白い夢の痕







『怪盗キッドKIDなんか・・・』


もう、何度目だろう?
ごめんな?


『・・一生懸命な人を・・・』


そうじゃないんだ。
でも、ごめん。


『キッドなんか、だぁ〜〜〜〜いキライッ!!』


なんでだろう?
安心、した。


否定する声。
誰よりも愛しい者の。
KIDを否定する声。
俺を戒める声。
お前だけは俺を突き放して。
お前だけは俺を繋ぎ止めてて。

・・それだけで、俺は俺に帰れるから。




目覚ましが鳴る前に、目が覚めた。
しかも妙に目覚めが良い。
パチリと目が開いた。
まるで今まで、ただ瞑っていただけのようで。
俺は、違和感を残していた。
「ふぁ〜〜あ・・」
欠伸を漏らして、窓の外を見る。
うんざりするような晴天の空。
まだ7時だと言うのに、この明るさはなんだ。
遠慮もなにもねぇ・・・
ベッドからなんとなく出れなくて、俺はぼんやりと寝転んだまま窓の外を
見上げていた。
この間、青子のとこに残してきた花を思い出した。
空色を閉じ込めた、ブルースター。
愛らしい形の花は、青子によく似合っていた。
真夏の太陽のような、向日葵も青子には良く似合う。
でも、青子自身が太陽みたいだからな・・。
眩しい笑顔。
強い明るさ。
誰もが見向きしなくてはいられない。
そんな魅力を放っている。
まだ今は幼いけど、その幼さに隠れた凛とした美しさに何人の人間が
気付いているだろう。
俺は・・ずっと知ってた。
小さい頃から誰よりも青子を見ていた。
誰よりも近い場所で、誰よりも焦がれて。
太陽に向かって精一杯手を伸ばして・・・今も、届かないまま。
今だって、誰よりも近い場所で焦がれてる。
その想いを、隠せないまま・・・

「青子・・」

もう何度、その名前を口にしただろう。
寝返りを打って、俺はそのまま腕を伸ばして身を起こした。
今日は終業式。
明日から長い夏休みがある。
その前に、一仕事終えておかなくてはいけなかった。
ブルーエンジェル・・・やっとイギリスから帰ってきた。
でもそれは俺が作ったレプリカだ。
本物は俺がまだ持っていた。正確には紅子に預けていた。
それを今日返してもらう手筈になっている。
そしてレプリカと本物を取り替えるつもりだ。
呪いは消せない。
誰にもそれは不可能だ。
それなら。
俺に出来る事はただ一つ。
それから、青子を救うこと。
どんな絶望が、呪いが青子を襲っても。
俺がこの手で守ってみせる。
例え俺の正体を知られても。
それで青子を失うことになっても。
俺が、青子を守る。
それしか、答えが出なかった。
情けねぇ・・でもそれしか出来ない。
何があっても、起きても。
俺は青子を愛することしか出来ない。
例え、どんなに傷つけても。
俺は・・青子を、愛してるんだ。
ゆっくりとベッドから降りる。
隙間が開いていたカーテンを引いて、その光を遮断した。
薄暗い部屋の中で俺はぼんやりとしわくちゃなベッドのシーツを眺めていた。
まるで作り物みたいに、無機質にそこは存在している。
始めから、誰も知らないみたいに。



珍しく起こす前に起きてきた俺に、母さんは何かからかって言った。
それに曖昧に返事を残して、俺は顔を洗いに行く。
「朝食出来てるからね。母さん、もう行くわ」
「ああ、いってらっしゃい。」
「快斗も、遅刻しないようにね?」
「ああ。」
玄関の扉が閉まる。
それを見送って、俺は台所に向かった。
出来たばかりの朝食を済ませて、のんびりニュースを眺めた。
都内の某美術館に収められることになったブルーエンジェルの
ニュースがやっていた。
それを見終わると俺は制服に着替えて、家を出た。
鍵をしっかりと閉める。
家を出て、俺は顔を顰めた。
容赦ない真夏の太陽の光。
朝早いというのに、遠慮もなく俺を曝け出して見せつける。
少しだけ、イラだった。
遠慮もないその強さに。
少しだけ、焦がれた。



