桜色の嘘










「大っきらい!!」
「・・・・」

バタバタと駆け去っていく後ろ姿。
伸ばした手は空を切るだけで。
俺の足はその場に固まりついたように、剥がれなかった。
視界が何も捕えなくなる。
目の前にあるのは、深い絶望だけ。
真っ暗とはよく言ったものだ。
何も考えられねぇ・・・。
俺はその場に座り込んだ。
やけに地面が近い。
頭の中で一つの言葉だけがこびり付いている。
大嫌い。
嫌い。
嫌い。
嫌い・・・
俺は、嫌われたのか?・・青子に・・・
誰よりも大切な女。
何より一番に扱ってきた女。
俺を抱き締める腕はアイツだけだった。
嫌われた?
・・それは失ったということなのか?
失う?
誰を?
なにを?
どうして?

「・・あ、おこ・・?」

呼んでみても、返事はない。
あの駆け去った後ろ姿は、青子のもの。
もう俺の前には、青子はいない。
いなくなる。
俺から、青子が。
そんなこと、あるわけなかった。
でも。
俺が間違うわけないだろう?
青子の姿。
青子の声。
青子の涙。
例え何者がその姿を仮りたとしても。
俺が青子を見間違うことなんかない。

「・・・うそ、だろう?」

こんなのは何かの間違いだ。
そうじゃなきゃおかしい。
だけど。
それならどうして青子はいない?
どうして青子は笑ってくれない?
手を差し出して、

「冗談だよ、快斗」

そういって笑いかけてくれない?
悪戯が成功した子供みたいに。
そうしたら。
その手を引き寄せて、きつく抱き締めて。
よくもからかいやがったな。
そう言って、仕返しに何度も口付ける。
それが出来ないのはどうして?
だって目の前に青子はいない・・・





そこから、いつどうやって歩いて帰ったのか。
俺は覚えてない。
気が付いたら部屋に戻っていた。
そうしてぼんやりとベッドに腰をおろしている。
どうしてあんなことになったのか。
俺には分からない。
でも、今思えば。
今日会ったときから、青子の様子はおかしかった。
なんだかそわそわしていて、何か他のことに気を取られている様子で。
どうしたんだ?と聞いても。
作った笑顔でなんでもないよ、と繰り返した。
もしかしたら、ずっと機会を伺っていたのかもしれない。
俺にそれを告げる時を。
その言葉を、ずっと探していたのか?
どうして?
何をしたか、思い出せない。
何を青子にしてしまったのか、何も分からない。
付き合いだしてから、嫌がるようなことした覚えはない。
むしろ、余計に怖くなって扱うのにも気を使ったほどだ。
青子が可愛くて、怒らせたくなくてからかう言葉も減らした。
それでも時々その拗ねた顔が見たくて、意地悪も言ったかもしれない。
そのせいか?
思い出す。
あの公園で。
二人で散歩をしながら、言葉を交わしていた。
手を繋ごうとしても、青子はのんびり上を向いてばかりで。
ようやくその手を掴まえても、青子は何も言わないまま。
何度も桜がキレイだね。
それだけを繰り返して。
俺は、そんな青子をずっと見てた。
可愛くて。
本当に愛しくて。
今までだって好きだったけど、今はもっともっと好きでいる。
優しくしたい。
だけどもっときつく抱き締めたい。
青子が怖がらないように、気をつけていたけど。
俺は・・なにかしてしまったんだ。
青子に嫌われることを。
青子を失うようなことを。
考えれば、なにもかもが悪いように思う。
キスするとき、いつも青子は恥ずかしがって逃げたがった。
そんな時、つい力が篭もってしまう。
抱き締めて、深く口付けて。
それで、時々抑えが利かなくなる。
青子が苦しそうに息を吐いて、それさえも俺には愛しくて。
時々どうしようもない俺がいる。
そのせいか?
そうかもしれない。
青子はキスをしたがるようには見えなかったし。
俺がいつも強引にそれを奪う。
いつの間に。
こんなに青子の気持ちに鈍感になっていたんだろう?
青子のことしか考えてないつもりで。
俺はなにも見えてなかったんじゃないか?
青子の変化に。
嫌がる素振りを無視して。
自分の都合のいいようにしか、捕えてなかったんじゃ・・・・。

