夢の中の白い月






「待ってよ〜〜、青子を置いていかないで〜」
どんどん先を走って行っちゃう背中が悲しくて、青子は叫んだ。
走ってずっと追いかけていたけど、もう走れない。
疲れてしまって、遠くなる背中が悲しくて。
青子は泣きたくなった。
視界が滲む。
そんな世界を見つめていると、どんどん悲しくなる。
涙が零れた。
次から次へと、どんどん溢れて止まらない。
「泣くなよ。」
差し出されるのはずっと追いかけていた手。
それが目の前に差し出される。
青子が取らないままでいると、その手は乱暴に青子の手をとって、しっかりと握った。
「絶対置いていかねぇよ。だから、泣くな。」
「・・・・うんっ。」
嬉しくて、嬉しくて。
青子は笑う。
大好きだった。
この温かい手が。
大好きで、ずっと一緒にいると思った。
どんなに時が経っても。
きっと彼以上に好きな人なんか出来ない。
そう思っていた。
あの頃ーーーー



妙な目覚めだった。
なんだか引き起こされたみたいに。
変な感覚。
夢を見ていたのだと、ようやく気付いた。
「夢か・・なんか・・」
びっくりした。
ずっと忘れてた。
ずっと気にしてなかった。
改めて起き上がる。
そうして時計を見つめた。
今日は日曜日。
ゆっくり寝ていられるはずだったのに。
朝7時。
これじゃあいつもと変わらない。
窓の外を見ると、やたらに天気が良いのに気付く。
「洗濯しちゃおう!」
ベッドから勢いよく出て、青子はうんっと伸びをした。
そうして満面の笑みを浮かべる。
今日は午後からKIDと約束をしているのだ。
映画を見に行く約束をした。
お父さんが仕事先で貰ってきた試写会のチケット。
これって・・デートだよね?
今までだって何度も会ってたけど。
今日は特別。
だって、一緒に歩けるんだよ?
街中を。
二人で並んで。
まるで普通の恋人同士みたいに。
夢みたい!
でも夢じゃない。
すっごく嬉しい。
嬉しくて。
なんだか時間があっという間に流れてしまった。


俺はというと。
まだ鏡の前で悩んでいた。
今日は青子と逢う約束をしている。
映画のチケットがあるからと。
誘われたのだ。
俺はもちろん了解した。
断る理由がなかったのだ。
それもある。
もう一つ訳もある。
一つの賭けだ。
青子は俺に気付くのか?
KIDである俺を。
快斗である俺を。
どうやって見ているのか。
気になった。
KIDの時、青子は言った。
『KIDって青子の幼なじみの快斗によく似てるの。
でもね・・・全然別人なのよ。』
別人だ。
だが、あれはもう一人の俺だ。
快斗の皮に怪盗という皮を重ねたモノでしかない。
いくらなんでも。
KIDの変装がないままで、青子に会うのは正直・・・怖い。
どこから見ても、俺は黒羽快斗で。
誰も俺をKIDだとは思わないだろう。
青子以外誰も。
誰も俺がKIDだと知らない。
そして青子自身も。
それを知らない。
待ち合わせの時間は午後2時。
場所は駅前の本屋の中。
俺は時計を見つめ。
少し早めに家を出た。
学校以外で、青子と快斗の姿で逢うのは。
本当に久しぶりなことだった。
酷く緊張する。
不安がある。
それでも。
もしかしたらどこか、期待しているかもしれない。
そんな自分がいた。