あちい・・・。
ジリジリと太陽の光は俺のシャツの中に浸透してくる。
肌がに照りつけるその暑さに、とことん嫌気が差す。
「朝から酷い顔。」
「・・・」
暫く歩いた先の角から、よく知ってる女が出てきた。
「もっと嬉しそうにするべきよ?
朝からこんな美女と歩けるんだから。」
「よけー暑苦しいよ。」
「つれないこと言うのね、これは要らないのかしら?」
首に下げたチェーンを、慣れた手つきで紅子は外し。
その石を片手に乗せて、見せつける。
「冗談言ってねぇで、返せよ。」
「どうしようかしら?」
意地悪く紅子は微笑を浮かべる。
紅も差してないのに赤く艶めく唇が、綺麗な形を作る。
それを見て俺はどこか気味悪さを覚えた。
こいつが魔女だということを、時々こんなふうに見せ付けられる。
情けねぇ男なら、これに見惚れちまうんだろうな・・
そんなこと思いながら、俺はその手の中のものを奪った。
そして素早くポケットの中にしまい込んでしまう。
一瞬だけ光に晒された青い天使は、眩しそうに煌いて見せた。
「役に立てなくてごめんなさいね。」
不意に紅子が呟いた。
見ると紅子は真っ直ぐ前を向いたまま。
その唇はもう固く閉ざされていた。
「お前が謝ることねぇよ。」
俺も、そうとだけ言った。
こいつが悪いんじゃない。
誰も、悪くないのかもしれない。
本当はこの宝石も。
だって、青子にあの時絶望を与えたのは他でもない。
・・・俺だ。
全てを知っていたら、青子に話せていたら。
青子は・・何も、苦しまずにいた。
少なくても、俺を・・ああ、でもそれを知っていたら。
青子は俺を、好きだと言ってくれたか?
俺を恋人にしていたか?
全て欺いていた俺を・・・青子は?
「快斗ッ!!」
「!?」
「・・・」
振り返ると青子がいた。
なんでだ?
・・そうだ、アイツは今日日直なんだ。
だから、か。
わざといつもの青子の時間とずらしたのに、裏目に出たな。
駆け寄ってきて、青子は嬉しそうに微笑む。
「おはよう、紅子ちゃん。快斗。」
眩しい、な。
「よ、よお。早いんだな、ずいぶん・・」
「おはよう、中森さん。」
俺は笑ってみせる。
紅子は静かな微笑を浮かべた。
「今日はね、日直なの。だから早く来たのよ。
それにしても快斗がこーんなに早起きなんて、雪でも降っちゃうんじゃないかしら?」
「なんだと〜?んなわけねぇだろ?真夏だってゆーのによ!」
青子の無邪気な瞳が俺を見上げてくる。
可愛くて。
愛しくて。
俺は、笑いたくなった。
「あらそうかしら?貴方の得意のマジックで、この真夏の朝にも雪は
降らせられるんじゃないの?」
「んなこと、出来るわけ・・あるんだな♪ほら」
俺はもう片方のポケットに忍ばせておいたそれを取り出して見せる。
そうしてぎゅっと握り締めた。
「?」
青子は不思議そうな瞳で、その拳を見上げてくる。
その瞳が愛しくて、嬉しくて。
俺は手を開いて、中身を見せた。
硝子で出来た卵型のケース。
白いそれは中に・・・
「なぁにそれ?」
「ま、見てなって」
それを高く放り投げると、青子はパッと空を仰ぐ。
青子の綺麗な瞳が、一瞬眩しそうに細められた。
それでもそれを見失わないように、しっかりと目を開ける。
放り投げた高さの一番上で、それは軽い音をたてて弾けた。
中身が零れて、硝子のケースが重みで先に落ちてくる。
それを気付かれぬようにさっとキャッチして、ポケットにしまった。
「・・う、そぉ・・・」
青子は面白いくらい目をまん丸にしている。
空から落ちてくる真っ白のそれ。