「青子・・・」

謝りたい。
許して欲しい。
許してくれ。
目の前が真っ暗になる。
俺は、お前がいないと駄目だ。
ずっと昔からお前がいないと、駄目だった。
今は、もうなおさらに。
恋人になってしまったお前は。
きっと失ったら、幼なじみにもきっと戻れない。
だから。
そうじゃなくて、幼なじみじゃなくても。
俺がお前を失って、平気でいられるわけがない。
だけど、何が悪いんだ?
何を謝ればいいんだ?
何も分からねぇ。
全部知ってるつもりで。
俺は何も知らない。
青子のことはなおさらに。
見惚れてるだけで、何も見えてなかったのか?
窓の外に視線をやる。
時計を確認すると、時刻は午後4時。
もう帰ってるだろうな。
俺は立ち上がった。
何も出来ないまま。
何もしないまま。
青子を失うことなんて、俺には出来ない。
悪いところは全部直す。
青子のいいようにだけするから。
だから、俺を捨てないでくれ。
俺からいっちまわないでくれ。
失ったら。
俺は俺じゃいられなくなっちまう。
部屋を飛び出して、青子の家まで走った。
考えても考えても。
やっぱり分からなかった。
分からないけど、俺は駄目なんだ。
それしか分からない。
他の誰でも駄目なんだ。
青子一人がいなくちゃ。
何の意味もねぇんだよ。

乱暴に門を開けて、チャイムを押す。
何度も何度も。

「・・・帰ってねぇのか?」

ドンドンと何度も扉を叩いた。
居留守を使われてたらと思うと、周りの目なんか気にしちゃいられない。
俺は何度も叩いた。
しかし・・・本当に留守のようだ。
考える。
青子の行きそうな場所。
本屋。
喫茶店。
駅ビル。
雑貨や。
けれど。
あんな言葉の後で、青子が行きそうな場所なんか想像もつかない。
俺は走り出した。
直感でしかない。
けれど。
今はそれを信じてた。
きっとあの公園の近くにいる。
絶対に。
何の確信もないそれを、心から信じ込めた。

「ハァ・・ハァハァ・・・」

こんなに必死で走ったのは本当に久しぶりかもしれない。
ずっと昔。
青子が迷子になって以来だ。
あの時も必死になって、走り回ったっけ。
それでも見つけた。
泣いて、しゃがみこんでる姿を。
名前を呼んで、駆け寄った時。
青子は大きな瞳をまんまるにして。
俺の腕の中に飛び込んできた。
たくさんの涙で、上手く言葉も回らなくて。
それでも。
何度も何度も俺の名前を呼んでくれた。
ずっと、呼んでくれてたんだ。
あの時。
もう離さないと誓ったのに。
嫌われたら、傍にもいれねぇじゃないか。
あの場所に行った。
青子の姿はない。
俺はぼんやりと桜を見上げた。
さっきまで、はしゃいで笑ってた青子がここにいた。
その瞳を潤ませて。
そうして言った青子がいた。
駆け去ってしまう後ろ姿を。
呆然と見つめることしか出来なかった俺がいた。







「・・・・・」
「あら、浮かない顔ねぇ。ホホホ、天使に見捨てられた子犬のようだわ。」
「おめぇ・・・」

いつのまにか背後に立っているのは、このうえなく上機嫌な女。

「なんでおめぇがいるんだよ・・紅子・・」
「ホ〜ホッホ・・あなたの不幸は私の至福。
あなたの不幸だって、癒してあげれてよ?」

差し出された白い手。
ぼんやりとそれを見つめていると、俺は青子を思う。
温かい手。
あれだけが俺の宝物だった。
アイツの手、瞳、声、笑顔。
全部。アイツ自身が・・・

「・・・天使じゃなくて、紅い魔女だって。
少しはあなたの痛みは充分癒せるはずよ?」
「・・んなわけねぇだろ。バカなこと言ってんじゃねぇよ・・」
「・・・・」

紅子の瞳が揺らぐ。
キツイ瞳浮かぶ、不理解な感情。

「あくまで彼女一筋なのね・・・つまらない男・・」

呟く言葉が小さくて、耳を掠める。

「?」

それよりももっと小さかった声を、俺の耳は捕えた。

「・・もうやだってば!」
「・・あ、おこ?」

それは間違うわけがない。
青子を声だ!
そう思ったときにはもう走り出していた。
向こうのベンチの方で、青子が男を相手に言い争っている。

「もう、離してよぉぉ!!」
「!」

自分でも感情が高ぶるのが分かる。
男の手はそんな青子の手を握り締めたまま、強い力で抑えている。

「困りますよ、ボクが彼女に怒られてしまいますから・・うわあっ!?」
「触るなよ。」

至極感情を押し殺した。
驚いた相手はあっけに取られて俺を映す。
そして目を丸くした青子の顔。

「・・・・白馬??」
「どうしてここに?」

俺の思考は停止する。
白馬も驚いたように、俺を見ていた。
なにがどーなってんだ??

