Chocolate memory











氷のように冷たい風。
それは強く鋭く、その肌に吹き付ける。
長い髪が揺らめいた。
立ち止まった彼女。
もう何時間、その場所に立っているのだろう。
ただ前を見て。
ギュッと唇を噛み締めて。
溢れてくる不安を押し殺して。
ずっと立ちすくんでいた。
たった一人を待っている。
俺ではない、男を。
この寒空の中。
もう2時間が経つ。
俺は、ただ、傍にいることしか出来なかった。



「コナン君・・寒いから先に帰ってて良いわよ?」
彼女は屈んで俺の頬を優しく、両手で包んでくれた。
手袋の感触が擽ったかった。
「こんなに寒いんだもん。風邪引いちゃう・・・ね?先に帰ってて。」
彼女は微笑んだ。
言い聞かすように優しく。
だけど、その瞳は悲しくて。
「蘭姉ちゃんは??」
「私は・・・・」
「なら、僕も一緒にいる!」
俺は蘭の言葉を遮って、言い切った。
少し困ったふうに蘭は俺を見つめた。
頭を優しく撫でられる。
聞き分けない子供をあやすように。
俺は気付かれぬように奥歯を噛み締めた。
俺の首には青いマフラー。
今日一緒に出かけるときに、蘭が巻いてくれた物だ。
「バレンタインプレゼントよ。」
にっこり笑う彼女は本当に綺麗で。
俺は真っ赤になりつつも、きちんとお礼を言った。
そうして一緒に出かけた。
誰もいない家に行くために。
帰ってくるはずのない男のために。
綺麗に包んだプレゼントを持って行く彼女と共に。




