開かれた扉








見詰めた先の瞳は自分と変わらない、強い意志と覚悟を秘めている。
穏やかな、まるで陽だまりの中にいるような気持ちにさせてくれる人だった。
出逢ったのはもう何年も前。
大学院での特級遺伝子操作論会の席。
随分と年上だったその人はこれまで私が組み立てていた脳内での理論を完璧までに
打ち崩してくれた。それは根本から、引っくり返されたのだった。
これまで受けたことのない仕打ちに始めは項垂れ、そうしてすぐに顔を上げてこれまでの
理論を白紙に戻し、もう一度組み立てていく。
全て白紙に戻ってしまえば頭の中は自分でも驚く程冷静で、そして広い視野でそれまでの
考えを正し、新しい理論を加え、そうして彼の元へ差し出した。
目の前で今すぐ読んで欲しいと、あの時自分はなんと若かったのだろう。
今思い出しても気恥ずかしさが蘇る。
けれどその人は面白そうに笑って、私からその分厚いレポート用紙を受け取ってくれた。
構内のカフェで向き合い、珈琲のカップから上がる湯気をただ見つめる。
どれだけ長い時間そうしていただろう。
教授と呼ばれるその人自身を初めて観察をした。
白い髪と髭。少し肥満気味の貫禄があるといえば聞こえのいい体格。
背は高い方ではない。大きな指を一本一本眺め、この歳まで独り身だったのだろうか、
左の薬指を眺めながら考えていた。

「君は人が好きかい?」
「…はい?」

質問の意味は聞き取れたが、その真意は汲み取れなかった。
聞き返した時、彼はやっとレポートから顔を上げた。
私はどんな表情をしていたのだろう…きっと、つまらない…レポート内容とは全く関係の無い
質問を、どうしてするのだろう…それはきっと相手を見下した表情だったように思える。
幼い頃から何を考えているのか理解出来ない、そう周囲の人間に見下されてきた。
人より優秀な頭脳を持っても、すましている態度が気に入らないと遠巻きに扱われてきた。
唯一私という人間を理解し、温かく受け入れてくれていた存在は、私を置いて手の届かない
場所へ先立ってしまった。
それから数年、私はますます他人というものに関心が湧かない。
知識へしか私のそれは向かわなかった。
そんな私にそんな質問をされても、私には答えようがなく…

「ワシは人が好きじゃ。
だから、科学を愛する。発明を生涯の伴侶としておる。」
「………」

何を、唐突に…そして、なんて・・
なんて暖かい笑顔で笑うんだろう。
まるで子供みたいに、無邪気な笑顔。
こんなにも大人なのに、こんなにも無防備な笑顔を晒す人、初めて見る。

「あの時、君がワシの伴侶となると分かっておった。」
「それを今云うの?」

なんて不釣合いなシチュエーション。
なのに穏やかな目も、その笑顔も出逢った頃とこの人は何も変わらず……
ただ互いの目の前で合わせ、そうして絡めた指の薬指に。
同じデザインの対になる指輪が嵌められていた。

「今云わなくてはいつ云うのかな。」
「そうね…あなたの云う通りだわ。」

伏せた目を再び上げる。
今伝え合い、分かち合わなくてはいつそう出来るというのか。
これが最期だと、互いに分かり切っていた。

「あの時と同じ質問をしてもいいかな。
君は、人が、好きかい?」
「………」

本当に変わらない。
今この時が私達の最期だというのに、この人はまるでそんな事問題ないように無邪気に笑う。
子供みたいに純粋なこの人の心が好きだ。

「…好きだわ。
良い人間ばかりじゃない。
悪い人間も多く存在している…けれど、あなたみたいな人も居る。
あなたと私を理解し、支援してくれた人も居るもの。」
「君がそう答えられて良かったと思うのは、ワシの私欲じゃな」
「…もし、私がそう答えられなかったら?」
「プロジェクトは始動されなかったかもしれんな。」
「………みんな怒るわよ?」

