなにのんびりとした朝は初めてかもしれないな。」
寝台に座ったまま何をすればいいのかしばらく考えていた。
今のところ、急いで片付けなければならない用事はない。
珍しく暇を持て余す。
こんなふうになにもしなくて良い時間は酷く久しぶりだった。
なにをすればいいかも思いつかない。
したいことも、自分にはなかった。
ただ卵を見つめるだけ。
そういえば・・・こんなに天使の卵を身近で見るのは初めてかもしれない。
自分が記憶していたよりも、ずっと卵は大きかった。
そして温かくて、美しい色をしている。
乳白色。
大理石のような艶と堅さ。
自分もこれから生まれたのは覚えているが、
中身がどんな場所だったかは覚えていなかった。
たいして外の世界と変わっていなかった気がする。
生まれた時の感動も、何もなかった。
ただ神の前に連れて行かれて、祝福を受けた。
その瞬間、背中が熱くて・・・・
「・・・・・」
そうして僕の未来は定められた。

祝福を受けない卵。
それがなんなのか、自分は知らない。
そんな卵天界に存在はしない。
そもそも。
天使の卵が天神樹から落ちるはずがないのだ。
それでもこの卵は落ちた。
だから此処にある。
重かったのか?卵が・・・
持ってみるが自分にはそんな大した重さは感じなかった。
持ったことはないが、おそらくこんなものだろう。
むしろ、軽いくらいだ。
本当にこの中に一人の天使が入っているのだろうか?
なんだかおかしくなった。
この中に一つの命がある。
それは今この手の中に在る。
神が祝福を与えないなら、僕が与える。
神にしか与えらないモノを。
神さえも与えられないモノを。
与えることが出来る優越。
そして占欲。
これは僕が育てるのだ。
出来るか否か。
それが問題なんじゃない。
僕だけが与えるのだ。
そこが主。
生まれて初めて、何かを与えられた。
それは神からなのかもしれない。
けれど、それよりももっと遠い場所から与えられた。
神様さえ、見えない場所から。

名前を考えなくてはいけない。
この天使の名前。
きっともうすぐに生まれてくるであろう。
たった一人の天使の名を。
「・・・・」
朝からだいぶ時間が過ぎた。
それでもこれだという、良い名が思いつかなかった。
こんな他愛もないことを、だけどとても大切なことを。
こんなふうに時間をかけて考えるのも初めてのこと。
僕は今まで何をしていたのだろう?
毎日、こんな時間をどうやって過ごしていた?
何も考えずに。
与えられる仕事と任務を完了させ、そうして他の天使達の指導に当たる。
そうして夜は訪れて、朝まで眠り。
目覚めたらまた同じことの繰り返し。
それをもう・・・何百年繰り返したんだろう・・・。
これまでなにも疑問はもたなかった。
疑問に思う必要もなかった。
己の天命はこの天界と神と共に在るのだ。
全ては神の御心のままに・・・・
この卵が落ちたのも、神の御心からなのだろうか?
それがこの天使の天命。
そしてこの手で孵されるのも。
全て神の導きなのだ。
「・・・僕は」
そっと目を伏せた。
誰にも聞こえないように、囁いて聞かせる。
「僕は・・・有罪だ。」
白い光は優しく瞬く。
そうして帯びた光が柔らかにコナンの手を包み込んだ。
「・・・オマエ・・?」
柔らかな光が優しく光を放ち、まるで笑ったように輝いて見せた。
「すごい、な・・・こんなふうに意志を伝えられるのか?卵の中からでも・・・」
自分がこんなふうに出来たか考える。
だがいくら記憶を呼び覚ましても、もう何百年も昔のことは覚えていなかった。
なぜだろう?
他の記憶は確かなのに、孵る前の記憶だけはどうしても欠けている。
まるで最初からなったかのように、そこだけが白かった。
思い出せない・・・。