チラリと腕時計に目をやった。
時間は16時を過ぎていて。
あたりも薄暗くなってきていた。
「本当はね・・・」
「えっ?」
突然話し始める蘭を見上げても、蘭はずっと前を向いたまま。
そのままで話を始める。
「昨夜電話あったのよ・・新一から・・・」
「・・・・」
知ってる。
知らないはずがない。
「また新しい事件に巻き込まれて、片付かないって。・・・帰って来れないって。」
「・・・じゃ、どうして・・??」
前を向いたままだった蘭の顔が、こちらを見下ろした。
今にも泣き出しそうな、寒そうな瞳。
俺はためらいもなく抱き締めてしまいたかった。
この腕で、抱き締めたかった。
何も出来ない苛立ちに拳を握り締める。
爪が肉にくい込んだが、気にもならなかった。
それよりも心を鷲掴みにされるようなこの感覚。
何度味わされるのか!!
この憎しみにも近い絶望を!!
「・・・もしかしたら・・・なんてね。」
瞳が大きく揺らめく。
涙を堪えて、それでも蘭は笑った。
気丈な笑顔。
その裏の弱さと悲しみ。
それさえも押さえ込む、彼女の強さ。
それを目の前で見るたびに俺は・・・っ!!
見せ付けられる無力。
抑え付けられる衝動。
どうしようもない自分の愚かさ。
その弱さに、俺は吐き気がした。
「もしかしたら、事件が今日片付いて・・・新一が此処に帰ってくるかもしれないなんて
思ったの・・・そんなわけない。」
「・・・・」
そんなわけなかった。
嫌って程それを思い知っていた。
どうにかなるのなら、死に物狂いでなんとかした。
だけど。
そうはならなかったから。
「そんなわけないのにね・・・・?どうして、私・・・こんなにバカなんだろうね?」
「・・・・が、う」
「・・・なに?コナン君?」
少しだけ聞き取れた俺の声に、蘭は屈んで俺の顔を覗き込んだ。
「どうしたの?そんな顔・・・コナン君??」
「違う!!バカなのは新一だっ!!」
俺の顔と同じ位置になった蘭を、俺は抱き締めた。
必死に腕を伸ばして。
その頭を抱きこむ。
驚いた蘭がバランスを崩して、膝をついてしまった。
「・・えっ??・・コ、コナン君?」
驚いて蘭は離れようとするが、俺はそれを抱き締めて止めた。
「バカなのは・・新一兄ちゃんだよ・・・。
蘭姉ちゃんを待たせてばっかりで・・・何も出来なくて・・泣かせてばっかりだ・・・」
「コナン君・・・・」
「なんで・・あんな男のために、蘭姉ちゃんがこんな思いしなくちゃいけないんだよぉ?
なんで、こんなに冷たくなっちまってまで・・」
「・・・・」
あんな男。
あんなに情けない自分。
そして俺。
今此処にいる俺ではない俺自身。
蘭のために此処にいたいのに。
蘭に必要なのは俺じゃなかった。
俺ではない、俺自身。
こんなに好きなのに。
こんなに愛してるのに。
こんなの傍にいるのに。
俺じゃない俺が、俺の首を締めあげている。
俺ではないことを、思い知らされる。
今この腕で抱き締めているのは俺じゃない。
俺の身体のはずなのに。
俺は蘭のコナンでしかないのだ。
俺は蘭の新一ではないのだ。
「お・・・僕が、蘭姉ちゃんを守るから。ずっと傍にいるから・・」
そうじゃない。
俺は蘭を守りたい。
傍にいたい。
でもコナンとしてじゃない。
新一でいたいんだ。
俺は新一なんだ。
「だから・・泣かないで・・・。」
泣かせたくないのに。
俺のためにじゃない。
新一のために泣く蘭。
それが悔しいなんてどうかしている。
だけど。
俺じゃない俺のために、泣かないでくれ。
そうじゃない。
蘭は俺のために泣いているんだ。
帰らない新一を。(俺は此処にいるのに)
帰ってくる新一を。(俺はずっと傍にいるのに)
きっと帰ると信じて。(俺はずっと見てるのに)
それを待ち続けて。(蘭は俺を見ていない)
いっそ本当のことをすべて話してしまおうか?
そうして「コナン」を消してしまおうか?
俺が俺を縛り付けるなら。
俺がこの手で解放しよう。
それでお前が泣かなくて済むなら。
それでお前が巻き込まれなくて済むなら。
「・・・ごめんなさい・・・」
俺は蘭を解放した。
「・・・・」
蘭はまだビックリしてるみたいに、瞳をパチパチさせた。
そうして少し恥ずかしそうに、頬を赤くする。
膝を突いたときに付いたコートとスカートの汚れをはたいてやる。
そうして俺は無邪気に笑ってみせた。
「蘭姉ちゃんにはいつも笑っていて欲しいんだって。・・・新一兄ちゃん言ってたよ?」
それは俺の言葉。
だけど。
蘭にとって、それは此処にいない新一の言葉。
だけど。
俺はこうする以外、他の方法を知らないんだ。
「ホントに・・勝手なんだから・・」
涙が滲んだ瞳が、綺麗に瞬いてそうして弾ける。
「ごめんね、コナン君。心配させて。」
笑った蘭が遠かった。
俺に微笑んだのではない。
此処にいない俺に向けられた微笑み。
俺は今、目の前にいるのに。
帰り道。
蘭はずっと手を繋いでいてくれた。
手袋を外して、そのほうが温かいからと。
「ありがとう、コナン君。」
「・・・えっ?」
渡せないままのプレゼントを抱き締めたまま、蘭は俺を見下ろして笑った。
「コナン君がいてくれるから、平気なんだもん。」
「・・・・・」
もう暗くなってしまっていて良かった。
きっと俺はものすごい顔をしているに違いない。
耳が熱くなるのが自分でも分かった。
俺は「コナン」じゃない。
俺は「コナン」でしかない。
そして蘭は「コナン」にその笑顔を向けた。
新一じゃきっと見れない、無防備なそれ。
俺の胸が熱くなる。
俺はいつからこんなに「コナン」だったんだろう?
「コナン」はいつからこんなに恋焦がれてたんだろう?
今この手を繋ぐ、一人の女に。






いっそすべてを話せたのなら。
きっとこんな気持ちにはならなかった。
俺しか蘭を守れないと思い込んでた。
新一じゃなきゃダメなんだと思い込んでいた。
でも、そうじゃないのかもしれない。
「コナン」でも、俺は蘭を守れるんじゃないか?
事務所の中は真っ暗で、ひんやりとした空気に包まれている。
蘭は明かりをつけて、すぐに暖房をいれた。
そうしてコートを脱いで、プレゼントを自分の部屋にしまいに行く。
「明日、阿笠博士のとこに持って行ってくれる?あいつに送って欲しいから・・・」
照れ臭そうにコナンを見下ろす。
可愛くて、愛しくて胸が詰まる。
俺は頷いて見せた。
蘭が部屋に行ってしまうと、俺はソファに座り込んだ。
「・・・・・・」
蘭のために傍にいたかった。
そうじゃなくて。
本当は、俺が、蘭の傍から、離れられなくて。
どんなに危険かもしれないと分かっていても。
「俺」には蘭が必要だった。
少しでも離れたら、本当に「俺」ではいられなくなってしまうから。
なんだっていいんだ。
蘭の傍にいれるのなら。
それでも新一が良いとお前が望んでくれるなら。
俺はきっと新一に戻れるから。
だから、今は「俺」のままで。
「コーナーン君っ♪」
「?」
いきなり差し出されたカップに面をくらう。
俺はきょとんとそれを見つめた。
甘い匂いのそれ。
温かそうな湯気が俺の鼻を擽る。
「はい、あったまるよv」
「あ、ありがとう。蘭姉ちゃん・・・」
俺はそのカップを受け取った。
感覚のなかった手の平が、その温もりにじんとする。
甘い匂い。
一口口の中に含むと、身体中が温かいそれに包まれた。
「おいしい?」
「うん、ありがとう。」
向かいに蘭が座って、笑って俺を見つめる。
お前の瞳に「俺」は映らない。
「コナン」だけがその世界を占めている。
それでも構わなかった。
俺がお前を見ているから。
俺はお前のモノだから。
そして俺は新一でいられるから。
甘い湯気の向こうで笑う蘭。