「快斗っ!!」

その手を払って、飛び込んでくる。
間違うわけがない。
青子だ。
俺の・・・

「快斗、快斗ごめんなさいっ!」

強く抱きついた腕が俺の背中に回る。
回りきらない腕を必死に回して、俺を抱き締めてくれる。
その確かな感触が、俺を支配して。
その温もりが俺の心を満たしていく。
俺はその身体を抱き締めた。
俺の腕が間違うわけがない。
間違うわけない。
青子だ・・・・

「ご、めんね・・快斗・・ごめんなさい・・・」

繰り返す涙声。
それが耳に心地よくて。
俺は目を閉じる。
青子がいる。
それが全部で。
それで全部で構わなかった。











「・・・・・・・」
「こうなると、分かってたくせに。」

黙ったまま、それを見守る二つの影がその場を離れる。

「貴女らしいと言えば、とても貴女らしいですけどね。」
「・・お黙りなさい。もう少し離れて歩いてくださる?」

キツイ瞳が彼を射抜く。
やれやれと彼は溜め息を漏らした。
白馬は彼女にそっと手を振って、その場を離れた。
帰り道は同じ方角だったのだが、今は彼女を一人にしてやりたかった。
小さな嘘に、少しだけ傷ついた彼女。
仕組んだ罠は空っぽだと知っていたくせに、それを放った彼女に。
少しだけ敬意を表して。
一人になった紅子は少しだけ、立ち止まった。

「ホントにバカみたいね。」

でもいいわ。
彼のあんな顔、あのこは知らないでしょう。
私だけが知ってる黒羽快斗の、誰も知らない顔。
それだけで充分。
今はまだ、それだけで。

「さ、帰りましょう」

彼女はさっそうと歩き出す。









ひらひらと。
風に流される花弁たち。
薄紅色の桜たちだけが、すべてを見つめていた。
青い涙。
紅い唇。
白い瞳。
黒い心。
ひらひらと。
ただ流されながら。









「そういうわけで、紅子ちゃんたちとの賭けに負けちゃったの。」
「・・・・・・・」

それからたっぷりと2時間。
快斗は青子を抱き締めたままだった。
さすがに場所を少し変え、ベンチに座っているが。
それでも快斗は青子をしっかりと抱き締めている。
ことの真相は以上だった。
昨日買い物に出かけたときに、偶然白馬と紅子と出会い喫茶店でお茶をしている時に
明日の話になったらしい。
負けた人が一つ、大きな嘘をつくということで。
三人で賭けをしたそうだ。
誰が一番にナンパされるか。
青子は紅子に賭けたらしいのだが。
結果は青子の負けらしい。
そうして青子は嘘をつくことになった。
一番好きな人に、「嫌い」と嘘をつくことに。
しかしあれだな・・・。
問題は青子が一番にナンパされたってことだ。

「冗談でも、ナンパなんかされんじゃねぇよ。」
「・・・はぁい。」

すっかりと青子は落ち込んでしまっている。
大体そうじゃなくても、最近青子は可愛くなってんだ。
そりゃ昔から可愛かったけどよ・・最近はもっとなんていうか・・煌いたみたいに可愛くなった。
それはどうやら俺の気のせいなんかじゃない。
それを知ってるから、俺は気が気じゃないんだ。
そして・・・

「それにしても、俺もバカだぜ・・・すっかり・・」
「騙された?」

にっこりと微笑んで、俺を見上げる。
だーかーら、その目はよせって。
ったく、冗談じゃねぇ。
はいはい、すっかり騙されました。
バカみてぇに単純に。
悔しくて、まともに青子の顔がみれねぇ。
これみよがしに、苛めたくなる。
嫌われるようなことはしたくないからな。
しばらくは苛めるのはよしておこう。
マジで寿命が縮んだ気がした。
あんなのは・・・
冗談でもごめんだ。

「あのね?快斗?」
「ああ?」

俺はわざとそっけない振りして、返事しちまう。
自分でもガキだって分かってる。
拗ねてんだよ、俺は。
俺の腕から逃れて、青子は俺の顔を覗き込んできた。
その上目遣いがやばいんだって。
すげー可愛いんだ。

「・・・青子、なんでもきくよ?」
「はぁ?」
「お詫びに青子、快斗のいうことなんでもきく。
だから・・・なんでも言って?」
「・・・・・・・」

青子の瞳は真剣だ。
俺は暫く考えてしまう。
なんでもきく?
俺の言うことを?
なんでも・・・?
思わずあらぬことを考えて、俺は頭を振った。
そうじゃねぇだろ!さすがに・・んなこと言ったら、びっくりするだろう。
だけどこんなチャンス、もう二度とないかもしれない。

「快斗?」

考え込んでる俺を、その瞳が覗き込んでくる。
うわぁ・・だから、やめろって・・・

「!?」

俺は抱き寄せて、キスした。
びっくりした目が開いたまま、俺を見つめる。
少しだけ離して俺は言った。

「キスする時くらい目、閉じてくれよな?」

にやりと笑って、もう一度口付ける。
その目が嬉しそうに笑って、閉じられた。
なんでも言うこと聞くって?
んなの、言えるわけねぇだろ。
だから、今はこれで充分。

今は、まだ・・・な?






THE END


2001,4,1,

Written by きらり

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