Merry Christmas Eve☆



聖なる夜





時は聖誕祭。
眠らない不夜城。
東京。
人々はその意味など知らずに、己の欲望だけの為にその夜を祝福し、
浮かれ騒いで、幸せな夢を見る。
己の終わりが目の前に来る瞬間すら、希望を夢見て明日を願う。
場所は池袋。
時間は参時を少し過ぎた頃。
眠らない街は俄かに狂喜に染まり始めていたーーーー


「きっと逢えると、思ったの。」
澄んだ心地よい声が耳の中を当たり前のように、流れていく。
オレンジの光を背に、彼女の翼は金色に透けて見えた。
真冬の空の下に曝け出した肩や、腕。
白いワンピースを一枚だけ纏うその姿に。
新一は魅了された。
容易く理性すらも吹き飛ばしてしまいそうな、
その無防備な肢体に新一は眩暈を覚える。
悪魔にこんな気持ちにさせるなんて、
この天使は恐ろしい生き物なのかもしれない。
だけど、今は。
ゆっくりと彼女の前に降り立った。
「俺も、逢えると思ってた・・」
「どうして?」
まただ。
こうして瞬く瞳に、理性が揺らぐ。
ゆっくりと、息を漏らした。
改めて目の前に立つ女天使を見つめる。
幻影じゃねぇだろうな?
こんなうまい話がそうあるわけない。
アイツの罠じゃねぇだろうな・・・。
思わず触れていた。
触れて、その自分の行為を自覚する。
女はきょとんと自分を見上げていた。
整った顔。真っ白な肌。
可愛らしい顎のライン。そしてピンク色の唇。
そして何より。
そのどこまでも沈んでしまいそうなほど深い夜の海を閉じ込めた、
黒真珠のような両の瞳。
触れた頬が思うよりずっと冷たくて、新一は驚いた。
一体いつから此処にいたのだろう?
「ねぇ・・・どうして?」
甘い誘惑にも似たその呟きに、新一は指を離した。
そうしてとびっきりのトーンでその可愛らしい耳に囁く。
「逢いたいと想ったから。・・・そうして、逢えただろう?」
「・・・うん。」
極上の笑みを浮かべたはずだった。
それなのに、女のその無邪気な笑顔。
適うはずがない。
心からのそれ。
純粋な心の強さ。
それが嫌いだった。
今すぐに、めちゃくちゃに壊してしまいたいほど。
その気高い白い翼が、血の色に染まる光景を新一は夢見る。
そうして、すぐに気持ちを切り替えた。
すべては。
この先の光景の為に。

「・・・今日は一人なのか?」
遠まわしに聞こうとも思ったが、うまい言い回しが浮かばなかった。
ストレートにそのまま聞いてしまう。
蘭は地上を見下ろしたまま、こくりと頷いた。
「今日はね、天使長さまたちの大事なお話があるんだって。
だから、一人で降りてきたの。」
「そうか。」
同じく地上を見下ろしながら、それでも視界にはしっかりと蘭を捉えている。
長い黒い髪。艶やかなそれは冷たい北風に優しい仕種で撫でられる。
そんなもの見慣れてるはずなのに、なんだか綺麗だなと思った。
そして、そんなことを考える自分を自嘲する。
手順はゆっくりと、確実に。
時間をかければかけるほど、それは深く深く闇を纏う。
「地上が好きなのか?」
「うん好き。地上もこの街も人間も。みんな・・・好き。」
うっとりと愛を囁くようにその声は甘く響く。
「なぜ?」
本当に疑問だった。
驚いたように蘭は新一を見上げる。
膝を抱え込んで座ったまま、蘭は黒い翼を見上げた。
「分かんない・・・どうして好きか?きっと・・・綺麗だから。」
「・・・」
目を細めて蘭は新一を見つめる。
そうしてゆっくりと手を差し伸べた。
「?」
思わずその手に触れると、蘭は少しだけ力を入れて握ってくる。
新一は蘭を起こしてやった。
そうか。いつもコナンにそうやってもらってるんだな。
・・・・・・・ったく、甘やかしてんじゃねぇよ。
だけど。
なんとなくその気持ちも分かるような気がする。
引っ張り起こすが思いのほかに力が余計に入ってたらしく、
蘭の身体が新一の腕の中にすっぽりと収まってしまった。
「・・・・」
思わず無言になってしまう。
しかも蘭は身じろぎもしないで、そのまま新一の胸板に頭を預けたままでいる。
「綺麗だよ?私が知ってる世界の中で一番綺麗。
なんだかゴチャゴチャしてるのに、その中にいくつものガラクタと宝石を隠してる。
なんだか・・ステキじゃない?」
「・・・そうだな。」
彼女の体温が伝わる。
そうしてその精神の透明さに驚く。
ようやく彼女の美しさの正体に気付いた。
自分の中にいる天使なのに。
それなのに、彼女はとても遠い場所にいるのだ。
一人ぼっちで。
すべてに愛されながら。
誰も愛せないまま。
真っ白な羽根が一枚風に飛ばされた。
それを捕まえて新一は握り締める。
誰にも彼女を傷つけることは出来ないのだ。
彼女は誰も愛していないのだから。
何がそう言わせたのだろうか?