朝から夜が訪れるまで。
コナンは寝台から降りることはなかった。
宮殿にいる使用の者達も心配をして声を掛けに訪れるが、
暫く放っておいてくれと言っただけで済ませてしまった。
部屋の明かりを灯すこともなく、コナンは腕に卵を抱いたまま思い巡らせていた。
思い出せない。
そこだけがない。
どう考えても。
腕の中で優しい温もりがコナンの思考を支えていた。
そうじゃない。
なかったのだ。
最初から。
記憶は鮮明に思い出せる。
忘れてしまったことも、時を遡って思い出させれば容易く思い出すことが出来た。
けれど。
その生まれる前の記憶。
そこだけがどうしてもなかった。
今まで思い出す必要なんかなかったから、考えたこともなかった。
今だって。思い出したからといって、そういうわけでもない。
思い出せないことが引っかかっているのだ。
・・・思い出してはいけないのかもしれない。
そして。
そんなふうに考えてしまう、自分は。
やはり、有罪なのだ。
「・・・神は全て知っていらっしゃるのか?僕が・・・」
罪を犯したこと。
間違った行動を取ったこと。
知っていて僕を生かすのか?
天使として。
この世界で。
僕を生かしていくのだろうか?
それが罰・・なのだろうか?
そして今、こうして祝福を与えられない卵を自身に託す。
これが罰?
だとしたら、軽いな。
軽すぎて・・・たくなる。
そして、この託された天使の天命はどうなるのだろう?
僕と共に在るのだろうか?
何も知らない純真な命を汚れたこの手で祝福することが。
僕の罰なのだろうか?
この天使はどうなるのだろう?
僕の戒めとして、生まれてくるのか?
神様・・・・
僕は有罪です。
きっとそんなことをしても、
僕の心は痛まない。
それほどに重い罪を犯したのだから。
この汚れを知らぬ魂が。
この手で汚れてしまっても。
僕は何も感じない。
こんな黒い心じゃ、
痛みも何も感じないのですーーーーーーーー



朝鳴き樂鳥の鳴き声が響き渡る。
この閉ざされた宮殿の奥深くまで。
その白い光を携えて、朝を告げに訪れる。
「・・・・っ?」
薄い絹のシーツの中がなんだか妙に温かい。
目の前の腕の白さに驚いた。
まるで・・天使の卵だな・・・
「なっ!?」
思わず飛び上がる。
自分のすぐ横に、一人の天使が横たわっていた。
生まれたばかりの白い肌。
透明な白さに目を奪われる。
その危うい美しさ。
細い腕、足も。
目のやり場に困って、そのシーツを被せた。
「・・・・生まれたのか?・・」
目覚めたばかりの思考がやっと意識に追いつく。
「・・・参った・・」
思わず声にしていた。
微かにそのシーツが揺れる。
もそもそと頭を出して、辺りを伺う。
やけに黒く感じる瞳が、朝の光に透けて藍色に瞬いた。
「・・・?」
不思議そうに此方を見上げている。
まるで分かってないんだろうな・・・可笑しくなって笑ってしまった。
「僕はコナン。」
「・・・ナ、ン?」
「そう、コナン。」
瞬いた瞳が綺麗に弾ける。
それに目を奪われた。
きっと。
心ごと全部。
彼女は起き上がる。
コナンよりも幾分か大きな身体。
けれどその細さはコナンさえもが抱き包めるほど。
その肢体を隠そうともせずに、此方を見つめる。
コナンは慌てて、彼女の身体にシーツを巻いた。
「参ったな・・すぐに着替えを持ってこさせよう・・待ってな?」
立ち上がったコナンの服の裾を細い指が掴まえる。
「?」
瞳が怯えたように自分を見上げる。
置いていかれるのが嫌で、彼女は首を振った。
「こ、なん・・コナン・・コナン・・・」
「・・・・・」
細い指が震えていた。
知らずにその手を両手で包み込んでしまっていた。
「大丈夫だ、置いて行ったりしないよ?」
「・・コナン・・・」
生まれたばかりの彼女は世界で初めての言葉を繰り返した。
それしか知らなかった。
だからそれだけを何度も繰り返す。
シーツで包み込んだその身体を抱き締める。
温かくて柔らかな匂いがする。
なんて・・なんて神は巧妙なのだろう。
知らずに微笑んでいた。
哀れで。
少しだけ悔しくて。
「よりによって・・・こんな天使を僕に託すなんて・・・」
「?」
神は巧妙だ。
そして全てを司る。
何もかも神の御心のままに・・・・。
心が悲鳴を上げた。
黒い心が痛みで軋んだ。
一目見ただけで恋に堕ちる。
好きにならずにはいられない。
そんな彼女に、僕のこの手が祝福を与えなくてはいけないのだ。
これは罰。
神は知っているのだ。
僕の罪を。
僕の黒い心を。
だからこうして・・・!
「・・っ!!」
彼女を守りたいと思う。
一目見ただけで分かった。
僕はもう彼女を失えない。
これを守るためなら、きっとなんでもしてしまう。
この天界にいるために。
この天使の存在だけの為に。
神の御心のままに。
「・・・ち・・しょう・・」
「コナン?」
抱き締めたまま、顔を見せてくれないコナンに彼女は不安そうに声を掛ける。
名前を呼ぶ。
そうすることしかまだ知らなかった。
「・・君を守るよ?それが僕の罪だとしても・・・
君がもしも戒めの為に落とされたというのなら、僕が何をしても・・・・」
「・・・コナン?」
「・・・・・」
許して欲しかった。
何も知らないと知っていても。
その汚れない魂が、黒い手に抱かれていることを。
いつか全部・・・君に許して欲しい・・・。
まだ、遠くても。
まだ見えなくても。
まだ、知らないけど。
誰も。
知らないけど・・・・・