店を入った途端に、すぐ見つける。
青いカーディガン。
白のミニスカート。
青子のすらりとした足が、やけに目に付く。
俺は視線を外して、もう一度ゆっくり彼女を見つめた。
時間に正確なのは変わらないな。
まだ15分前だっていうのに。
青子は熱心に新刊のハードカバーを眺めている。
何か欲しいものでもあるのだろうか?
時々手にとって、パラパラと中身を見ている。
その瞳がとても真剣で。
とても綺麗で。
俺は思わず目を細めた。
「よっ、快斗じゃねぇか!」
背中からした大声に俺の心臓は飛び跳ねた。
振り返るとそこにはクラスメイトの田中と山中が立っている。
「なにしてんだよぉ?お前が本屋なんてよぉ!?」
た、頼むからそんなでかい声出さないでくれ!!
俺は内心青子に聞こえないよう、必死に祈った。
しかしそれも虚しく、本屋の中にその声は響き渡る。
「おっ!あっちには中森じゃねぇか・・ひょっとしてお前等?」
ニヤニヤと田中が俺を覗き込んでくる。
俺は必死に言った。
「うるせぇな、さっさとあっち行けよな!明日学校で余計なこと言うんじゃねぇぞ!」
俺はこいつ等を本気で睨みつける。
それなのに、きっと赤くなってるんだろう。
全然迫力ないのが、自分でも分かった。
「分かった、分かった」とあいつらは手を振って、本屋を出て行く。
俺はそれを見届けてから、店の中に戻った。
青子がクスクスおもしろそうに笑って、こちらを見ていた。
そうして俺の目の前まで歩んでくる。
「こんにちは、快斗。」
「!」
その悪戯っぽい瞳が語っている。
青子は気付いてる。
俺がKIDだと言うことに。
快斗の姿をしたKIDを見つめている。
「・・・こんにちは。待たせてしまいましたか?」
「ううん。大丈夫。さっき来たんだもん。さ、行こっ」
青子は嬉しそうに俺の腕に自分の腕を絡めた。
「・・・なんかご機嫌ですね?」
一緒に本屋を出て映画館の方面へ向かう。
駅から映画館は近くだった。
「そう?そんなことないよ。」
にっこり微笑んで俺を見つめる瞳が、煌いていて。
俺は思わず言葉を探した。
「どうしたの?キッド・・」
心配そうな声が他には聞こえないように小さく囁く。
「・・なんでもありませんよ。」
「そう?」
伺うように俺の顔を覗いて、そうして「ま、いいや」と呟くと、再び前を向く。
「・・・・」
俺は照れていた。
今更。
青子の可愛さに言葉を失う。
なんて言えばいいんだろう。
なにを言ったら、KIDらしい?
そんなことを考えて、俺は我に返る。
俺がKIDなのだ。
俺は快斗なのだ。
今更。
何を繕うことがあるんだ?
その瞳に映る俺は。
本当にKIDでしかない?
他の奴等には一目で俺が快斗だとバレてしまうのに。
どうして青子は気付かないんだろう?
「・・・・」
日曜日の午後。
駅前は雑踏で溢れている。
どこからこんなに人が来るんだろう?
楽しそうな親子連れ。
手を繋いで楽しそうに話している恋人達。
俺達だって。
他の奴等から見れば、そう見えてるに違いない。
普通の恋人同士だ。
俺が怪盗KIDであることを除けば。
俺が黒羽快斗であることを除けば。
「・・・・青子・・」
「えっ?なあに?」
嬉しそうに青子が俺を見上げてくる。
ただ名前を呼んだだけなのに。
そんなふうな笑顔。
俺は知らないのに。
KIDに呼ばれるだけで。
青子はそんなに幸せなのだろうか。
「いいえ、晴れて良かったですね。」
「うんvすっごくいいお天気でね、朝起きた時すっごく嬉しかった。
たくさん洗濯したし、お布団も干せたんだよ。」
無邪気な笑顔が本当に嬉しそうで。
俺も嬉しくなった。
青子とこんなふうに歩ける今が。
すごく夢みたいだ。

