天使の目覚める朝







              白い夢。
             それは予兆。
           赤い魔女の言葉。
             それは予言。
           青い天使の嘆き。
             それは未来。
           終わりない絶望。
             それは夢?

          いいえ、全ては現実。






夜空を仰ぎ。
魔女は溜め息を漏らす。
赤い唇に呪文を乗せて。
そうして夜空に舞上がる。
瞳には真実を。
唇に嘘を。
艶やかに纏い、魔女は笑う。
それは自嘲。
そして軽蔑の眼差し。
そこで待つ男を思い、魔女は笑った。
そして、全てを知った天使を思い。
魔女は沈黙を守った。




全てを知っていたのは誰だった?

最初から、夢は現実。

現実は夢の中に。

どちらが本当か、あなたは知っていた?

誰も本当を知らないまま。

そして、世界はその日を迎えようとしていた。

夢は覚める。

現実から醒める。

そして目覚めた時、傍にいるのがあなただったら・・・




白い外套がたなびく。
冷たい風は容赦なく闇の住人を突き刺していく。
その冷たささえその心を冷ますことは出来なくて。
魔女の心は最初から冷たかった。
男の心は既に凍り付いていた。
誰もそれを知らなかった。
それは・・

「なんて情けない顔してるの?」
笑みを浮かべて紅子は云った。
「・・・・」
口は固く閉ざされて、白い魔術師は黙ったままだった。
暫く沈黙が二人を閉じ込める。
魔女は居心地が悪そうに肩を竦めて見せる。
それでも何も話そうとしない彼を見やると、彼女は何処からか椅子を出すと
そこに腰掛けて男を見つめた。
先程から男は何も云わない。
それどころか、表情さえ無かった。
微かに胸に痛みが走る。
それに気付かないフリをして、魔女は微笑を称えた。
「世界を、壊しましょうか?」
「?」
黙ったまま、自分さえ見ようとしなかった男が初めて魔女を見つめた。
疑惑の瞳。
その色は絶望に染められて。
彼と出逢って初めて見るそれに、魔女は少しだけ顔をしかめて見せる。
「最初から、無かったことにしましょうか?」
もう一度魔女は繰り返した。
その唇に紅い嘘を乗せて。
呪文で彼を縛り付けてみせようか?
そこまでして欲しい男ではない。
けれど、そこまでしてやる価値がその男にはあった。
「彼女を解き放ちましょうか?
全てから・・始めから無かったことにするのは容易いわ。」
「どういう、意味だ?」
一度だけ瞳を伏せて、そうして魔女はもう一度彼を見つめる。
射るように真っ直ぐに容赦ない強さで、見つめていた。
「私には一時的な記憶を埋め込むことも、一箇所だけの記憶を失わせることも出来ないわ。
魔術はそれほど細かいことではないの。
魔術は単純な力でしかないわ。
失うか、手にするか。
それだけ。」
「・・・・」
「彼女の記憶からあなたを消すのよ。
全て、最初から無かったことになら、出来るわ。」
「・・・・俺、を?」
優雅な仕草で立ち上がると同時にそこにあった椅子は消え失せる。
風に攫われる髪を掬いあげて、紅子はにっこりと微笑んで見せた。
紅い魔女の誘惑。
白い魔術師の当惑。
「黒羽快斗ではなく、怪盗KID。
彼の存在を彼女の中から無くすのよ。
崩壊した世界を、もう一度壊すことなど簡単でしょう?
怪盗KIDを知らない彼女と、もう一度最初からやり直してみたら?
黒羽快斗として・・
幼なじみとして、もう一度。」
「・・・魔女との契約には代償がいるんだろう?」
油断の無い彼の瞳に色が戻る。
それを見て、紅子は思わず口元を緩めてしまった。
なんてこと・・今だ彼は理性を失っていないのだ。
それが煩わしくあり、嬉しくもある。
なんて・・心は複雑なのだろう。
どうして魔術ほど単純であれないのだろう・・・
とびっきりの微笑を称えて、紅子は瞳に力を込めた。
「代償は単純よ。あの子が失った彼を、私が貰うだけ。」
「・・・・」
「難しいことは云ってないわ。
私は黒羽快斗が欲しいんじゃない。
私が欲しいのは怪盗KID。
貴方よ?
悪くない話でしょう?」
「・・・・」
迷いは色を惑わせる。
瞳は単純にその色を表す。
魔女は微笑んだ。
男は迷う。
迷いの中にいる。
絶望の底にいる男を、この片手の平で掬うことなど。
容易いことではないか。
「俺は・・・」
先に言葉を云わせない。
云わせはしない。
「呪いは誰にも解けないわ。」
「・・・・」
「彼女を救える者は誰もいない。
貴方に彼女は救えない。
他でもない、貴方自身が呪いの根源なんですもの。」
「・・・・」
もう少し・・
もう少しで・・
全てを・・・
「あの子の中で貴方が存在する限り、あの子は呪いの呪縛から逃れることは
出来ないわ。貴方は彼女を救える。
貴方が彼女の中から消えることで。
貴方は・・最初から正体を知られたくなかったのでしょう?
それなら、全ては上手く収まるじゃない。」
凍りついた心が更に固く閉ざされる。
その感触が手にとるように分かる。
こんなに傍にいても。
こんなに貴方は遠い所にいる。
「・・・もう一度、やり直すことくらい簡単でしょう?
失うよりも。
貴方は彼女を失わないわ・・だから・・」
「・・だ」
「?」
屋上に吹きつく風の音は大きい。
紅子は思わず聞き漏らしてしまった。
「なんて?」
「ダメだ。それは出来ない。」
色の無い瞳に力が宿る。
嫌な予感がする。
否、それよりも確かな・・
「どうしてっ!?
だって、貴方は彼女を好きなんでしょう?
失いたくないんでしょう?
だから・・それなら、幼なじみでいれば良いじゃない!
最初からやり直せば良いじゃないっ!?」
分からない。
最初から、分からなかった。
この男と出逢った時から、自分の中で可能にならない何かを知った。
どんなに変えようとしても変わらないモノ。
それは、強い意志。
心。
それはとても複雑で。
どんな絶望の淵にあっても・・・
「契約なんか結べるわけねぇだろ。
俺は俺だ。
怪盗KIDの姿も、黒羽快斗の姿も。
俺に違いは無い。」
「・・・・」
強い光が失わない。
どんなに絶望しても、人の心には最後。
必ず希望が残っている。
願いは強い。
想いは強い。
それは決して私にはない・・
魔術でも及ばない領域。
見たくなかった。
知りたくなかった。
聞きたくなかった。
この先の言葉を。
紅子は真っ直ぐに彼を見つめたまま。
そのまま少しだけ笑って見せた。
淋しげな微笑。
複雑な感情。
こんな気持ち、この男は知らない。
こんなに傍にいても・・・決して伝わることは無い。
「俺は・・・全部青子のモノだ。
青子が俺なんか要らないと思っても・・それでも。
俺は青子の為にしか存在できねぇ!」
「予言は決して外れない・・呪いは決して解けない。
それでも?」
「・・それでもだ。」
こんなに傍にいても、貴方に私の気持ちは分からない。
魔女は微笑んだ。
瞳に嘘を。
唇に真実を乗せて。
そうして、空を仰ぐ。
「ま、貴方がどうなろうが私には構わないことよ。
ただ・・彼女を泣かせないで。
私の小さな友達を・・」
強い風に攫われるように、魔女は姿を消す。
すぐ上空に彗が現れて、紅子は手を振って見せた。
それを見送り、魔術師はシルクハットを深く被りなおした。
そこから表情は見えない。
誰にも見えなかった。
それは・・・