余りの身勝手さにかえって可笑しいのはどうしてだろう。
私がこの世界を、人を好きになれなかったらこの人は見捨てたというの?
そんなわけがないと思いながらも、自分自身この人がこんな風に人を愛する人でなかったら
このプロジェクトを共に開発はしなかっただろうと思う。
なんて私欲。傲慢な感情なんだろう。
けれどそれがとても人間らしい…そんな風に思える自分がとても不思議だった。
そして同時に、そんな風に思える自分がとても好きだった。

「終わってしまえば、みんな文句も云えんじゃろ?」
「そうだけど・・」

こんな時だというのにクスクス笑ってしまう。
ずっと前からこんな時がくることは分かっていた。
こうならなくてはプロジェクトは完璧に発動されない。
そんな時がきたら、私は泣くのだろうと思っていた。そう思って、一人の夜泣いたこともある。
けれど実際はどうだろう…私達はこれが伝え合える“最期”だと知っていながら、笑って顔を
見合わせていた。

「…時間はかかったが、君に逢えて良かった」
「…もっと早く生まれてくれば良かった。」

そうしたら、こうして二人で過ごす時間ももっと多く取れただろう。
出逢ってから今日まで、その十数年…ずっと研究室ばかりに居たのは決して気の所為ではない。

「君が生まれ、そうしてワシと出逢ってくれただけで充分じゃよ」
「私も・・あなたに逢えただけで充分…」

ギュッと力を篭めて絡め合う指に唇を寄せる。
涙は出ない。これが“最期”だけれど、決して終わりじゃない。
これが始まり。
二人で作り上げたプロジェクトの発動の始動に過ぎない。
この永遠にも近い歳月のプロジェクトが終わりを迎えるのはいつなのだろう。
もう逢えない。
見詰め合い、触れ合って、互いを確かめる事もう二度と出来ない。
このプロジェクトの為にそうなることは、どこかで嫌だと思っていた。
本当は世界が、他の人たちがどうなろうが構わないかもしれない。
この人に逢えた。それだけで充分だった。
この人と居れない世界なら全てに意味は無い………そう、思えなかった自分が少しだけ恨めしい。
この人と出逢い、そして互いを認め合った。
二人でプロジェクトを開発し、そしてここまで二人できた。
自分達を認めてくれて、支援してくれた人達も確かにいるのだけれど。
それでも私はやっぱりこの人と二人だった。
他の誰ともこの全てを分かち合う事は出来ない。
したくない。
私達の行為は背徳と成るか。世界は、もし居るというなら神はどんな判決を下すのだろう。
罪だと悪だというのなら、罪も悪も二人で荷う。
他の誰ともこの全ては分かち合えない。
二人だけのもの。
絡め合う指も、その体温も。
最期の瞬間まで、この人の全ては私だけのもの。
それはなんと甘い強欲なんだろう。
きっと人はこの甘い罪に耐え切れない。
この人に出逢うまで、あんなに他人を見下してきた自分なのに…私自身も人なのだと、この瞬間思い知らされた。





















「青子、人苦手か?」
「………」

不思議そうに首を傾げて、そうして元に戻る表情の顔色は随分良い。
体調よりも何よりも、その気持ちが明るいものへと変化しているのは目に取れる嬉しい経過だった。
いつもゲージの上に羽織っていた白い布もいつからか外されている。
日の良く当たる部屋で、暖かな陽射しを浴びてその身体も羽根も艶を取り戻しつつあった。

「苦手なのかなって思って・・」
「快斗は好き。…イヴも好きだよ?」

慌てて付け足された一言にオレは思わず笑みが浮んでしまった。
その答えにもひとまず安心して足を伸ばした。
その格好を見て青子も抱えていた膝を伸ばす。
気持ち良さそうにつま先を伸ばして、ちょいちょいと揺らしていた。

「青子をさー、家に連れて帰れたら色々外に連れてってやりてーなって思ったんだよ。
公園とか、海とか…オレがマジックショー出る時はもちろん連れて行きてぇし・・
あー、でもやっぱ目立つかぁ。
青子きれいだから人集まってくるだろうからな〜…」
「…………」
「ん?…あーおこ?どうした?顔、真っ赤。」

覗き込むと青子は真っ赤な顔を隠すように俯いてしまう。
黒髪が滑らかな頬を包み込んでも、その赤い顔は隠せなかった。

「熱でもあんじゃねーだろうなぁ」

心配で思わず伸ばした手に慌てて頭を横に振る。
あんまり勢いよく振るので額に触れることも出来ない。
振り過ぎてようやく項垂れておとなしくなった青子の頭にポンポンと軽く掌を乗せた。