動きはゆっくりで、まるで真綿の雪のように落ちてくる。
真っ青な空。
白くて大きな夏の雲。
眩しい太陽の光の下で。
真っ白いそれは溶けずに降って来た。
作り物の幻影。
その正体は・・・
「・・羽根?」
「雪、みたいだったろ?」
青子の不思議そうな顔が嬉しくて、俺は笑った。
掌で受け止めた真っ白いそれは鳩の羽根だ。
いつかなんかの時に使おうと、この間仕込んだもの。
「・・鳩の羽根じゃない!でもビックリした!
本当に雪みたいに見えたね?」
「・・・そうね。」
呆れたみたいな紅子の口調。
横目で見ると、それでもその口許には笑みを称えられている。
それが別の理由であることは、俺にはすぐに分かった。
俺を一瞥して、そして青子を優しい眼差しで見下ろす。
細く長い指が、青子にゆっくりと伸びた。
「紅子ちゃん?」
「・・・」
髪の上で紅子の指が丁寧にそれを取る。
手にしたのはさっきの白い羽根。
「ありがと、紅子ちゃんv」
「・・・天使、みたいね。」
「?」
呟きは風と共に羽根と散った。
「・・・・」
天使、か。
皮肉をポケットの中で握り締めて。
俺はその羽根を見送った。
「紅子ちゃん?」
「野暮な真似はしないわ。
先に行くわね。」
「あ・・・」
踵を返し、一人さっさと歩き出す紅子は見ている間に遠ざかる。
青子はぼんやりとそれを見送っていた。
ポケットの中の出を出して、俺は青子の肩を促がした。
「ほら、青子日直だろ?
さっさと行こうぜ?」
「うん・・・」
一緒に歩き出す。
同じ歩幅。
同じ歩調で。
分かっていた。遠くないいつか。
こうしていっしょに歩めることはなくなる。
いつからか、もう昔から。
こうして青子の歩幅にあわして歩く、当たり前な日常。
何が、日常を壊したのだろう?
幼なじみで良かった。
恋人に成りたかった。
お前を騙すつもりなんて、これっぽっちもなかった。
愛してるのは、お前だけなのに。
何を思う?
俺はKIDを、やめられる?
無理だ。
俺は青子を、失くせる?
嫌だ。
でも・・・もう、俺は青子を奪われてる。
他でもない、自分自身に。
怪盗KIDが、お前を傷つけた。
お前を奪った。
お前を捕らえたまま、守っている。
白い夢で。
青い呪縛から。
お前を、愛して、守っている。
それは・・・俺の意思?
それが、青い天使の呪い?
それが、他でもないお前の夢?
「今夜はKIDの予告状が出てるな。」
「うん・・・」
「成功すると、いいな。」
「・・・快斗?」
「うん?」
青子を見下ろした。
いつからこんなにお前が遠くなったんだろう?
今、こうして。
手を伸ばせばすぐに。
お前に触れられるのに・・・。
「あのねぇ、KIDを誰だと思ってるの?
青子のKIDが失敗なんかするわけないでしょう?」
「はいはい、そうでしたよ。
俺とは違うもんな、天下のKID様は。」
そう、俺とは違う。
お前を守ったのは、俺じゃない。
俺の姿をした、怪盗KID。
ここにいる俺が、そのKIDだと。
知ったら、お前はどんな顔をする?
「当たり前でしょう?
青子が祈ってるもん。KIDは失敗なんかしないよ?
青子の一番大事な人だもんv」
遠かった。
お前の瞳は俺を見てない。
俺を想ってない。
あんなふうに、いとおしそうに俺を抱きしめた青子は、
ここにいない。
もう、どこにもいないのかもしれない。
俺の瞳に映る青子が、優しい笑みを浮かべた。
信じてる瞳。
絶対の思いを、ここにいる俺でない。
ここにいるKIDに向けている。
俺は、どこに、いるんだろう?