季節は着実に秋に変化していった。
蝉の鳴き声は消えて、代わりに木犀の香りが辺りを包み込み始める。
青子は日常の慌ただしさに目を回して、そうして身を任せていた。
忙しい時は何も考えずにいられた。
賑やかな毎日の中で、いつのまにかもう文化祭の準備に追われている。
委員会の会議や、生徒会との連絡などで休み時間も放課後も忙しかった。
それでもその方が青子には楽しくて良かった。
皆と賑やかに騒ぐのは好きだ。
その準備も片付けも苦ではなかった。
今彼女を何よりも苦痛に虐げるのは静寂。
一人の時間。
「青子ーーっ!」
「?」
振り返ると廊下を駆けて恵子がやってくる。
彼女も色々と青子の手伝いをしてくれてるのだ。
「決定したよ〜〜!
うちのクラスの催しもの、占いカフェだってー!」
青子に追いついた恵子は息を整えて、報告する。
「占いカフェ?面白そう〜〜〜v」
「ふふ、前から提案してたでしょう〜?
聞いてみたら結構占い出来る人いるんだよねv
アタシもねー、動物占いなら詳しいんだよ!」
「そうなんだ〜〜。そうだよね、紅子ちゃんも占いは得意だって云ってたし、
白馬君もトランプ占い出来るんだってー。
んじゃ後で占いやる人と、喫茶店の方やる人と分けなくっちゃね。」
わくわくしながら青子はあれこれ考えた。
そういえば、快斗もトランプ占い得意だったなぁ・・
「青子?」
「へっ?」
慌てて青子が恵子を見ると、恵子はなんだかおかしそうに首を傾げている。
心配そうに青子のオデコに手を当てた。
「大丈夫〜?最近よく青子ぼーっとしてるんだもん。
疲れがたまってるんじゃない?
青子ってばなんでもかんでも引き受けちゃうんだもん。
身がもたないわよ〜?」
それは事実だった。
面倒で細かい作業、連絡係など青子は自ら進んでやっていた。
疲れてなんかなかったし、青子は楽しかったので笑って平気よ!
そう云った。
嘘じゃなかった。
本当に動いてる方が良かった。
それは・・・




「こんなもんでいいかなぁ〜〜?」
「飾り付け?良いよ〜〜v
さっすが青子、センス良いもんねぇ!」
クラスの女子と数人で教室を飾りつけると、青子は今度は占いの個室を見て回った。
一つの机と椅子二つ。
それを雰囲気が出るように黒のカーテンで仕切っている。
そんな空間が5つ。
閉ざされたカーテンにそれぞれプレートが下がっている。
『水晶・タロット占い』
覗くと中には紅子とその横に衣装係もやっている恵子がいる。
「きゃーv紅子ちゃん素敵!」
「あら、中森さん」
紅子は意外そうに青子を見て、そうして少し照れ臭そうに笑ってみせる。
「いいでしょー?絶対似合うと思ったんだ。」
恵子は得意そうに腕を腰に当てる。
中に入ってみると、辺りには雰囲気を出すアンティークな照明が二つ並んでいる。
その灯りに照らし出された紅子の姿は、まさに魔女であった。
赤と黒の生地に身を包み込んで、顔には黒いレースのヴェール。
大きなイヤリングがとても紅子に似合っている。
「失礼・・へぇ・・本当に素敵だな。」
「あら、本当に失礼な人ね。ズカズカと・・」
そうは云っているが紅子は微笑を浮かべている。
「白馬くーん、ここ狭いんだからね〜〜。
いいよー。アタシが出るー。」
恵子はそう云って個室から出て行った。
「白馬君も素敵だよvどこかの王子様みたい!」
「光栄です。中森さん」
礼儀正しく頭を下げるその姿は、本当にどこかの貴族様みたいだった。
青子はにこにこと二人を見比べる。
白馬が着ているのはホワイトグレーのスーツにダークローズのスカーフと
白いバラをアクセントにしている物だった。
どこから調達してきたんだろう?青子はそんなことを考えていた。
二人は会話を進めていく。
「貴方はトランプ占いでしたっけ?
今度私も占ってもらおうかしら?」
「フフ、貴女に占いなんて必要ではないでしょう?
欲しい物など何もない。
迷うこともないというのに・・」
「そうね。でも・・本当に欲しい物は誰にも分からないわ。」
「?」
綺麗な微笑だった。
それでもどこか、青子は淋しそうに感じた。
どうしたの?
そう云う前に、彼女は出て行ってしまう。
外で、クラスの声が上がる。
奇麗ねぇと溜め息をつく女の子達の声が聞こえた。
「・・・・」
残された白馬と顔を見合わせて、青子は肩を竦めて見せる。
白馬も笑って見せた。
「ずいぶんお忙しいですね、最近の貴女は。」
「そうかな?それも明日までだけどね、とうとう明日からだもんv
楽しみだね、文化祭!」
「ええ、初めてですよ。けど・・貴女にはそんな風に笑って欲しくありませんねぇ。」
「?」
白馬のいう意味が分からず青子は首を傾げて見せる。
なんだか気遣ってくれているようだ。
でも、どうしてそんな風にされるのか青子には分からなかった。
「平気だよ?白馬君・・」
「そうですか?では、また。」
そう云って彼も出て行った。
その後ろ姿を見送って、そうしてまたクラスの声は賑やかになる。
青子はぼんやりとそこに残っていた。
黒いクロスがかけられた机を見つめる。
そして椅子に腰を掛けた。
なんでだろう?
笑えてしまった。
口元に笑みが浮ぶ。
青子は嬉しかった。
皆が気遣ってくれている。
それを知っていた。感じないハズがなかった。
でもどうしよう・・分からない。
分からないのだ。
自分はこのままで、良いんだろうか?
このまま?
そうじゃない、これから。
どうしたいのかさえ、分からなかった。
違う。考えたくなかったのだ。
だって・・だって・・全部、嘘だったのだ。
最初から全部、嘘を・・・





       嘘だったのに、今更どうして?