「大丈夫か?」
「・・あんまり……」
「なんかやな事云ったか?…やっぱ、外ヤダ?」
「………」

今度は静かに頭を横に振る。
項垂れたままで表情はよく見て取れない。
不満に思い、思わず覗き込むと、青子は今にも泣き出しそうな顔で唇を噛んでいた。

「どっ、どうしたんだよっ!?やっぱ具合悪いんか!?
待ってろ!!今イヴを呼んでくっから!!」

立ち上がりかけたオレの上着の裾を小さな力が引き止める。
立ち上がろうとした体勢のままで、オレは必死に見上げてくる青子を見詰めて黙ってしまった。

「違う、の…快斗。あのね・・」
「……」

溢れ出しそうな涙は淵に溜まって本人の必死な思いと共に留まっている。
泣き出しそうなその表情はそんな顔させたくないという思いと裏腹に、堪らなく可愛く愛しいものと
なって目に映って困り果てる。
キツイ体勢だというのにも関わらず、凝り固まってしまう程に。

「青子…きれいじゃないよ?……青子なんか連れたら、きっと快斗笑われちゃうよぉ」
「…………」

凝り固まった身体と頭は青子のその言葉が溶かしてくれた。
ハァッと盛大な溜息を零して、オレは青子の隣りに座り込んだ。
伸ばしていた足はオレを引き止める時に移動したのだろう。今はペタンと左右に折り曲げられている。
オレの溜息を聞いて見て取れる程落ち込んでしまった青子はシュンと俯いてしまっている。
さっきからよく見ている頭にオレは額をコツンと当てた。

「あのなぁ〜…オレさ、今青子の顔見てないから云えっけどさ…
その…オレ、今まで・・青子よりきれいな女見たことねぇよ。」
「……う、そ・・」
「嘘じゃねぇ」
「…だって・・青子…」
「きれいだよ。」

当てた額をゆっくり外す。
そうするとゆっくり、それよりももっと鈍い動作で青子が顔を上げてこちらを覗き見る。
きれいな瞳。溢れそうな涙で濡れてるそれがどんだけきれいな宝石が、青子自身は全く知らない。
見ることさえ出来ない。
オレだけが今それを見てんだ。
そう思ったら、抱き締めてた。
腕の中にすっぽり収まる青子はビックリしているのか身動き一つしない。
今云ってしまったから、最後まで云ってしまおう。
まともに顔見て云える程甲斐性もないのは自覚ある。
んな浮いた台詞昼間っから真顔で云えるか。

「他の誰にどう映ってたってカンケーねぇ。
オレには、お前が一番きれいだ。」

多分他の誰かが見てもそうなんだろうけどよ。それは悔しいし、出来ればそう見えないで欲しいから口に
しなかった。
ちょっと自分でも怖いなと思う。
自由に色んな世界を見て欲しくて青子を連れて行きたいけど、可愛い青子を自慢したくて連れ回したい
気持ちになりそうだ。
そしてもしかしたら反対に。
あんまり綺麗で、他の誰にも見せたくなくて、閉じ込めてしまったらどうしようとも思う自分がいる。
青子を檻に入れて飼うつもりなんて毛頭無い。
けれど青子には実際に羽根が生えていて、綺麗に生え揃えば充分に飛べるかもしれない。
そうして何処かへ行ってしまうかもしれない。
そう思った時自分がどうしてしまうか、それが怖かった。

「…好きだよ」
「…好き?」
「うん、好きだ。すげー好き。青子があんまり可愛くてきれいでさ、不安になるよ」
「…どうして?」
「…なんとなく。」

本当の理由なんか云えるわけがない。
余りにも女々しく、余りにも貪欲過ぎる。こんな感情を抱いていることを知られたら嫌われちまう。
きっと青子はオレを怖がるだろうから・・