いつかきっと。
それは「俺」だけに向けられる。
そうしてみせる。
だから、今は。
今だけは。
それを「コナン」に譲ってやる。
今だけはーーーーーーーー








「・・・・・・・・」
「??」
「・・・・・・・・」
「・・起きてるの?」
朝の光。
蘭の声。
「・・・・夢、か?・・・」
「なに?どうしたの??」
もうずいぶん先に起きていたのか、蘭は俺の横で何か読んでいたようだった。
俺はそれを確かめる。
確かな温もり。
その感触。
優しい香り。
胸を突くこの愛しさ。
急に抱き締められて、蘭は身じろいた。
逃げる腰を引いて、抱き寄せる。
確かな感触に安堵の息が漏れた。
「夢見てた。」
「・・・どんな?」
「言わない。」
「なによ、もうっ!」
可愛らしく蘭は頬を膨らませて、拗ねる。
俺はそれがおかしくて、その頬にキスした。
それでも機嫌を直さない蘭に、俺は何度も繰り返す。
頬に。
瞼に。
額に。
首筋に。
鎖骨にも。
「こらぁ・・くすぐったい・・もう、やめてよ〜」
クスクスと笑みを堪えて、蘭は俺の髪をぐしゃぐしゃにする。
「やめないと、怒るからねぇ〜〜!」
「・・・・愛してる。」
蘭は豆鉄砲を食らったように、目をまん丸にした。
そうして頬を真っ赤に染める。
「な、なによ、急に・・・・」
俯いてしまった蘭の顎を上げた。
恥ずかしそうに俺を睨みつけて、そっぽを向こうとする。
「今更、照れることねぇだろう?」
「だって・・・」
こんな蘭が愛しくてしょうがない。
「名前、呼んでくれ。」
「??」
意味が分からないように、蘭は首をかしげた。
「名前。俺のだよ。」
「・・・新一?」
蘭の首筋に顔を埋める。
「もう一度。」
「・・・新一。」
「もう一度。」
「新一?・・・どうしたの?」
蘭は心配そうに俺の頭を優しく撫でる。
子供にするそれではなく。
俺を甘やかすために。
「新一・・・。新一、好きよ?」
「・・・・」
俺は首筋に口付けた。
キツク吸って、その跡を残す。
「・・・もう!!起きるからね!」
蘭は逃げようとベッドから抜け出してしまった。
物足りなかったが、今は我慢してやる。
蘭はホッと息を漏らして、俺を見つめた。
「朝ご飯、なに食べたい?」
「・・・とりあえず、ホットチョコ。」
「??」
ますます蘭は変な顔をして俺を見つめる。
そりゃそうだ。
俺が朝からんな甘いもん催促しないことを、こいつはよく知っている。
だけど。
「なんか急に飲みたくなった。」
「分かった。待っててね。」
とびっきりの笑顔を残して、蘭は部屋を出て行ってしまう。
俺はもう一度ベッドに横になった。
目を閉じて、夢の続きを見た。
思わず笑みが零れる。
あんな夢、見ると思わなかった。
もう少しだけ、浸っていたかった。
それはきっと「俺」じゃなく、アイツが。


懐かしい夢。
夢ではなく記憶。
「俺」ではない、
「コナン」のかけがえのない想い。


きっともう少しで彼女はやってくる。
「コナン」のためじゃなく。
俺のためにいれたホットチョコを持って。
あの甘い湯気に包まれて。
もう一度キスしたかった。



そんな朝。













THE END


Written by きらり

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