       嘘だったのに、今更どうする?

       嘘だったのに、今更どうなる?
 



   そんなこと云えない。       誰にも。

   そんなこと聞けない。      青子にも。

   そんなこと分からない。    本人にさえ。






三日が土曜日の為、今日金曜日から文化祭は続く。
今日は生徒だけの催しで、明日からは一般にも公開される。
校内は朝からとても賑やかで、誰もがとても楽しそうだった。
生徒たちは楽しそうに書く教室を見て回り、先生たちも今日ばかりは羽目を
外す生徒たちを寛大に見守っていた。


「こちらに書き込んでから、中でお待ちくださいね。」
青子はノートを渡して並んでいる生徒たちに書き込んでもらう。
自分の名前となんの占いを希望か、それを書いて後ろの人に回してもらう。
そして待ち時間の間は中でオーダーをして、待っていてもらう。
青子たちのクラスの占いカフェは最初こそ人は少なかったが、午後を回る頃には
ノート一冊を越える程の大繁盛であった。
「めちゃくちゃ忙しいねぇ〜〜。」
美登里は紅茶とコーヒーを運びながら、青子に声をかけてきた。
「青子、恵子たちにアイスティー運んであげてくれる?
さっき喉渇いた〜〜って嘆いてたからさ。
軽くつまめるのも用意して置いたから。」
裏のテーブルにそれはあった。
気の効く美登里はそれぞれアイスティーにクッキーとカップケーキ。
そして喉飴も沿えて用意していた。
「まずは白馬くんかな?」
丁度占ってもらっていた生徒が出て行く。
なんだか嬉しそうに頬を染めていた。
「入るよ〜?」
一声かけて青子はカーテンを開いて中に入った。
「お疲れさまー。
これ飲んでね。それとこれ食べてね。」
「ありがとうございます。」
「すっごい人気だねぇ、白馬君のトランプ占い。
さっき出て行った子すっごく嬉しそうだったよ〜〜。」
アイスティーと菓子をのせたプレートを置いて、青子は白馬を見て笑った。
少し蒸し暑そうに白馬は襟元を崩すと、氷の入ったアイスティーを見て
嬉しそうに笑う。
「頂きます。丁度喉が渇いて仕方なかったんですよ。」
「ずっとお話してるんだもんねぇ。
あと二人で休憩になるよ、もう少しだけ頑張ってね。」
そうして青子は部屋を出る。
中は意外と暑いのだ。明日からもう少し風通りを良くする為にカーテンを変えようかな?
黒のレースでも良いかもしれない。
どこかにあったような気がするから、後で探しておこう・・・・。
隣りの部屋は・・・
「紅子ちゃん、お疲れ様。」
カーテンを開いて青子は微笑む。
けれど、次の瞬間。
自分でも笑顔が凍るのが分かった。
「・・・・ご、ごめんね。まだ占い中だった?」
そう云って出て行こうとしたのだが、それよりも早く中の人間が云った。
「俺が出てくよ。」
「・・・」
なんでもないみたいに笑って、その人は出て行く。
青子は凍りついたまま、その場で動けずにいた。
ホンの数秒がどれだけ長く感じただろう。
彼はすっと自分を横切ると、カーテンを持ち上げてそこから出て行く。
こんな狭い入口なのに、肩さえもぶつかることはなかった。
「中森さん?」
「・・・あ、ごめんね。その喉渇いたと思って、これ・・」
「ありがとう。こっちに持ってきて下さる?」
「うん・・」
そう云ってもらわなければ、青子はその場から動けなかったかもしれない。
なぜだろう?
すごく驚いた。
なんの前触れもなく、彼がいたのだ。
「・・中森さん?」
「・・・」
頭の中で順番のリストを思い出した。
紅子の占いの順番に彼の名前などなかった。
では、どうして?
どうして彼がここにいたんだろう?
同じクラスだもの・・もしかして様子を見に覗いただけかもしれない。
そうだ・・それだけだ。
何を驚くことがあるのだろう・・何を・・・。
「これ、クッキーとかも・・食べてね?」
「・・・・私、これから休憩なの。
少しだけ、付き合ってくださる?」
「でも・・」
「平気よ。ホンの数分だけ。
ここに、座って。」
「・・・・・」
どうしてだろう。
青子はそのまま椅子に腰をおろした。
恵子の分がまだ残っている。
グラスは汗をかき始めていた。
それなのに。
急に力が抜けてしまった。
あんなに気を張り詰めていたのに、どうしてだろう。
まるで何もなかったみたいに、思える。
何もかも、嘘だったみたいに・・・・
夢だったみたいに。
「中森さん・・疲れてるでしょう?
最近ずっと委員会やクラスの居残りでずっと動きっ放しだったものね。」
「・・大丈夫だよ。こういうの大好きなんだ。
すっごく楽しくて・・・」
上手く笑えていた。
とても上手に青子は笑った。
それを見て、紅子は眉を顰める。
少しだけ深い息を漏らして、紅子は机に置かれている水晶を大事そうに
撫でた。
「ねぇ、何か占ってあげましょうか?」
「・・・・・」
「アイスティーのお礼に、一度だけ・・・」
「・・・・」
ぼんやりと青子はその仕草を見守った。
綺麗な指だ。
細くて長くて・・とても神秘的な指。
それが丁寧に優しく水晶を撫で回している。
まるで大事な子にするように・・紅子の手はそれを愛しげに撫でていた。
「ごめんね、何も浮ばないや。
考えておく・・また後で来るね?」
立ち上がろうとした青子の手を、やんわりと紅子は触れて制した。
「?」
「今心の中にある言葉を、そのまま口にして?
私には見えているのよ・・・水晶に映し出されてる。
貴女の心の内が・・その色が私には見えてるわ。」
「・・・て・?」
「・・・・」
真っ直ぐに紅子は青子の瞳を捕える。
まるでホンモノの魔女のようだ。
そう思う。
キツイ、でも綺麗な瞳。
その強さがとても強烈で、青子は目を逸らせずにいた。
「・・どうして?」
「・・・・」
紅子は時間をかけて、青子の言葉を待っている。
すぐそこにある、でも何度も飲み込まれた真実を。
魔女はゆっくりと誘導した。
瞳に嘘を閉じ込めて。
唇に真実をのせて。
色鮮やかに心の内を誘う。
こんなに押し殺した色を、他には知らなかった。
解放させてあげたかった。
誰でもない。
ただ一人の彼女を。
自分がただ一人、他人ではないと認めた彼女を。