それは本当に自分の意志だった?
それとも、もっと大きな力によって?
だけど、俺は口にしていた。
「俺と地上に落ちようか?」
「・・・」
一人ぼっちの天使はきょとんとその瞳に悪魔を映した。


冬の空はすっかり闇のカーテンを纏いその小さな星々を温かく包み込む。
しかしそのささやかな星光も地上までは届かない。
地上のすぐ近くの人口灯にその輝きを濁される。
「空が遠いのね・・・。」
「そうだな。おい、ボーっとしてっと危ねぇぞ。」
新一の腕が蘭の肩を抱き込んだ。
街の中はものすごい人間で溢れ返っている。
蘭は初めて地上の地を歩いた。
その感触は天界を歩くそれとは全く違う。
蘭は嬉しそうにそれを何度も確かめた。
子供みたいだな。
そうだ。天使はもともとこういうのが多いんだ。
コナンとかは・・・別だな。あの馬鹿共は頭が固すぎる。
そして、悲しいほどに真っ直ぐなのだ。
雑踏の中の二人は、まるで恋人のように寄り添っていた。
「上から見るよりも、たくさんの人がいるのね?みんな、何をしているの?」
「さぁ。人それぞれさ。この人の数だけ、いろんな出来事がある。」
「?」
急に新一は立ち止まる。
蘭はなぜか分からないであたりを見回す。
周りの人間達も同じように立ち止まっている。
「・・・?」
「・・あそこにランプがあるだろう?人の絵が描いてあるヤツ。
あれは信号機だ。
人や乗り物に指示を出してるんだ。あの赤のランプは止まれ。下の緑は進めだ。」
物珍しそうに蘭はそれを見上げていた。
ものすごい天然だ。
こいつ本当に地上に降りる許しを神から貰ってるのか?
だとしたら、神は本当に大馬鹿野郎だ。
信号が緑に変わる。
我先にと人間達は歩き始める。
蘭もその流れに合わせるように、ゆっくりと歩み始めた。
「・・・あそこ。」
横断歩道を渡りきったとこで、蘭が立ち止まった。
蘭はビルを見上げたまま。
新一はその視線の先を追った。
「・・・・行ってみたいのか?」
「・・・うんっ!」
まるでガキみたいに笑う。
どしようもねぇな・・・本当に。
大きな溜め息が漏れる。
どういう躾してんだ?あのガキは・・・。
そもそも悪魔と知ってなお付いてくる女だ。
躾も何もあったもんじゃない。
きっとこいつは、何を咎められることもないのだろう。
全てに許される存在であるように、創りあげられているのだ。
「いっらしゃいませ〜。お二人様ですね?」
ウェイトレスは一番窓際の席を案内した。
そこはこの店でも一番人気のある席だ。天井から床までの大きな硝子窓。
そこから下の通りから駅までが一望できるのだ。
新一は椅子を引いて蘭を座らせてやる。
その極自然でいて、なかなか真似できない行為に
近くのカップル達はそれとなく二人に注目していた。
メニューを開いてやって蘭に見せてやる。
蘭は案の定不思議そうにそれを見つめた。
「・・・ここは喫茶店なんだよ。お茶を飲んだり、何かを食べる場所なんだ。」
「食べる・・・?」
蘭は言葉を失った。
天使はあらゆる命を奪うことは許されていない。
それは食事にも言えた。
もともと天使は何かを口にすることは全くないといっても過言ではないのだ。
水と光。
それらが天使のエネルギーの源だった。
「ど、どうしよう?私・・・・」
目に見えて蘭は落ち込んでいく。
項垂れて、悲しそうにその瞳を伏せた。
「ごめんなさい・・私が行きたいと無理を言ったのに・・・」
細く小さな肩が震えていた。
新一はもう一度、だけどそれは静かな溜め息を零した。
そうしてウェイトレスを呼びつける。
「ホットミルクにホットコーヒー。」
「かしこまりました。」
ウェイトレスはメニューを下げて素早く立ち去った。
「あの・・私・・・」
「大丈夫だ。今頼んだのはミルクだ。命を奪ったものじゃない。」
新一は外の景色に目をやった。
「だから・・・安心しろ。お前は罪を犯すわけじゃない。」
「・・・詳しいのね?悪魔の人たちはみんなそんなに天界の
規則のことまでも知ってるいるの?」