俺には青子しかないのに、俺はどこにいくんだろう?



学校へ着いて、日誌を受け取りに職員室にすぐ向かった。
俺は当たり前のようにそれに付き合った。
そして教室まで一緒に向かう。
時々幾人かの友達とすれ違って、からかわれた。
恥ずかしそうに青子は笑うことしか出来ない。
俺は楽しそうに冷やかしに手を振って、時々青子の肩を引き寄せて
そんな人たちに見せ付けて回った。
滑稽な茶番だ。
恋人だった俺は。
今は振りをして、青子の傍にいる。
やっと手にした幸せを。
俺は自分で手放してしまったんだ。
最初から全て話してれば、全ては違ったのだろうか?
最初から。
青子に打ち明けていれば・・青子を巻き込むことはなかった?
青子を哀しませることはなかった?
青子に嫌われることはなかった?
青子を失うことは、なかった?
本当に?
絶対に?
誰が、それを。
証明出来る!?
いつもそうだ。
自分が出した答えに自問自答の繰り返し。
今この手に抱く肩は、青子のモノ。
でもこの手に抱く青子は、俺のモノじゃない。
俺ではない、俺を想う・・・女のモノ。
それでも良いんだ。
もう、それでも良い。
傍にいたいんだ。
青子、お前の傍に。
ずっとずっと一緒だったから。
もう、離れてなんか生きていけないよ?
いつか、俺がまたお前を傷つけてしまって。
もう一人の俺が、お前を失ってしまっても。
どうかお願いだから、傍にいさせて?
愚かな望みだと分かってる。
全てが自分が招いた元凶だと知ってる。
でも、お前を失ったら・・・俺は、どうなるのか分からないよ?
自分でも、どうなってしまうのか分からない。
誰が、俺を帰してくれる?
お前以外の誰が、俺を縛り付けてくれる?
そう遠くないいつか、全て青子に話さないといけない時がくる。
そして、きっとそれはもう遠くない。
いつかは知らない。
分からないけれど。
KIDはKIDのままじゃいられない。
俺はKIDをやめる時がきっと来る。
今はまだその時は見えないけれど。
その時、青子もKIDを失うんだ。
青子はKIDを忘れますか?
青子はKIDを許しますか?
青子はKIDを・・・

俺を・・・・




終業式。
式という字がつくものくらい、退屈なものはないと思う。
だがこんな時は自分の頭の中で今夜の予定や明日の下見、様々なことを
考えるにはかっこうの時間だった。
ずっとKIDであることを考えた。
青子にとって、俺がKIDであることが最良なのだろうか?
それでもいつまでも、黙っていられることじゃない。
夢は覚めるもの。
魔法は解けるもの。
目は、恋は・・醒めるもの。
最初から、俺は間違えてたのかな?
KIDになった時、青子には一生黙っていようと思っていた。
親父が何に関わっていたのか、分からなかったし。
今だって、まだその詳細は明らかじゃない。
愚かな組織が、探し回る宝石を。
愚かな欲望を握りつぶしたかった。
そしてそんな欲望の為に殺された親父の、仇を取りたかった。
そんな欲望を、俺のマジックで変えてしまいたかったんだ。
出来ると思ってたんだ。
お前を巻き込まずに。
お前を傷つけずに。
今までみたいに、同じ時間を。
それだけが俺の望みだったのに。
俺の願いがお前を傷つけた。
泣かせた。
あんな絶望に、身を晒すほど。
どうすればいい。
答えは出てる。
簡単だ。
変わる事ない想いを、込めて。
お前を愛することしか、俺には出来ない。
お前が俺を憎んでも。
お前がKIDを失っても。
・・・馬鹿、だな。
列の斜め前を見つめた。
真っ直ぐに校長の長い話に耳を傾けている青子の姿。
誰よりも長く、傍にいたのに。
時々俺は忘れそうになる。
青子が憎んだりするわけない。
キライになっても・・何よりも、お前は哀しむんだ。
俺に欺かれたことを。
KIDに欺かれたことに。
泣いて、哀しんで、そして・・・。
それから・・?
想像も出来なかった。
溜め息をついて、もう一度頭を切り替える。
ああ、でも・・出来るなら。
憎んで欲しいな、青子に・・。
失うくらいなら、憎まれていたいな。
忘れてしまわれるのが一番辛い。
俺はそれを思い知ってる。
それが俺の罪への罰なのかな。
それなら・・・どうか、憎んで欲しい。
全てがバレて、青子を失って。
青子は全てを思い出にして、他の誰かに想いを向けるのなら。
それならどうか、憎んでいて。
せめて憎しみの中に、俺を残して欲しい。
もう、愛してくれないなら・・どうか、それだけを叶えて?
自分がどれだけ滑稽な欲望を抱いているのか。
そんなの誰でもない、俺自身が一番思い知ってる。
それでも・・望んでしまう。
青子から、俺が消えてしまったら。
俺は何も出来ないから。
KIDはどこにもいけないから。
二つの姿はどこへ帰れる?
俺の夢。
愚かだった夢。
全てが終わったら、自分に帰ると思ってた。
怪盗KIDはこの世から消えて。
そして彼が残した魔法だけが取り残されて。
その中で、俺は黒羽快斗として生きていて。
マジックをしながら世界中を回りたい。
帰る場所は一つだけ。
そしていつか、青子お前と一緒に世界中を回りたいよ?
そう、夢見てた。
馬鹿みたいに、子供みたいに。
そう出来ると、信じ込んでいた。
夢は覚める。
魔法は解ける。
恋は醒める。
それなのに。
想いは消えない。
消せるものじゃない・・・

青子・・・?