「どうして、人は嘘をつくのかな・・・」
「・・・・」
「どうしてだろう?
・・・どんなに仲が良くても・・どんなに傍にいても。
どんなに大事な人にさえ、人はどうして嘘をついちゃうのかなぁ・・?」
「・・・・」
青子は泣いていなかった。
でも、今にも泣き出しそうだった。
笑った唇が歪んでいた。
哀しくてどうしようもないのに、青子は笑っている。
紅子は息を飲んだ。
一瞬瞳を伏せて。
紅子はもう一度真っ直ぐに彼女を見つめた。
「知られたくないことがあるから。
誰にも見られたくないことがあるから。
とても恥ずかしいことだから。
とても情けないことだから。
だから・・人は嘘をつくのだと思うわ。」
「・・・・嘘は悪いこと?」
「いいえ。分からない。
貴女は悪いことだと思う?」
真っ直ぐに見つめられた視線を青子は外し、俯いた。
「・・・小さい頃から嘘はついちゃダメって云われたもん。
悪いこと、なんだと思う。」
「知られたくないことは悪いこと?」
「・・・・・」
青子は考えた。
思い出すのは、白い姿。
闇夜に映えたあの色。
すごく逢いたいと思っていたあの色。
ふるふると首を横に振る。
「誰にも見られたくないことは、悪いこと?」
抱き締められた腕。
温かかった腕の中。
どんなに寒い夜でも、あの腕の中は温かかった。
どこよりも、誰よりも安心出来た大切な場所。
無言のまま首を横に振る。
「恥ずかしいと思うことは、悪いこと?」
「・・・・」
何度も囁かれた言葉。
耳から、どこまでも染み渡っていった彼の言葉。
触れた指先。
合わせた唇。
何度も触れて。
何度も見つめた、ただ一人の人。
「情けないのは、悪いこと?」
「・・・・」
逢いたくて。
逢えなくて。
淋しくて、何度もその名前を呼んだ。
口に出さなくても、心で。
ずっと呼んでいた。
寂しい時、不安な時。
傍にいて欲しかったのは。
傍にいてくれたのは・・・
「・・悪くない。」
「では、嘘は?」
「・・・・」
「嘘をついてまで、そこまでしても一緒にいたい人っていうのは
一生にホンの少しだけ、いるのだと思うわ。」
顔を上げると、紅子は微笑んでいた。
優しい瞳だった。
まるで、全部知っているような・・・
まるで、見守ってくれているような。
そんな優しさを閉じ込めた瞳。
「貴女にはいた?」
「・・・」
「誰に嘘をついても、一緒にいたいと思える人が。
誰を欺いても、守りたいと思う人が。
貴女には、いるのかしら?」
「・・・・」
紅子の指が優しく頬を撫でる。
その指先が濡れていて、青子は初めて自分が泣いていることに気付いた。
「・・紅子ちゃん・・」
「貴女は悪いことなんて何もしてないわ。
泣くことなんてない。
貴女は間違っていない。ちゃんと答えを知ってる・・・」
長い指先が青子の胸の辺りに触れる。
触れられた場所を見て、きょとんと青子は首を傾げた。
「貴女は此処に、答えを隠してるわ。」
「・・・ありがとう。」
ゴシゴシと涙を拭いて、青子は笑う。
何度も擦った瞳が少しだけ赤くて、紅子は困った風に笑った。

「でもね、青子は嘘が嫌い。
やっぱり嘘をつくのは悪いことだと思う。」
「・・・・そうね。悪いことかもしれないわ。」
「・・でも、ありがとう紅子ちゃん。
すごく軽くなったよ。」
「それは、良かったわ・・」
「紅子ちゃんは?」
「?」
立ち上がった青子はエプロンのポケットに入れてあったナプキンで恵子の分の
グラスの汗を拭き取った。
「紅子ちゃんは、嘘は悪いと思う?」
「・・そうね、バレる嘘は悪いと思うわ。」
「?」
「でも、悪いことをしたら謝ることが出来るでしょう。」
「・・・・そうだね・・」
すごく驚いたように青子は紅子を見た。
そんなふうな答えは返ってくるとは思わなかったようだ。
紅子も可笑しくて笑えてしまう。
嘘をつくのは悪いことだ。
それを知っていた。
「ありがとう、紅子ちゃん。
もう少し頑張ろうね。」
トレイを持って青子は部屋を出て行く。
取り残されるのは涙を含んだ指先。
そして蒸し暑い空気の中に蒸発した嘘。
水晶を覗き込む。
未来の色は見えていた。
初めから、それは変わっていない。
絶望の色。
そこに混じる白と黒。
そして・・・
「・・嘘」
誰にも聞こえないように紅子は呟いた。
全部、嘘だとしても。
バレなければ良いのだ。
嘘だとバレなければ、それは『嘘』じゃない。
嘘だということを、この世の誰にもバレなければそれは『嘘』には
成り立たないのだ。

魔女は笑みを浮かべた。
赤い唇に真実をのせて。
瞳の奥に嘘を閉じ込めて。
そうして誘う、未来を確実に・・。
想いは夢。
夢は願い。
願いは力。
力は未来。
未来は光。
どんなに見つめても、慣れない。
その強さには敵わない。
魔術は単純だった。
良いか、悪いか。
嘘は複雑なのだ。
良いし、悪いし。
でも・・・
私なら?
・・・私ならバレるような嘘はつかない。
嘘をついてまで、一緒にいたかったら・・絶対にバレることはない嘘をつく。
愛していたら?
愛してたら、死ぬまで嘘を貫き通してあげる。
それだって・・愛でしょう?
間違いじゃないでしょう?
嘘、なんて。
誰に云えるのでしょう・・・・





      誰も知らないそれは  本当?

      誰も知ってるそれは   嘘?

      貴女が知らないそれは  夢?

      貴女が知ったそれは   何?


                 誰かが誰かの為に嘘をついたら

                 誰かは誰かを裁くのでしょうか?


    貴女が貴女の為についた嘘なら

    貴女は貴女を許すのでしょうか?



         誰にとって嘘なのか

         貴女にとって本当は

         一体、なんですか?