新一の視線を追って蘭も下を見下ろした。
たくさんの人がいる。
男も女も。若い人も老人の方も。
色様々なコートがカラフルで、鮮やかに街を彩っていた。
「いろいろさ。知ってる奴も知らない奴も、知りたくない奴も・・・
知りたい奴もいる・・・。」
「・・・あなたは?」
「お前は?」
反対に問い返された。
蘭は少しだけ考えて、言葉を紡いだ。
「分からない。でも・・・私はこの頃、分からないことを分かりたいと思うの。
それさえも、どうしてなのか分からないのに・・」
「・・・そうだな。」
二人の視線が絡み合う。
蘭は目の前の男が怖いとも醜いとも思わなかった。
悪魔がどんなものか、知らなかった。
これが悪魔?
天使を殺すの?
命を奪うの?
どうしてそれが、恐ろしいの?
黒い6枚の羽根をしまい込んだ彼は、人間と変わらなかった。
そして窓に映る自分。
二枚の白い羽根。
だけど、それでも彼は自分と変わらないように思える。
「俺と地上に落ちようか?」
彼はそう言った。
私は訳もわからず、一緒に地上まで舞い降りた。
そうして黒い羽根をしまい込んだ彼に問われる。
「お前、羽根をしまえないのか?」
だって。
今まで羽根をしまう必要なんかなかった。
誰もそんなこと教えてくれなかったのだ。
暫く無言だった彼は「まぁ、平気か。」
そう呟いて私になにか言を唱えた。
すると。
今まで着たことのない衣装に身を包まれた自分がいた。
やたら肌を覆われてなんだか着苦しい。
それでも、それは人間の女の人が着ている物と似ている。
「どうせ、人間どもの中にお前の羽根を見える奴はいやしない。
もちろん触れたりもできないからな。歩きにくいこともないだろう。」
「・・・・・」
そうして目の前の男は私の手を引いて歩き出す。
初めて触れる悪魔の手は、私の手よりもずっとずっと温かかった。

「ホットミルクとホットコーヒー、お待たせいたしました。」
ウェイトレスは静かにカップを置いた。
蘭は運ばれてきたそれに、目を釘付けにされている。
「・・・飲んでいいんだぞ?」
「う、うん・・・」
甘い湯気が鼻を擽る。
だけど、どうやってそれを飲んだらいいのか分からない。
白いカップ。
銀色のスプーン。
それを見下ろして、次に新一を見上げる。
新一は意地悪そうに笑って、蘭の様子を見守っていた。
「ここのあるのはシュガーポット。つまり砂糖が入ってるんだ。
これをスプーン一杯入れてみな?きっとお前はその方が好きだろうからさ。」
「うん、うん・・・」
教えられるままにシュガーポットの中に入っている
白い砂のようなモノをスプーンで掬った。
「・・・・」
少し疑問に思ってその砂を指先に少しだけ乗せてみる。
まるで砂浜の砂が少し固くなったようなものだ。
でも綺麗な白。
それを口に運んで見た。
「・・・・・甘いのね・・」
蘭はびっくりした。
こんな味感じたことはない。
だけど、甘いものだとすぐに分かった。
そうしてそれを温かいホットミルクの中に入れてみる。
「そのスプーンはポットに戻して。
そう・・・そうしたらソーサーに乗っているスプーンでその飲み物をかき回す。
ゆっくりとな?」
「・・・・」
蘭はゆっくりそれをかき回した。
一層香りが甘く感じられる。
「よし、いいぞ。一口飲んでみ?・・・こうやって。」
新一は自分の前のカップを持って、口に運んで見せた。
そうしてカップに口をつけて、中の液体を呑み込んでみせる。
蘭はそれに習って、同じようにカップを運んだ。
「・・・・・・・」
「・・・どうだ?」
蘭の瞳は驚いたように瞬いている。
そしてまるで花が開くように、ゆっくりと笑みが広がった。
「美味しいv」
「良かったな・・・」
新一はもう一口、コーヒーを口に含んだ。
嬉しそうにカップを見つめる蘭を見つめながら、ふとした疑問を問いた。
「なぁ、おまえ等天使はなんで食い物食べねぇんだ?」
「・・・・・」
蘭はカップを下ろして、新一の瞳を覗いた。