視線の先で気が付いた。
青子の顔色が悪い。
左手で額を押さえていた。
額には汗をかいていて・・・頭痛か?
それにしても顔色が悪い・・
今にも・・・

気付いたらもう歩き出していた。
周りの奴等が不思議そうに俺を見る。
だが構っていられなかった。
あと一メートル。
その時青子の身体が揺らめくように、支えを失った。
「青子っ!!」
差し出した腕の中に、青子を抱き止めた。
顔色は真っ青で、身体には全く力が入っていない。
俺は何度もその名前を繰り返した。
苦しそうに、悲しそうに青子の瞳が俺を見上げたように見えた。
すぐに閉ざされてしまう。
そしてぐったりと、俺の腕の中で落ちていく。

声が届かない、夢の中に。




駆け込んだ保健室の中には誰もおらず。
仕方なく俺は青子を空いているベッドに横たわらせた。
真っ白な部屋。
浸透する消毒の匂い。
嫌な匂いだった。
いやでも病室を思い出させる。
真っ白い枕に頭を埋めた青子の顔色はまだすぐれない。
「貧血のようね。黒羽君・・・?」
「・・・・」
一緒についてきた女教師は溜め息を漏らし、ベッドの周りのカーテンを閉めた。
「先生は戻るわ。中森さんを、ヨロシクね?」
「・・・・」
言われなくても分かってる。
誰に頼まれなくても、俺は・・・。
ずっと、青子を守りたいと思ってた。
青子の傍にいたかった。
「・・青子・・・」
固く閉ざされた目蓋。
顔色はまだ青白く。
額には汗が浮かんでいた。
それをハンカチでそっと拭き取った。
「・・青子、目覚ませよ?」
あの時もそう思った。
「なぁ、青子?」
あの時も怖かった。
「なぁ・・愛してるんだ。愛してるんだよ?青子・・」
あの時も繰り返した。
「青子、青子・・・」
何度だってその名を呼んだ。
昔から。
ずっと、好きだった。
ずっと、愛してた。
ずっと、傍にいたかった。
これからも、いつまでも。
許される限り、ずっと・・・。
「青子・・青子・・・」
あれからどれくらいの時間が経つ?
それほどではないはずだ。
でも、もう何時間のように思える。
「青子・・目、覚ましてくれ。
笑ってくれよ?
いつもみたいに・・快斗は心配性だねぇって・・なぁ・・・」
呼んでも、返事はない。
青子は目覚めない。
俺は・・許されない。
「大丈夫か?なあ・・・・青子・・」