楽しく慌ただしい時間はすぐに過ぎ去る。
残るのは静寂。
ホンの少し気だるい思い。
片付けた後はまるで全部夢の後のように、いつもの教室で。
校庭では灯りが灯り続けていた。
時間は5時を過ぎていた。
もう辺りは薄暗くなってきている。
校庭に集められたゴミは、そのまま設置された囲いの中で燃えていく。
いつの頃か習慣になっていた。
文化祭や体育祭などの最終日、校庭では要らない材木や残った紙のゴミなど
が一度に燃やされる。
生徒たちは後片付けを終えると、それを囲んで輪になって踊っていた。
生徒だけでなく先生も混じっている。
その光景はすごく平和で、なんだか温かくて青子は好きだった。
祭りの後は心が物淋しくなる。
なんだか取り残されたような感覚が身を包んで、青子は苦手だった。
でも・・そんな時はいつだって。


「・・・なんでだ?」
まるで見たモノを間違えたように、見開いた瞳。
そこに映る自分自身を想像して、青子は佇んでいた。
閉まった扉の音が響く。
そしてすぐに冷たい風に攫われてしまった。
二人を包み込む静寂。
緊迫した空気が頬を掠める。
青子は黙っていた。
此処に来たのは間違いなんかじゃなかった。
確信があったのだ。
此処にいるであろう、絶対の確信。
「だって紅子ちゃんに聞いたもん。」
「・・・」
ゆっくりと自分に歩み寄ってくる青子の姿を、快斗は緊張した面持ちで見つめていた。
なんでだ?
疑問が浮び、答えが出てこない。
どうして青子が此処に来たのだろう?
答えは・・浮ばない。
否、それを知りたくなかった。
最後の時は、もう目の前に来ているのだ。
崩壊した世界に訪れるのは終幕。
それを何処かで覚悟していた筈なのに・・・思わず溜め息が洩れた。
「青子・・」
もう何度も呼んだ名前。
もう一度、確かめるように呼んでいた。
「青子?」
「紅子ちゃんの方が良かったかなぁ?
ごめんね、でもどうしても・・青子、云いたかったことがあるの。」
「・・・・・」
真っ直ぐな瞳に見つめられる。
途方もない絶望感に包まれた自分を見つめている青子の姿。
審判が下る時、なのかもしれない。
「快斗・・・。
貴方は快斗だよね?」
「・・・ああ。」
快斗はしっかりと頷いた。
一度崩壊された世界で、これ以上堕ちることなどないのだ。
何処か安堵した気持ちがあった。
けれど、それ以上に哀しいと思う気持ちがあった。
失うことを、覚悟していた。
けれどそれは嘘だったのかもしれない。
こうして目の前に、青子の姿を見れば。
世界に輝く光を見つけられてしまうではないか・・・
たった一筋の道だった。
黒羽快斗が、自分に帰れる。
怪盗KIDが、元に戻れる。
ただ一本の道標だったのに・・・
すぐ目の前に青子はいた。
真っ直ぐに自分を見上げる瞳は、何か強い意志を秘めていた。
「・・怪盗キッド・・なんだよねぇ?
キッド・・そう呼んでも良い?」
「・・・・」
快斗は黙ったまま青子を見下ろした。
綺麗な瞳に映る自分が見える。
そこにいるのは白い姿。
世紀の魔術師。
彼の姿。
「・・・・・」
目を閉じた。
覚悟していたつもりだった。
恐れるものなんか何もなかったんだ。
ただ、唯一人を失う以外に・・何も。
指をパチンと鳴らしてみせる。
左手に現れたのは白い鳩。
もう一度。
次は右手に。
もう一度。
また左手に。
三羽の鳩を肩に止まらせて、快斗はもう一度指を鳴らす。
青子はそれを黙って見つめていた。
何羽もの鳩が現れて快斗の肩に、腕に、手に。
頭にも。
留まりきれずに溢れていく鳩たちが快斗の上半身を覆っていく。
それを青子は見つめていた。
感情の読めない瞳。
ポンッ☆と軽い音が弾けて。
鳩は真っ白な一枚の布に姿を変える。
そしてその布は風にたなびき、それが外套だとみせしめた。
其処にいるのは、青子が呼ぶ名前の主。
真っ白のシルクハット。
そして外套を纏って。
其処に立っているのは怪盗KIDだった。
「・・・」
「また、逢えましたね?」
少し哀しそうにKIDは笑った。
優雅な仕草で御辞儀をして、青子を夢見るように見つめた。
「・・キッド・・・。」
「はい。」
「・・・・]
じっと見つめられる視線が痛かった。
まるで初めての舞台のようだった。
喉が渇く。
知らずに握り締めた拳が、緊張していることを思い知らせた。
「キッド・・」
青子が懐かしそうに自分を見つめる。
上がった手が・・ゆっくりと自分の頬に触れた。
意識が遠のく感覚だった。
どんなに罪に苛まれても、こんな思いはしないだろう。
自分の精神が嬲られているいるような感覚。
それは紛れも無い罪の意識。
そんなもの、感じることはなかったのに・・・
感じることは無い。
覚悟を決めていたのに・・この姿になったあの瞬間から。
けれど・・それは本当だったのだろうか?
心の何処かで甘くみていたのではないか?
本当に、青子にバレることなど。
想像したこともなかったくせに・・・
KIDは目を伏せた。
それを青子は許さなかった。
冷えていく頬に温かい感触が何度も触れる。
「・・でも・・」
青子の呟きに、KIDは目を開いた。
そこにいる青子の顔を・・・自分は今まで一度も見たことは無かった。
見ること無い筈だった。
見てはいけない筈だった。
させてはいけない筈だったのに!
今にも崩れそうな泣き笑い。
心が凍りつく。
罪はこんなにも、・・・ああ、そうだ。
こんなにも罪深いことを、自分はしていたのだ。
知っていたのに、気付かないフリをして。
知られたくなくて、傍にいたくて。
そして・・こんなに大きな嘘を、ついてきたのだ。
誰よりも。
世界で一番大事な女に。
それは、罪。
嘘だとしても。
嘘だったから。
決して、夢では終わらないのだ・・・
それが、現実。