「・・・・命あるものを奪うことは何者にも許されていないから。」
「人間には許してるくせに?」
「・・・神様は、他の天使は何故かなんて教えてくれないもの。」
「じゃあ、お前は何故だと思う?」
新一の表情は何一つ変わらない。
ただ真っ直ぐな気持ちで自分を見つめている。
綺麗な黒の瞳。
だけど、明かりの当たる角度でそれは不思議な色合いに変化する。
深い緑のような・・・綺麗な色。
「あなたは・・・どう思うの?あなたの意見が知りたい。」
「俺のなんて参考になるわけないじゃねぇか。俺は、魔界の者だぞ?
元々、おまえ等や人間とは違う価値観を持っている。」
「・・それでもいい。あなたの意見を知りたいの。」
なんだかどこか必死な眼差しに、新一は勝てなかった。
視線を自分からそらし、窓の外を見つめる。
そうして頭の中で考えをまとめた。
「結局価値観が違うんだろうよ。天界の奴等は何者も傷つけたり、奪ったりしない。
魔界の住人は奪うこそが美徳だと考えてる。
欲しいものを我慢なんて絶対にしない。後悔しないためにな。
人間は・・・不思議な生き物で。どちらの要素も持って生きている。
自分の為に命を食らい、自分の為に何かを傷つけたり殺したりする。
かと思えば、誰かの為に無駄な努力をしたり、平気で命を盾にしようとしたりする。
天使の心と悪魔の魂、どちらも兼ね備えてるんじゃねぇか?」
最後には笑みを浮かべてしまっていた。
まさか。
自分が天使と論争をするとは思ってもみなかった。
蘭は重い口を開こうとしていた。
これはいけないこと?
でも知りたいこと。
知らなくてもいいことなのかもしれない。
でも、私は知りたい。
こんなこと、誰にも聞けなかった。
コナン君だって、同じ答えしかくれなかったから。
私が違う答えを望んでるなんて、コナン君にだって知られたくなかった。
それを今、私は昨夜逢ったばかりの悪魔に聞こうとしている。
悪魔は嘘つきだって知ってる。
でも・・・。
この目の前にいる悪魔が、思ってるよりずっと優しいことにも
私は気付いてしまった・・・・・。





「・・・・人間は誰が作ったの?」
覗いてくる角度が瞳の色を深緑に煌かせた。
その瞳に私の顔が小さく映っているのが分かる。
「・・・禁句じゃねぇのか?お前がそれを口にするなんてよ。」
心臓が凍りつきそう。
なんだか不安だった。
怒ってる?
私は悪いことを口にした?
やっぱり正しいのは一つなの?
私は瞳を伏せた。
これ以上あの瞳に映る自分を見ていることがなんだか、恥ずかしくて。
怖くて。
情けなくて。  
新一はすっかりふさぎこんでしまった蘭の頭を撫でた。
自分でも何故こんなことをしているのか、本当によく分からない。
今目の前にいる女がきっと何者でも、同じ事をしただろう。
それを知っていた。
「あのなぁ、ここだけの話。」
新一はわざと明るく声を弾ませた。
小さな秘密を囁くように、でもとびっきりの笑顔で。
「俺たちは誰にも創られてねぇんだよ?」
「?」
彼の言う言葉の意味がよく分からない。
「飲めよ?冷めちまう。」
新一は自分のコーヒーも口に運んだ。
「人類は神が創った。そして地上を与えた。
神は天界の邪悪なものを魔界に封じた。
つまり、神が全ての創造者だと考えられているが、それは違う。
何故だと思う?」
「・・・・」
話が急すぎて、思考がまとまらない。
目の前にいるのが本当に悪魔なのだと思う。
自分には全く理解できない言葉を操る。
蘭は少し冷めてしまったホットミルクを口に含んだ。
その時。
かすかに光が差した。
一瞬本当に小さく、本当に遠い場所にある答えの光が見えた気がした。       
「・・・最初からすべてあったの?」
「天使にしては珍しく思考が柔軟だな?そうだ。
人間も地上も最初から存在していたのさ。
地上の生命も神が与えたわけではない。
最初から地上は勝手に生命を生み出していたんだ。
命を削って、そうして新しい生命に与える。
その仕組みが地上の全ての秘密だよ?