映画館についてから、上映までまだ少しだけ時間があった。
入口の前で並んで人が待っている。
俺達もそれに習って、後ろに並んだ。
「何か飲み物買ってきますよ。青子は何がいい?」
「じゃあねぇ・・オレンジジュース。」
「じゃ、良い子に待っててくださいね。」
俺はその頬にそっとキスした。
「・・・あ・」
青子の顔がおもしろいくらい真っ赤になる。
「ば、ばか・・人前で・・」
「どうせ誰も見てませんよ。」
からかって耳元で囁いてしまう。
その耳朶をちょっとだけ含んで、すぐに離れた。
これ以上ないくらい、青子は真っ赤になっている。
俺はそんな青子を置いて、スタンドに向かった。
オレンジジュースとコーラを頼んだ。
それを持って戻ると、青子はまだ真っ赤なまま突っ立っている。
思わず笑みが零れた。
どうせ周りはカップルだらけで、他の奴等の方がよっぽどイチャついてるのに、
あれくらいで・・。
青子らしい。
それが嬉しかった。
「はい、お待たせしました。」
「あ、ありがと・・キッド。」
彼女は人前では俺の名を小さく呼ぶ。
他の誰にも聞こえないよう、気をつけてるのだ。
愛しさが胸を突く。
抱き締めたくて、俺は左腕で青子を抱き寄せた。
ジュースのカップを持ったそのままの格好で、青子は固まってしまってる。
「どうかしました?」
「・・な、なんか・・今日のキッド・・・変だよ・・なんでこんな人前で、こんなこと・・・」
語尾が小さくて聞き取れない。
俺は耳元で笑って囁いた。
「こんなふうに人前で青子と逢えることなんて、そうそうない機会でしょう?
・・・少しね、嬉しいんですよ。」
「・・・・が?」
「おかしいですか?」
抱き締めた身体が温かい。
腕の中にある感触が愛しくて、俺は目を閉じてその頭に頬を摺り寄せた。
自分でも分かってる。
どうしてこんな人前で・・・だけど止められない。
もっと、もっとこうしていたい。
他のみんなに、青子が俺のものだと思い知らせたい。
こんな感情。
可笑しいのは自分でも分かってる。
それでも自分でも止められなくて。
俺は愛しさを持て余した。
「・・そんなことないよ。青子もすごく嬉しい。
こんな時間に、こんなたくさんの人がいる場所で・・
キッドとデート出来るなんて思ってなかったから。」
持っているジュースが零れないように、俺の腕の中でゆっくりと青子が身体を
動かした。



正面のすぐ近くに、青子の顔がある。
それでも頬を赤く染めて、上目でこちらを見上げていた。
「・・・・」
すっげぇ、可愛い・・・。
俺は一瞬抱いている腕をどうしようかと、身じろいでしまう。
嫌がってるわけではないのだから、このままでもいいんだろうけど・・・。
「今朝ね、夢見たの。」
唐突な言葉に俺はちょっと面食らう。
構わずに、青子は続けた。
「ちっちゃい頃の夢。青子がまだ幼稚園の頃・・快斗の夢なんだけどね」
「・・・・」
その言葉に俺はドキリとする。
頭の中に水を零されたような感覚。
「快斗って前にも話したことがあるでしょう?
青子の幼なじみなんだけどね、彼の夢なの。」
「・・・・・」
「ちっちゃい頃、いつもかけっこで負けちゃって、追いつけなくて泣いてたんだけど、
快斗は絶対戻ってきて青子の手を取ってくれるの。
青子ね、あの頃快斗のこと、すっごく大好きだったんだ。
懐かしくて、なんだか不思議な夢だったんだよ?・・キッド・・?」
「・・・・・・」
「・・どうしたの?・・怒った?キッド・・?」
心配そうに覗き込む、青子の瞳に俺が映る。
快斗ではない俺。
そのとき。
映画館の係りの人間が、扉を開けた。
「あ、キッド・・?」
動き出した列から外れないように、俺は青子の手を引っ張って入った。
なるべく後ろの席へ移動する。
俺は一番後ろの端の席に、青子を座らせた。
「・・・」
青子は不安そうに、俺を見つめる。
俺はその瞳に問うた。
「・・今は?今も、青子は彼が好きなのですか?」
「・・うん、もちろん大事な幼なじみだもん。」
その言葉が心を抉る。
自分でも理解不能な感情を湧き起こす。
「でも・・今はキッドが一番好き、よ・・?」
伺う上目が少し恥ずかしそうに、俺を見上げる。
愛しくて、それ以上に悔しくて。
俺は上手く笑えなかった。
「ヤキモチなんて、青子に嫌われてしまいますね・・」
「嫌いになんかならないっ!」
青子の手が俺の右手を包み込む。
その柔らかさと、温もりに俺はハッとした。
「本当に・・嫌いになんかなれないよ・・?青子・・キッドのこと・・」
上映時間を知らせるチャイムが鳴り響いた。
「知ってます。すみません、困らせてしまいたくなったんですよ。」
その手を掴まえて、俺は口付けた。
青子はぼうっと頬を染めて俺を見つめる。
少しずつ照明が絞られて、真っ暗になる。
その瞬間、その唇に触れた。
一瞬だけ。
甘くて、柔らかな唇を捕える。
「・・キッド・・」
びっくりして青子は、唇を押さえた。
その仕種が可愛くて、俺は笑いを忍ばせた。
そんな俺を見ると拗ねて、そっぽを向いてしまった。
けれど。
次の瞬間弾けたように、笑ってみせる。
薄暗い映画館の中でも、何より輝いて映るそれ。
俺は嬉しくて笑った。
それなのに。
思うより、上手く笑えなかった。
俺はーーーーー