「でも、快斗・・なんだよね?」
「・・・・」
「バカだよねぇ、青子・・・。
どうしてすぐに気付かなかったんだろう。
こんなにそっくりなのに、ね・・?」
「・・・・」
何も云えなかった。
何を云えばいいのか分からなかった。
無力を思い知る。
愚かなことを思い知る。
そして、打ちのめされる。
青子の、笑顔に。
その涙に。
「・・快斗、戻って・・」
「・・・・」
パチンと指を鳴らせば。
簡単にその姿は元に戻った。
衣装は片付けられずに、足元に散らばった。
「・・・」
「・・・」
長いこと見つめあった。
口を開けないのはお互いだった。
どちらから、視線を外したのか。
それは、青子だった。
「・・青子は、嘘が嫌い。」
「・・・・」
知っていた。
誰よりも一番、知っていたよ。
でも・・バレなきゃ良いって思っていた。
ずっと。
いつまでも、青子にだけは知られたくなかった。
快斗は足元に散らばった、KIDの衣装に視線を落とした。
云われる言葉は想像出来ていた。
そして云われた言葉は心を抉った。
「でも、快斗・・」
遠くから生徒たちの歓声が聞こえる。
賑やかな音楽に合わせて、踊る生徒たち。
つい先程まで、あの生徒たちの中にいたとは思えない二人。
「・・・・・・・い。」
「・・・・えっ?」
快斗は顔を上げた。
そこにある顔を信じられぬように、凝視する。
強い視線から目を離さずに、青子はもう一度繰り返した。
「快斗、ごめんなさい・・」
「・・・あ、おこ?」
何を云っている?
言葉は理解出来る。
でも、その意味が理解出来ない。
謝っているのは分かる。
でも、謝らなくてはいけないのは、青子ではない。
自分なのだ。
「何を云ってるんだよ?
なんで青子が謝るんだ!?そんな必要はないだろっ!?
俺が・・・っ、俺は・・」
青子を見て、快斗は言葉を切る。
哀しそうに自分を見つめる青子。
その視線に耐えられなくて・・・快斗は言葉を詰まらせた。
「青子は悪くない・・俺は、俺が・・青子に嘘をついてたんだ。
それを、知ってるだろう?
思い出したんだろうっ!?全部!
全部、知ってるんだろう?青子・・・」
「・・・うん、思い出したよ。
全部、思い出した。
そして全部・・覚えてる。
キッドのこと、快斗の言葉も全部・・知ってるよ。」
「・・・・」
思い出すのは拒絶。
あの時の青子の瞳だった。
振り解かれた腕。
哀しそうに悔しそうに自分を映した瞳。
何度。
何度思い出せば、気が済んだのだろう・・・
何度思い出しても、こんなにも苦しいのに。
ブルーエンジェル。
今もここに在るレプリカの輝き。
冷たい微笑。
青い天使の嘆き。
その悲哀は決して解き放たれることはなく。
触れた乙女たちを絶望に誘う。
その涙と共に・・・
誰も止められない。
誰にも救えないのだろうか。
自分さえも、青子を・・・