・・・もしかしたら、俺達の方が後から生まれてきたのかもしれないな。
その辺のことは俺もまだ調べ中なんだ。」
少し照れ臭そうに悪魔は窓の外にまた視線を外した。
調べ中・・・その言葉が蘭に新鮮な気持ちを与えた。
この人は調べてるんだ。
自分の疑問を。
誰に答えを求めるわけでなく、自分で答えを探してるんだ。
どうしてそんな簡単なこと、今まで思いつかなかったんだろう?
ううん。
思うよりそれはずっとずっと、困難なことなのだ。
「俺たち悪魔は何も信じてない。
救いも護りも、すべては自分の中にあると思っているからな。
悪く言えば自分以外を信じることがないんだと思う。
お前達はどうなんだ?やはり神の力がすべてを守ってくれてるのか?」
反対に質問されて、蘭は困ってしまう。
蘭には何も答えられない。
答えなど持っていなかった。
黙って言葉を探す彼女を見て、新一は今の言葉が悪かったことに気付いた。
もう一度、ゆっくりと言い換える。
「お前はどうだ?お前の気持ちを知りたい。」
「・・・・わたし・・私は・・・」
蘭は息を飲む。
コナン君に一度だけ話したことがある。
彼は抱き締めてくれた。
そして、もう二度とそれを自分以外に口にしてはいけないと言われた。
やっぱりそれは・・・私の気持ちがおかしいから。
だから、言わない方がいいのかも。
でも・・・。
新一を見つめる。
彼は微笑を浮かべて首を横に振って見せた。
それだけの仕種で彼の言いたい事が分かった。
「言いたくないことは無理に言わなくていい。」
言葉にしなくても、今目の前に彼の気持ちが分かる。
どうして?
その答えは簡単。
彼が私を思いやってくれたからだ。
新一の言葉を思い出した。
彼がゆっくりと、でも教えてくれた彼の気持ち。
そうだ。
彼は答えなど与えようとはしなかった。
答えを欲しいなんて思っちゃいない。
彼はもう自分でそれを探してしまってるんだもの。
彼の気持ちを知りたいと言った私に、自分の気持ちを口にしてくれただけなんだ。
小さく深呼吸をした。
私には何も答えなどない。
でも、気持ちはある。
ずっと隠したままのこの気持ちは。
「あのね・・聞いて欲しいの。」
「・・・?」
新一は少し驚いたように蘭を見つめた。
「私ね・・・天使の中で一番の出来そこないなのよ。
私には欠けてるパーツがあるんですって。それが何か分からないの。
誰も教えてくれないの。
私は・・・何も知らない。教えられても信じることが出来ない。
神様を・・・愛したいとも思えないの。
だって神様はそんな私に欠けたパーツを与えたりしない。
神様は私なんてきっと必要としていない。」
「・・・・・・」
苦しいものをすべて吐き出してしまった。
私の中の罪。
神様すら信じられない天使を神様は、他の天使たちはきっと許したりしない。
コナン君は私を愛してくれるけど、わたしを守ろうとしてくれるけど、
私の罪は誰にも許したり出来ない。
だって・・・。
「そうだな・・・神には他に自分を敬愛する天使等いくらでもいる。
お前のことを必要とはしてないのかもな。
お前は天使長の一人でもないし、何かの位を与えられてるわけでもない。」
「・・・・そう、なの・・・」
そう。
本当のこと。
私はそれならどうして存在しているの?
神様がお創りになったわけではないの?
じゃあどうして・・・・・?
私は生きているの?