「青子も快斗が好きよ?」
「うん…」
「…青子ね、恥ずかしいけど…きれいになりたいなって思ってた。」
「…なんで?」

そのままで充分じゃねぇか、その言葉は云えずに抱き締めた腕を緩める。
青子の顔が見たいと思ったのに、今度は青子が隠れるようにオレの胸板に顔を埋めてきた。
見ないでと云ってるようでオレはもう一度青子を抱き締め直して、見ないように努めておく。
腕の中で青子の身体からホッと力が抜けるのが分かる。
一呼吸置いて、またポツリポツリと青子が話し出してくれた。

「快斗が喜んでくれるかもしれないから・・。
快斗の為にきれいになりたいって思ったの。」
「………」
「でもね…快斗が不安になるって云うんなら、きれいじゃなくてもいい。
きれいになったら、傍に置いてくれなくなっちゃう?
青子のこと、嫌いになっちゃう?」

震えだす語尾に抱き締める力を強くした。

「馬鹿云ってんじゃねーよ。
嫌いになるか。
離すもんか。
…好きなんだよ。」

自分の馬鹿な感情に嫌気が差した。
こんな不安が青子にこんな気持ちにさせるなら、オレの不安なんかどこかへ放り捨ててくる。
オレの不安なんかくだらないものだと心底思った。
もっと違う自分になりたい。
青子にこんな気持ち持たせずに。
強くなりたい。
そうだ、強くなろう。
青子がもっと素直に、もっと自分のままに。
色んな自分を望めるように。
オレが強くいなきゃ駄目なんだ、初めて気付く。

「青子も、快斗が好き。
ゴメンナサイ…いっしょに、居たいの。」
「バーロ。謝んなよ。
オレも同じだから・・一緒に居てぇから。」

だから、強くあろう。
青子を守る為に。この腕に収まる女一人守れるように。
青子を抱き締めたまま顔を上げる。
澄み切った空色。白い雲が筋のように靡いている。
見上げれば空の青。
見下ろせば愛しの青。
笑みが浮ぶ。
好きなものはこんなに近い。
そしてこんなに温かい。
いつまでも分かち合いたい、触れ合っていたい。離れたくない。
いつまでなんか分からないけれど、その時が来るまでこうしていたい。
そう望める今、明日、きっとその先も。
それはとても暖かくて、嬉しくて、そういうのが幸せなのかもしれないと思う願望だった。













最奥の部屋は相変わらずの雰囲気だ。
革張りの大きなソファに腰掛ける。
以前は緑沢と一緒だったな、ぼんやりと思い出していた。

「黒羽様には一度説明なさっているから手間が省けますわ。」
「んじゃ今日連れてってもいーか?」
「それは無理です。
ご存知の通り、こちらで行う最終診断を受けさせなくてはなりませんから。」

何枚もの書類を数冊のパンフレットと共に渡される。
一番上に乗ったパンフレットの片隅のマークに嫌でも目がいく。
十字架を軸の奇数の翼。
何故だろう…こんなアンバランスなマーク、違和感を誰も抱かないのだろうか。

「それでも何か、ご質問はありますか?」
「んー…今は特にない。」
「いずれ、生じるということで?」
「分からねぇよ。浮かぶかもしれないだろ。」
「そうですね。」

静かな笑みを称えてイヴは笑う。
その表情を見た時、なんだか妙な感じがした。

「アンタどうかしたのか?」
「何がです?」
「いや、なんか疲れたような顔してっからさ。」
「…そんなことありませんよ。」
「んな顔して何云ってんだよ。
・・でもそうだよな、ここに来てだいぶ経つが他の従業員どころかロボットさえ見ない。
お前一人で全部この店のことやってんのか?」
「それが私の仕事です。」
「ふーん。誰に任されてるか知らないけど、ずいぶんお前を酷使してんだな」
「………」

酷使…イヴの表情に些細な変化があったのをオレは見逃さなかった。
少し驚いたような表情。その次に可笑しそうに笑うイヴにオレの方が面食らう。
クスクスと小さな笑い声。そうして落ち着くとイヴは冷めてきた紅茶に手を伸ばしていた。

「興味がありますか?」
「あ?」
「私を雇う方に、興味がおありですか?」
「………」

全く無いと云えば嘘になるだろう。事実心が動かされた。
なんでだ?どうしても知りたいことじゃない。イヴに対しても、イヴの店に対しても特別な関心は青子に関わる
以外では無かった。