「あのね、快斗・・聞いて。」
暗闇に沈む辺りに響く、青子の声。
快斗はゆっくりと顔を上げた。
青子は深刻な面持ちだった。
真っ直ぐに自分を見つめ、重い唇を開こうとしている。
「・・青子は・・青子はずっと快斗に、嘘をついていました。」
「・・・・・?」
上手く思考が回らない。
どうしてだ?
青子の云わんとしていることが、上手く理解出来ずにいた。
「・・・ふぅ・・」
大きく呼吸をして、青子は息を吐いた。
どこかスッキリしたのか、少しだけ笑みを浮かべている。
「・・青子はずっと嘘をついてたの。
嘘が嫌いだったのに、ずっと嘘をついてた。」
「青子が?」
「うん。」
深く頷いて、青子は口を開く。
「嘘つきは青子の方だったの。」
「・・・」
快斗はぽかんと青子を見ていた。
どうしてなんだ?
さっぱり意味が理解出来ない。
続く言葉を快斗は待った。
一言も聞き漏らすまいと、必死になって意識を集中する。
「青子は・・ずっと怪盗KIDが嫌いだった。」
「・・知って、る・・」
知っていた。
だから不安だった。
だから怖かった。
絶対に知られたくなかったんだ。
絶対に知られない筈だったのに。
それなのに・・・
「一生懸命してる人を馬鹿にしてるみたいで・・お父さんも皆必死になってるのに、
誰にも掴まえることは出来なくて・・・」
「・・・・」
捕まるわけにはいかなかった。
まだ何も快斗は掴めていなかった。
ようやくパンドラの存在とそれを狙う組織の一部が見え隠れしてきた、その時に。
誰にも。
誰にも、知られるわけにはいかなかったのだ。
誰にも捕まるわけにはいかなかった・・・
「マジックを泥棒に利用するなんて絶対に許せなかったの。
マジックは人の心を楽しませるものよ。
夢を見せてくれるもの。
それを・・大事なモノを盗む為なんて、泥棒の為に使うなんて・・・
青子には許せなかったの。」
「・・・・・」
分かっていた。
分かってたんだ、だけど・・・
他に方法はなかった。
快斗はKIDでなければいけなかった。
その道を、自分自身で選んでしまったのだ。
それが、青子を苦しめるとしても。
哀しい思いをさせるとしても・・・選ばずにいられなかったんだ・・
「快斗・・・青子は、快斗が好きだったの。」
「ああ・・」
過去形だった。
それでも、嬉しかった。
快斗は青子を見つめる。
風で揺れる髪が柔らかいことを知っている。
細い首筋が風に晒されて、冷たくなっていくのが分かっていた。
それでも、体が動かなかった。
温めてやりたくても、その資格がもう自分にはないことを知っていた。
去って行くなら、青子が行ってくれるのを待っているしかないな。
そう思いながら、青子の言葉を待っていた。
「だから、嘘をついてたの。」
「・・・・?」
「青子は・・・キッドが嫌いじゃなかった。
でも、嫌いだって云った。
どうしてか、分かる?」
「・・・いや」
じっと見つめた瞳に涙が滲む。
それでも笑う青子に、快斗は苦しくなった。
こんな顔、させたかったんじゃないんだ。
それなのに・・・
「だって・・あんまり似てた。」
「・・・・」
「快斗とキッドは本当に良く似てたのよ?
青子は、いつから快斗と一緒にいたと思うの?
どれだけ一緒に・・過ごしてたと思うの?
青子は・・・」
「・・・」
黙っていることしか出来ない。
その言葉が気になって仕方ない。
不安と疑問が渦を巻く。
「青子は、誰よりも近くで快斗のマジックを見てた。
キッドの手口、犯行をテレビで見てた時・・・青子はすぐに快斗が頭に浮んだの。
どうしてだろう・・・だって、二人のマジックは似ていたのよ。
マジックそのものがじゃなくて、そのマジックが生み出すイメージ、雰囲気、
なんていうんだろう・・マジックが生み出す魔法の欠片が・・・
快斗のマジックとそっくりだった。」
「・・・・・・」
知らず息を飲んでいた。
そんなこと、気付いていなかった。
誰も気付いてなかった。
自分さえも・・それなのに、どうして青子に・・?
「その時、怖くなったの。
キッドが快斗だったら・・・なんて、一瞬でも考えた自分に・・・青子は嘘をついた。
『怪盗KIDなんか大っ嫌い』
『怪盗KIDは悪い人だ』
そう、何度も何度も思い込んだ。」
「・・・・」
「だって・・そうでも思わなきゃ。
青子はいられなかったの。
怪盗KIDを見るたび、青子は嘘をついた。
『怪盗KIDなんか大嫌い』
『KIDのマジックなんか素敵じゃない』
『KIDは快斗と全然違う』
・・・何度もそう嘘をついた。
嘘つきは青子の方だったんだよ?」
「青子・・・だけど、」
言葉が上手く出てこなかった。
目に映る青子がまるで知らない女のように・・・
なんだか遠くて、不安になった。
手を伸ばせば届く、すぐそこにいるのに・・。
「だから青子には分からなかった。
キッドが目の前にいても。
その腕に抱き締められても・・青子は分からなかった。
嘘で固めた気持ちに、嘘で曇った目に・・青子は・・・
快斗を見つけられずにいたの。」
「・・・・・」
「こんなに近くにいたのにね?
こんなに・・好きだったのに、忘れてただけなのに・・分からなかった。」
「青子・・」
零れ落ちる涙が頬を辿って、落ちていく。
冷たい風が攫って、コンクリートに染み込んでいく。
それを快斗は追った。
そしてすぐに青子を見た。
情けないね・・・そう呟く。
青子は笑っていた。
泣きながら、それでも・・
「青子は思い出したくなかった。
快斗に嘘をつかれていたことじゃない。
青子が・・自分に、快斗に嘘をついていたこと。
ずっと、本当の気持ちを押し殺していたこと。
青子は・・・青子が快斗に嘘をついてきたことを。
・・思い出したくなかったの・・・」
「違うっ!」
KIDの衣装を踏みつけて、伸ばした腕で青子を攫った。
抱き締めた感触が嘘みたいにリアルで。
快斗は苦しくなった。
青子は黙っていた。
二人は離れなかった。
「・・がう、違う、違うんだっ!
青子は悪くない。何も・・間違ってなんかない。
俺が・・」
「だって快斗も悪くないんだよ?」
「・・・」
冷たい頬が首筋に触れるのを感じて、快斗は抱き締めた腕に力を込めた。
風が強い。
屋上で吹き付けるそれに、青子を攫われまいと。
快斗は抱く腕に力を込めた。
「快斗は・・快斗には理由があったんでしょう?
怪盗KIDにならなくちゃいけない・・・事情があったんでしょう?」
「・・・・」
何から話せばいいんだろう。
上手くまとまらなかった。
最初から全部打ち明けていたなら良かったんだろうか?
最初から打ち明けていれば・・でも、そんなこと出来るわけがなかったのだ。
正体も分からない組織と対立して、宝石を盗んでいる自分。
どんな正義を振りかざしても、その行為は犯罪だ。
それを知っているから、分かっていたから青子には・・知られたくなかったんだ。
見られたくなかった。
怪盗KIDになりすまして、そうして俺は・・・
許されない行為を繰り返している。
それは今も・・これからもまだ終わらない。
いつ終わるのかさえも、快斗自身にさえ分からないのだ。
云えなかった。
云えば巻き込むことになるかもしれない。
違う・・そうじゃない。
単に俺は・・犯罪者である自分を、知られたくなかっただけなんだ。
罪を犯して、平凡に生活して見せている自分を。
他でもない、青子にだけは・・・
「どんな事情か知らない。
分からない・・きっと、話してくれないでしょう?
それでも・・青子は、構わなかったの。
でもね、青子にだけは嘘をついて欲しくなかった。
快斗にだけは・・嘘をつかれたくなかったの・・」
「・・・・」
「・・そんなの無理だよね。
だって・・・青子の方が、先に嘘をついてたんだもん・・
大好きな快斗に嘘をついてた。
だから・・快斗に嘘をつかれて当然だったんだよ・・」
「・・こ、青子・・」
それ以上云わないで。
どうか・・
抱き締めた身体が細くて・・このまま、壊してしまいそうだった。
こんなに好きなのに、愛しくて仕方ないのに・・・
どうして・・
どうして・・・・
「ごめんね、快斗。
嘘をついて、ごめんね?
ずっと苦しめてごめんね?
ずっと、忘れてて・・・ごめんね?」
「・・・・青子、謝るな・・お前が・・」
「ごめんなさい、快斗。
大好きよ?
大好き、キッド・・」
自分の背に回る細い腕が、やんわりを抱き締めてくれる感触に。
快斗はうめいた。
顔を埋めた細い肩に、嗚咽を漏らす。
「あ・・こ・・青子、・・ん・・・・」
「快斗・・ごめんね?」
「・・・ん、青子・・・ごめんっ、ごめん、ごめんな青子!」
「・・うん。」
抱き締めた身体が欲しかった。
ずっと好きだった。
愛してたんだ。
陳腐かもしれない、バカみたいかもしれない。
でも、それしか知らない。
そんな感情しか向けていない。
好きだった。
大事だった。
誰よりも、大切な宝物だった。
それなのに、泣かせて。
嘘をついて、苦しめて。
今も、こんなに・・・

あれから、どれくらい時間が過ぎていたんだろう。
あれから・・何度、繰り返した?
それでも青子にずっと云えなかった。
「ごめん・・ごめんな、青子・・愛してるんだ」
「・・・快斗」」
「それでも愛してるんだ・・・青子・・」
「・・うん、もう行かないでね?
青子を置いて行かないで・・」
「ずっと、ずっと傍にいる。
ずっと傍にいたんだ。
だけど・・・ごめん・・」
ずっと傍にいた。
それなのに、何も云えなかった。
謝りたかった。
なのに忘れていたから・・それを盾にして俺は誤魔化そうとしてたんだ。
ズルイ俺。
バカな俺。
悪い俺。
それなのに・・・
「ごめんね、快斗・・・大好きよ?」
謝ってくれるんだ。
謝らせる機会を与えてくれたんだ。
悪いのは全部俺だったのに・・・
「青子、ごめん・・・ごめんな?愛してる・・」
「うん・・・」
「愛してたんだ、ずっと。
俺もKIDも・・ずっとお前だけを・・・」
「知ってるよ。
思い出したから。
全部知ってるよ?」
「・・・・」
けどもっと知って。
全部知っていて。
ずっと伝えられなかったから。
ずっと嘘をついていたから。
ずっと青子に云いたかったから。
だから・・もっと・・
謝らせて欲しい・・・
ずっと、謝りたかったんだ。
ずっと、許されたかった。
他でもない、唯一人の青子に。
俺を思い出して。
俺を好きでいて。
そして許して。
なんて、傲慢なんだろう。
なんて、滑稽なんだろう。
それでも好きだなんて。
それでも一緒にいたいなんて。
それでも、愛してるだなんて。
「ごめん、青子・・・ごめん、な・・」
「快斗・・うん、うん・・」
何度も繰り返される謝罪。
罪を拭うそれ。
だけど、決して許される筈がない行為。
それでも。
もし、もしも青子だけが分かってくれてたら・・・
そうだ。
それだけだったのに。
どうして自分は気付かなかったんだろう。
脅えて隠して、嘘を重ねた。
全てを忘れた青子に嘘の記憶を与え。
そのまま、全て壊してしまうつもりだった。
けれど、その前に。
その前にどうして思えなかったんだろう。
全てを打ち明けて、青子だけに告げられてたら。
それで良かったのに・・・
最初から嘘なんかつかなくて済んだのに・・・・