店を出るともう夜6時近かった。
それでも街の中の人ごみはさっきよりも増えているくらいだった。
蘭と新一は最初、再会したあの場所にいた。
ビルの屋上。
貯水タンクの上。
そこが蘭のお気に入りの場所だった。
一番この街が綺麗に見渡せる。
「今日はありがとう。あなたに会えて嬉しかった。
本当は来てくれるなんて思わなかったの。」
蘭は新一を見上げた。
服はもう自分のワンピースに戻っている。
寒くはなかった。
冷たい風は、冷たく感じなかったから。
だから、平気。
「・・・こんなに遅くなってコナンの奴に怒られたりしねぇか?」
「うん、大丈夫。ちゃんと出かけるってお話ししたもの。
ねぇ、それより気になってたの。新一は・・・コナン君のお友達なの?」
「・・・・」
思わず言葉を失った。
昨夜のあれでどうやったら友達に見えるんだ?
可笑しくって仕方なかった。
「・・・アイツとはな、少し昔にいろいろあったんだ。
そのうち、コナンの奴から話聞くんじゃねぇか?じゃあ・・俺も堕るわ。」
背中の羽根を思いっきり広げ、慣らすように羽ばたかせた。
「そうだ、これ。お前にやる。さっきの店で買ったんだ。
コナンの奴には内緒にしとけよ?」
そういって、蘭の手の平に何かを握らせた。
「なあに?これ・・・」
蘭は手に握らされた小瓶を見つめた。
高さ10センチくらいの透明の小瓶に、何か入っている。
カラフルな粒が振ると、しゃらしゃらと音を鳴らした。
「金平糖っていうもんだ。一つずつ口の中に入れろ?じゃあな・・・・」
そういって飛び立とうとする。
だけど。
飛び立てなかった。
「・・・・・・」
「・・・・おい。」
新一の黒いロングコートの裾を蘭は握り締めたまま離さない。
無言のまま、何か言いた気に新一を見上げている。
こんなとこ他の悪魔に見られたら何を言われるか分かったものじゃない。
それはこいつも変わらないというのに・・・。
羽ばたきをやめ、新一はもう一度地に足を下ろした。
そうして蘭を抱き締める。
「・・・・」
蘭は無言のまま固まってしまっている。
新一も黙ってしまっていた。
こんなふうに抱き締めるなんて、自分でも何をしてるのか分かっている。
分かってはいるが、どうしてこんな行動に出たのか?
いくら考えても答えはなかった。
「・・・新一、神様みたいね?」
微かに笑みが零れた。
蘭は気持ちよさそうに新一の肩に頭を預ける。
頬を擦り寄せて、蘭は目を閉じた。
笑えないのは新一の方である。
「やめてくれ・・・神なんて俺が最も毛嫌いしてる存在なんだよ。」
「そうなの?」
「当たり前だろう?」
「・・・じゃあ、なんて言えばいいの?」
聞かれて言葉に詰まる。
この女がどんなふうに俺を思ったのかは知らない。
でも神の奴と同等に扱われるのはプライドが許さなかった。
あんななりそこないとは一緒にして欲しくない。
「お前が好きなように。・・・でも、神だけはやめてくれ。」
「・・・・・じゃあ新一、お母さんみたいね?」
「どうしてそうなるんだ??」
思わず新一は蘭を腕の中に閉じ込めたまま、その顔を覗き込んでしまう。
蘭は何故新一が気に入らないのかサッパリ分からなかった。
「だって・・・お母さんって自分を助けてくれるんでしょう?
生まれた時からずっと守ってくれるんだって聞いたもん。」
「・・・・・」
そうか。
天使の奴等は母親から生まれるのではないのだ。
俺たち悪魔は母親の命を削って生まれてくる。
だが、天使は天神樹の実から生まれるのだ。
命を食わぬ者から、命は生まれない。
だとしたら、天使は何から出来てるのだろう?
少しだけ腕の中の天使の身体が気になった。
本物の肉体の感触。
だけどそれは命を食さなくとも、命を保っていられる。
だとしたら、こいつらの源は・・・・。
考えて恐ろしくなる。
もしもそうだというのなら、今この腕の中にいるこいつは
どんな苦しみを味わうのだろう?