「・・って・・」
「青子っ!?」
微かに動いた唇から、声が洩れた。
俺は青子を覗き込む。
うっすらと、眩しそうに瞳が開かれた。
まだ顔色が悪い・・でも、安心した。
目を覚ましてくれた。
それは、夢じゃない。
俺は安堵の息をついて、青子の頭を撫でる。
温かい温もりにホッとした。
涙が滲みそうになるのを、慌てて誤魔化した。
「朝飯でも抜いたのか?
色気づいてダイエットなんかしてんじゃねぇだろうな?」
「・・・そんなこと、してないもん。」
青子は少しだけ拗ねたような唇で、言葉を紡ぐ。
可愛くて、笑えた。
「まだ頭痛するのか?」
「ううん・・・青子、どれくらい寝てた?」
「・・ホンの30分しか経ってねぇよ。
まだ式の最中さ。」
時計を確認する。
本当にたった30分しか経っていなかった。
なのになんだ、あの時間の重さは。
息苦しさは・・やっと解放されたのに、なんだか嫌な感じがする。
「・・・ずっとついててくれたの?」
見上げてくる瞳はどこか嬉しそうで。
俺はなんだか気恥ずかしくなる。
「あ、ああ。保健の先生が今日休みなんだとさ。
終業式だっていうのによ・・」
「快斗、ありがとうね?」
もう一度、青子の頭をくしゃくしゃに撫でた。
昔から癖だった。
こんな可愛い顔を見せられると恥ずかしくて。
真っ直ぐにお礼を言われるのは照れ臭くて。
俺は青子の頭をくしゃくしゃにして、よく怒られてたっけ。
くしゃくしゃにしないでよぉ〜〜!
元々くしゃくしゃじゃねぇか。
ガキの頃と変わらない、自分の不器用さ。
笑った青子に安心した。
本当に、良かった。
「・・平気、か?」
「・・・」
すぐに答えはない。
まだ、頭痛があるのか?
さっきから嫌な感じがする。
気のせいだ、あえてそう思った。
「うん。もう大丈夫だよ。まだダルイけど・・」
「休んでろ。終業式が終わったら教室に帰ればいい。」
「うん・・ねぇ、快斗・・」
小さく微笑んで、青子が俺を呼んだ。
窓の外では蝉が賑やかに鳴いている。
今更、それに気が付いた。
本当に、俺は、青子のことになると・・・余裕ねぇな。
苦笑いが浮かぶ。
「ああ?」
「夏休み、青子と遊ぼうね?」
「・・毎年遊んでるじゃねぇーか。」
青子の言葉に、疑問が浮かぶ。
「うん。それでも・・」
少しだけ静かな時間が、怖かった。
俺は去年の夏を思い出していた。
二人で行ったプール。
遊園地。動物園。
嫌だと言ったのに、水族館にも連れて行かれたっけ。
なんでもいいよ?
お前が行きたいなら、どこでも連れてってやるよ?
お前の願いを、俺がきけないわけ、ないだろう?
「今年はなぁ・・プールでも行くか?猛暑になりそうだしよ。」
「うんvそれから水族館も行きたいv」
「・・・無茶言わないで下さい。」
やっぱりか。
俺は覚悟を決めた。
「クスクス・・」
可愛らしい青子の笑い声が、誰も居ない空間に静かに響く。
白い部屋。
カーテンが風で少しだけ揺れていた。
笑みを浮かべたまま、青子は目を閉じた。
眠っているわけではない。
疲れたようだった。
顔色は・・なんだか白くて、見てるだけで心配だった。
誰よりも大事な女に。
俺は何が出来ているんだろう?
誰よりも愛してるのに。
本当は一番傷つけてるのは俺?
だとしたら、俺は何が出来るんだろう?
今まで、俺は青子に何を与えていられた?

幼なじみだった。
恋人だった。
他人じゃない。
もう、他人なんかになれない。

誰よりも、何よりもお前だけなんだ。
その代わりになんか何もなれない。
俺はお前の何になれてる?
何になれる?
どうしたら、ずっと一緒にいられるんだ?

たった一人はお前だけ。

ずっと思うのはお前だけ。

きっと守るよ、何があっても。

俺は、お前に、何が出来る?