「…お逢いしてみますか?
貴方には本来、その権利があります。」
「権利?」

意味が分からない。
イヴを雇う存在。その存在に逢う権利?・・そもそも、権利が無くては逢えない人物だというのが理解出来ない。
イヴは自嘲気味に笑った。
本当は云うつもりではなかったのかもしれない。
けれど、彼女はもう口にしてしまった。
一度吐き出された言葉はもう無かったことには成り得ない。

「…黒羽盗一様…そのお名前を申し上げれば、分かって頂けるかしら?」
「…お前、なぜ親父の名を?…」

世界に名を馳せたマジシャンだったからか?・・けれど、世界が滅亡して百年。そして再生されても人類の新しい
歴史はまだ百年ばかりのもので、以前の歴史、記憶はそれぞれにバラバラだ。
その修正と均一の為に記憶をも再生されて、学べるようにインプットされている。
それは分かる。
理解は出来る。けれど、イヴの姿。
完全の人間体。その証明のナンバー。イヴは紛れも無い人間である筈で、その姿はまだ子供のもの。
たとえ再生された時に記憶がインプットされたとしても…

「お前、どこで親父を知った?」
「…西暦の時代に、お逢いしましたわ。」
「親父のファンってことはねぇよな?」
「……あの方のマジックには楽しませて貰いました。」

にっこりと浮ぶ笑顔がかえって彼女らしさを損なわせる。
挑戦的な瞳。
何かを挑んできているその視線に、身動きが取れなくなった。
必死に記憶を辿る。
親父のマジックショーには何回も行った。
その時の席でこの女を見た記憶があるか?
一度でも顔を見ていれば忘れる筈が無い…けれど、世界中を回っていた親父のすべてのショーに付いて行けた
わけではなかった。
オレの見ていない場所で、親父を見ていたのかもしれない。
けれど、それだけでこんな挑む顔を見せるわけがない。
まさか・・

「…オレ自身と、逢ってるのか?」
「………」

浮べた笑みはそのままだった。
記憶が無い。
イヴの姿を見たのは緑沢に連れられてこの店に来た時が初めてだ。
西暦の時代でも、この顔を見た記憶は全く無かった。
全く・・?
チリッと今脳裏を何かが掠った。
これまでにない程イヴの顔を凝視する。
本当に見たことが無い?
一度も?
よく思い出せ…
思い出そうとすればする程、記憶に靄が掛かる。
混乱しそうになる気持ちを、必死に落ち着かせた。
顔に出す真似だけはしたくない。
けれど動揺は確かに焦りを生む。
一つ息を吐いて、オレはイヴから視線を外した。

「……本当に、オレにとって必要なモノならば、
どんなに流れても、形を変えても。
…必ずこの手に戻ってくるんだろう?」

丸くした目とその表情はイヴを酷く幼く見せた。
その表情こそがその年齢に相応しいものなのだろう。
子供っぽい表情が嬉しそうに笑んで、そうしていつもの大人びた微笑を浮かべさせた。
突然訪れた躓き。
水面に石を放り入れたように、波紋が幾重にも広がっていく。
浮んだ疑問はオレの思考をハッキリとさせた。
研ぎ澄まされる感覚。
悪くない。
何かに挑むような……あぁ、違うな。
タネも知らないマジックを目の前で披露させられたような感じだ。
暴くなんて無粋な真似はしたくない。
けれどそれ以上の切り札を見せ付けたい。
マジシャンとしての挑戦的な気持ち。とてもそれは純粋な。
ワクワクとする舞台を目の前に用意されたような…
何枚ものの書類とパンフレットを片手にオレは立ち上がった。
そうして部屋を出て行こうとして、不意に止まる。
ジッとオレを見送っていたイヴに片手を見せてグッと拳を握って見せる。
意味が分からないのか少し首を傾げたイヴにニッと笑いかけた。

「この手に掴むぜ。
一度掴んだら絶対に離さない。」

忘れているかもしれない何かを。
そして初めて見つけた大切な一人を。
絶対に離さない。
この手で掴んでいれるように、オレは強くなる。
















2005/08/29







Written by きらり

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