何も知らずに美しく俺を見つめる蘭。
天使であるこいつが、初めて愛しく思えた。
「ああ、そうだな。神がお前を救えぬのなら、俺がお前を救おう。
お前は天使の中では確かに少し恵まれてないのかもしれない。
そして、お前のような天使は腐るほど存在してる。」
「・・・・新一・・・」
少しだけ、蘭が泣き出しそうな顔をする。
その額に優しく口付けた。
「けれど。俺にとっての天使はお前だけだ。
他の誰にもその代わりは出来ない。
お前は俺の為に、天使でいてくれなきゃ困る。
もしよければ、約束をもらえるか?」
「・・・・・」
言ってから後悔した。
こんな自分で言うのもおかしいが、胡散臭い悪魔に天使が
約束を交わせるはずがない。自らこんな馬鹿な話ないと自覚できた。
約束なんかいらない。
もう、俺は決めてしまっていたのだから。
そうだ、だからこんなこと言う必要は全くなかったのだ。
これが、俺だけのためならば。
これ以上はやめよう。
俺は自分に言い聞かせた。
これ以上はまずい気がする。
自ら首を絞めるような事になるのではないか。
そう予感した。
だから、新一はこの腕の中の天使を解放した。
そうしなければいけないことに、気付いていたから。
ふわりと天使は羽根を広げて舞い上がる。
そうして新一に今まで見せたこともないような瞳で、微笑みかけた。
「ありがとう。その言葉、私の宝物にする。
また、逢えるよね?
だって、逢いたいと思うもの。
だから、それまでさようなら。」
そうして新一の瞼に触れるだけの口付けをした。
それは決してたがえることの許されない、天使の誓約。
そうしてもう一度綺麗に微笑んだ。
「・・・・・蘭っ!」
「?!」
新一はその白い羽根を引き摺り落とした。
そうしてもう一度自分の腕と羽根の中に閉じ込めてしまう。
こうすれば他の誰にもお前の白い輝きは見えないから。
だから。
だからもう少しだけ。
俺だけの、俺の為だけの・・・・。
「さよならんて、言わせない。」
「・・・し、んい・・」
名前を最後まで呼ぶことは出来なかった。
重なる唇の温もりに、自分が今キスされてることに気が付いた。
なぜか、動けなかった。
嫌だとも、思わなかった。
それよりも、この黒い羽根に抱き包まれてることが嬉しいと思う。
そうして瞳を閉じる。
ああ、この間と同じだ。
静かな闇の中。
真っ暗で何も見えない。聞こえない。
それなのに、その暗闇は思いのほか温かく私を包み込んでくれるのだ。
私はこれを欲しがってたのかもしれない。
昨日の夜からずっと。
この中に帰ってきたかったの?
この闇を与える彼が、まだどんな人か蘭には理解が出来ない。
それでも。
今まで与えられたことのないモノを、この人は最初から全部与えてくれた。
何の見返りも求めずに。
これが神様の敵でもある悪魔なのかしら?
どうしてこんなに優しい悪魔がいるんだろう?
どうして神様や他の天使たちは、彼等が怖いというのだろう?
でも。
それでもいい。
そうしたら、私だけが独り占めできるもの。
・・・そんな気持ちはどこかおかしいの?


それでも今は構わなかった。
逢いたかったんだ。
もう一度この闇に抱かれたかった。
私には天界の光は眩しすぎて、なんだか疲れてしまうから。



冬の空に浮かぶ星々。
その欠片を使って地上を見下ろしていた天使は、今絶望の淵に立っていた。
彼女が地上に降りたいと言ったときから、こうなる予感はあった。
でも。
誰にも彼女を止める権利はなかった。
誰にも彼女を癒すことは出来ないことを、少年は知っていたから。
それなのに。
言いようのない黒い感情が沸き起こるのを、自分でも制御のしようがなかった。
苦しくて、吐き出してしまいたくて。
自分の感情がどうにかなってしまいそうで。
誰が彼女を許すというのか?
誰が彼女を守るというのか?
誰が彼女を・・・・。
それが自分ではないことだけを、少年は初めから知っていた。
それなのに。
制御できない黒いモノ。
世の中にはどんなに望んでも叶わぬモノがあることを知っている。
それでも。
どうにかしてしまいたい。
どうにかなるのなら、何を犠牲にしても構わない。
こんな気持ちを。
なんていうものなのか、自分は知らない。









Written by きらり

(C)2004: Kirari all rights reserved.
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