初めて気付いた。
青子は、泣いていた。
「・・あ、おこ?どうした?
なんで、泣くんだ??」
その言葉に青子は顔を腕で覆い隠す。
腕の隙間から、その透明の雫は流れてきた。
心がざわめく。
予感がする。
それは・・
「どうしたんだよ?どっか痛いのか?
頭、痛いか?」
「・・・が、う・・違うよ、快斗ぉ・・・・」
「どうしたんだよ?青子、顔見せろよ?」
その腕の手首を握り締めて、顔を見ようとした。
見たくない。
でも、見えないのは、怖い。
青子は寝返りを打って、背を向ける。
肩が震えてる。
嗚咽を押し殺してる。
俺は、言葉を、探した。
「どうしたんだ・・・?青子、頼むから俺を・・」
「・・ッド・・キッド、キッド・・キッド・・・」
「・・・・」
思考が止まる。
俺を呼ぶ声。
KIDを呼ぶ声。
救いを乞うように、青子はそれだけを繰り返す。
何度もその名前を呼んだ。
俺の目の前で。
俺を知っていて。
俺のもう一つの名前を繰り返す。
青子が想う、今ここにいないはずの、想い人の名を。
青子に、俺は必要ない。
知っていた。
分かってた。
そうしたのは、他でもない俺自身。
でも、溜め息が洩れた。
俺は、何も出来ないのか?
「・・俺、居ない方がいいか?」
やっと、それだけ言える。
白いカーテンを開いた。
ベッドと部屋を区切った一枚の薄いそれ。
白い空間は、二人きりの場所は容易く破られる。
だって、俺は、必要ない。
青子に必要なのは・・・
「行かないで!」
青子の声に、俺は立ち止まった。
まるで現実にいるようでない、感覚。
夢?
そうじゃない、これは・・
もう一度、青子は言った。
「・・行かないで、快斗。」
「・・青子?」
俺を呼ぶのか?
俺を止めたのか?
俺を?
「そこにいて・・・ずっと、青子の傍にいてぇ・・」
目の前に容易く映る、あの時の光景。
あの時の青子の顔。
涙、その声も・・・
あの時のままで。
酷く、声を出すのが遅かった。
自分の思うそれよりもずっとぎこちなく。
「いるじゃねぇか?」
「・・・そう、言ったじゃない。」
「・・・?」
溜まっていた涙が溢れて、零れ落ちる。
頬を伝って。
シーツに零れて。
拳を握ったそれは力を入れすぎて白くなっていた。
「そう言ったでしょう!?青子・・・・・」
「あお、こ・・?」
青子は何を言っている?
嘘、だろう?
これは、夢だろう?
違う、そうじゃないだろう?
白い空間は破られた。
でもその世界はまだ夢に支配されたまま・・・だったのに。
夏を彩る忙しない蝉の声。
目の前の青子が涙を零して、嗚咽を漏らすのが聞こえた。
今、時間は流れてる?
ホンの数秒が恐ろしいくらい、長かった。
真夏の強さを閉じ込めたような、眩しい瞳が俺を捕えてる。
目を離せないでいた。
だって、そうだろう?
俺はもうずっと昔から、青子に囚われたまま。
俺は何も言えなかった。
青子も何も言わなかった。
ただ、時間だけが流れていた。
どこかで終わりが鳴り響く。
言葉がそれを連れて来る。
ゆっくりと、青子の唇が、形を作る。
どうか、言わないで・・・・

「どうして、言ってくれなかったの?」

時間は巻き戻る。
あの時に。
記憶を辿って、その時に俺を連れ戻す。
容赦ない強さで。
焦がれるくらい激しい想いで。
俺はあの時に帰らせられる。
青子は、はっきり思い出している。
否、あの時を、取り戻していた。
ずっとずっと、好きだった。
昔から。
今も。
これからも。
そして、あの時も。
青子は、何も、知らなかった。
俺が、何も、伝えてなかった。

「キスした・・・ココア味・・」

「青子・・」

「タキシードの香り、消えてなかった・・」

「青子・・」

「嘘、だよね?・・・きっと夢だよね?でも、どうして・・・?
目が覚めたのに、夢じゃないのっ!?」

「青子っ!!」





天使なんかじゃなかった。
最初から、青子は俺の全てでしかなかった。
ただ一つ。
俺が何よりも焦がれるモノ。
ただ一つ、俺が帰りたい場所。



全てが最初から茶番だった。
真実を隠す為のたくさんの嘘。
たくさんの魔法。
たくさんの戯言。
たった一つの真実は、そんなものじゃ決して揺るがないのに。




終わりは、もうあったんだ。
目の前に。
否、終わってたんだ。
本当はあの時に全部、終わってた。
誤魔化した。
青子の夢に。
俺の想いを、閉じ込めて。
そうして勝手に、終わらせようとしていた。




夢は覚めるものだろう?
魔法は解けるものだろう?
恋は醒めるものだろう?
想いは、消えるものだろう?
それなのに。
どうして、想いは消えない!?
どうしてこんなに心が痛い?
あの時もう終わってた。
あの時、もう青子を失ってた。
あの時、俺は・・・夢を見てた。
青子が俺を許してくれる。
そんな夢に甘えていた・・・・





青子が思い出さなければいいと、思ってた。


そうして幼なじみのまま、KIDのまま。

一緒にいれるならなんでも良かった。

ずるくても卑怯でもなんでも良かった。

どんな形でも、青子の傍にいたかったんだ。

絶対に失いたくなかった。

例え一生KIDでいなくちゃいけなくても、構わなかった。

そのために、黒羽快斗を抹消しても良かったんだ。

俺は・・・

青子の傍にいたくて。

ただそれだけで・・・

最初から、夢を見ていたのは

俺、一人だったのに・・・・









END OR・・・?




2001/09/07






Written by きらり

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