         愛に嘘は必要ですか?

        あなたは本当を知っていますか?

        誤魔化すことも愛かもしれない。

        打ち明けることも愛なのでしょう。

         
           嘘は罪ですか?

         愛の為についた嘘でさえ。

           だとしたら。

       この世はなんて滑稽なのでしょう。

      
     あなたはこの世で一番愛する人に嘘をつきますか?

         あなたは自分の為ではなく、

      あなたの愛する人の為に、嘘がつけますか?


           嘘は罪ですか?


       それなら、愛は、なんて罪深いのでしょう。

          
           愛は罪ですか?

       
      だとしたら、この世はなんて哀しいのでしょう。









話せることはまだ少ない。
それでも腕の中で、青子は笑ってくれた。
何度も愛してると繰り返した。
青子は頷いてくれる。
何度もごめんと謝って。
青子は首を横に振った。
「悪いことしたら、謝ろうね。
青子も謝るから。
快斗に嘘はつかないから。
だから・・快斗も青子にいつか全部話してね?」
「・・ああ、きっと話す。
全てが終わったら、きっと青子に全てを話すよ。」
子供の時みたいに小指を絡めて。
青子と快斗は笑いあった。
今よりは遠く。
それでも遠くないいつかきっと。
全てを話せる時が来るだろう。
全てが終わる時が来るのだろう。
その時、どんな道が自分の前には現れるのだろう。
全ての罪を拭う道は、どんなものなのだろう。
その時、快斗は・・怪盗KIDは何処に行く?
青子を残して?
それとも一緒に?
その先は分からなかった。
その先は考えられない。
でも、どうか願いが叶うなら。
その時は青子に、一番に許して欲しい。
俺の道を照らして?
どうかいつまでも、傍にいさせて。
その先が見えなくても。
その先が分からなくても。
今は、どうか・・このままで。
「青い天使の嘆き?
可哀相だね・・その宝石、こんなに綺麗なのに・・」
レプリカに触れて、青子は哀しそうに呟いた。
「・・・あんま触んな。
俺が作ったレプリカだが、あんま気持ち良いもんじゃねぇだろう。」
「綺麗だよ。
こんなに綺麗なのに、可哀相ね。
そんな作り話つけられちゃって・・・」
「作り話なんかじゃねぇよ。お前だって・・あの時・・・」
「・・・・」
屋上の隅で座り込んで、寒くないように快斗は青子を抱きこんでいた。
更にKIDの外套をまとい、青子を閉じ込める。
その中で快斗が取り出したレプリカをいじって青子は首を傾げていた。
「でも・・呪いなんて、ないでしょう?」
「・・なんで、そんなの分かるんだ?」
「だって・・青子は全然哀しくなんかないよ?
最初はビックリしたけど・・本当にビックリしたんだけど、それでも
絶望なんかしなかったよ?」
「・・・・」
快斗は何も云わなかった。
あんな思いは言葉になんか表現出来ない。
あんな思いは思い出すのも嫌だった。
青子には知られたくない。
分かって欲しくない。
全てを呪った。
その天使の嘆きも。
己の不甲斐なさ。
手の届かない領域への焦燥。
思い出して欲しいのに、思い出して欲しくない醜い矛盾。
あんな思い、呪い以外・・・そうだ、呪いの所為にしていた。
何処かで自分の無力さを、あの宝石の所為にしていたのではないか?
「・・・・」
疑問が湧く。
けれど、答えは見つからなかった。
「例え呪いが本当だとしても・・俺が守るよ。
どんな嘆きも絶望からも・・・だから、青子傍にいさせて。
どうか青子を守らせて?」
真摯に見つめられて青子は頬を赤く染める。
そうして視線を逃して、快斗の肩に頭を預けた。
「・・・キッドのお陰で、気障な台詞にはずいぶん慣れたつもりだったんだけど、
やっぱり・・恥ずかしいね。」
口元に笑みが零れて、快斗は青子の髪にキスを落とした。
その感触に顔を上げた青子の額にも。
そして閉ざされた目蓋に。
頬に。
そして唇にも。
何度も口付けて、快斗は囁く。
何度も愛してると。
何度もごめんと。
青子は頷いた。
青子は笑った。
そして、快斗の頭を抱き包むように抱きつく。
そうして快斗にだけ聞こえるように、甘く囁いた。

「どうしよう、これが全部夢だったら・・・・」

二人は互いを抱き締めた。
夢だったらどうしよう。
こんなリアルな感触も温もりも全部。
でも、そうしたら・・・

「朝が来たら、もう一度繰り返すよ?」








どこまでが本当で。

どこまでが嘘だった?

最初に嘘をついたのは誰だった?

最後まで嘘をついていたのは?


嘘は罪ですか?

愛に嘘は必要ですか?

あなたは誰かに嘘がつけますか?

あなたは誰かの嘘を許せますか?


白い魔術師の魔法は解けて。

囚われた天使は解き放たれて。

紅い魔女は微笑を称える。

その唇に嘘をのせて。

瞳に真実を閉じ込めて。

崩壊した世界を、もう一度作り直すことなど簡単でしょう。

唯一人を失う以上に、辛いことなどないでしょう。

その一人の為に、生涯嘘を貫き通せますか?

そうしたら、それは愛でしょう?

愛と云っても、嘘じゃないでしょう・・・






最初は誰の嘘だった?

最後は誰の嘘だった?

それは罪?

それは愛?

それは何?




 



         あなたは本当を見つけましたか?


           




THE END・・・

OR THE BEGINNING?





2001/11/16






Written by きらり

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