スクリーンを見つめていても。
その内容なんてろくに頭に入ってこない。
俺の右手に覆われた小さな左手が、時々俺の手を握り返してくる。
上から見渡せば、他の連中はほとんどが恋人同士だった。
たくさんの恋人達。
幸せそうに肩を並べて、時にはその肩にもたれて。
小さく何か囁いている。
きっと。
俺達だって、この中のカップル達となんの変わりもなく見えているのだろう。
幸せそうな恋人達。
俺が快斗でなければ。
俺がKIDでなければ。
何もおかしくない現実だ。
変装をしていない俺の姿は。
誰の目から見ても黒羽快斗でしかないのだろう。
この小さな手の持ち主以外には。
「・・・・・」
快斗の姿のはずなのに。
俺はKIDなのだ。
青子だけが、本当を見ているのかもしれない。
その瞳だけが、本当の俺を映し出している。
そうだとしたら。
・・・俺はKIDで構わないのだ。
なぜだろう?
それを悔しいと思うのは。
なぜだろう?
上手く笑えない理由は。


こんなに愛しい女が。
すぐ傍にいるというのにーーーーーー





無理矢理掴まえた手が、ぎゅっと俺の手を握り返す。
「泣くんじゃねぇよ・・」
「だって・・かい、と・・どんどん先行っちゃうんだもん・・・」
大きな瞳から、たくさんの涙が溢れてくる。
それが悔しくて。
俺はポケットから、小さな花を出した。
「泣くな。これやるから」
「・・キレイ」
大きな瞳が丸くなって、そうして笑った。
「・・・」
可愛くて、驚く。
そしてホッとして俺はようやく笑えた。
「もう、絶対置いていかねぇから・・」
「うんっ!」
絶対泣かせたくないと思った。
この笑顔がなにより可愛いから。
一番の宝物だ。
嬉しそうにその花を手に、少女は笑う。
「青子、快斗のことだぁーい好き。一番好きだよ。」
「・・・・・」
その言葉が嬉しくて、俺は自分でも顔が熱くなるのが分かった。
少し視線を泳がせて。
そうしてもう一度少女を見つめた。
「・・ほんとか?」
「うん、ほんとっ!」
「・・じゃ・・・ずっとか?」
「うん、ずーーーっとだよ。ずっと一番、好き。」
じゃ俺も一番好きでいる。
一番大事な宝物にする。
ずっと一番好きだと思う。
こんな可愛い奴、他にしらねぇもん。
だから・・・


ずっとそれは約束。


もう夢の中の・・・・






END OR・・・?




2001年3月27日







Written by きらり

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