「コーナ―ン君♪」
後ろから両目を塞がれる。
細い白い指が世界を覆う。
その愛しさに胸が詰まる。
言葉なんかとても足りなくて・・・。
「・・蘭姉ちゃん。ご機嫌だね。」
「さっきね、風送りの天使に聞いたらもう地上では桜が咲いてるんだって。
今年の春は暖かいからって。ねぇ、あとで一緒に見に行きましょう?」
指に隙間から白い光が差し込んでくる。
柔らかだが容赦ない光が、その指に阻まれて僕を見失う。
笑みが浮かんだ。
君はいつもそうやって、何も知らずに僕を守ってくれるんだ。
その手を掴まえて抱き締めた。
「そうだね、今年はまだお花見をしてないからね。
午後の仕事が地上だから、その時に一緒に降りよう?」
「うんv約束ね?」
「約束。」
しっかりとその指を絡めあう。
そうしてその指先に口付けた。
「じゃそれまで星の河見てくるから。お仕事終ったら、迎えに来てね?」
「ああ、すぐに行くよ?あんまり遠くまで飛んで行かないようにね?」
「はぁーい。」
無邪気な笑顔と白い羽根が白い光に弾けた。
眩しくて目を細めてしまう。
だけど。
見失いようにコナンは空を仰いだ。
「すぐに行くよ!」
彼女は笑って、手を振ってみせる。
それを見送っても、彼も羽ばたいた。
このまま急いで飛んでいけば、西の空まですぐに着く。
そうしたらこれを渡して、今日の仕事は終わりにしよう。
午後はのんびり君と地上を探索しよう。
きっと君は久しぶりの地上にはしゃいで、たくさん笑うだろうな。
そうしてあの桜の花に、毎年のように最初のキスをするんだろう。
「・・・・あいつが来なきゃいいけどな。」
名前を口にするのもおぞましい輩を思い出した。
思わず溜め息が零れる。
いつかあいつとも。
必ず決着をつけてやる。
・・・君のためにも。
その白い心が闇に奪われないように。
君を守りたい。
その身が黒く染まっても。
僕の手なら君を救い上げれるから。
最初から黒いこの手で。
きっと君を守るよ?
もしも君が染まっても。
それさえも僕が被るから。
だから君は綺麗なままで。
そのままで笑っていて?
そうして僕を許していて。
そうしたら・・・・
僕はなんでも出来るから。
君だけの為に。
なんにでも成れるよ?

きっと神にさえも。
どんなに罪深くてもーーーーーーー








2001年3月11日









Written by きらり

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